第35話 体育祭(前半)
多種多様な人々の話し声がぶつかり合い、言葉は聞き取れない状態にある。放浪する音は賑わっていることを象徴し、同時に緊張感を高めさせ、おもむろに額を汗が占領していく。
とうとう迎えた体育祭の本番。熱く激しい試合が繰り広げられようとしていた。その前に、開会式と準備体操をして、2、3年の出番が終わるのを待つ。
2、3年の試合で会場は盛り上がり、熱狂的な応援と親御さんの声援が運動を埋め尽くし、僕たちのくだらない話はほとんどその声に掻き消された。
強靭で勇敢な戦士たちが声を張り上げながら美しい肉体をぶつけ合い、呼吸する暇さえ見当たらない白熱した試合だ。これが本当に中学生なのかと疑問に思うほど、力強くて激しい試合になっていた。男子はともかく、女子の競技も盛り上がるものだから、すごいとしか言いようがない。
そんな嵐が静まり、僕たちはグランドに残った熱気というバトンを渡された。そう、僕たちはこの場の空気が冷えないようにしなければならない。どうして2、3年の演技を先にやったのだろうか。僕たちの試合の質が先輩方よりも劣ることはわかっているはずなのに。
そんなことを考えているうちに女子の騎馬戦は準備が終わり、スタートの合図を待っている状態だった。クラス全員で、先輩方に負けないような大声で応援の言葉を叫んだ。
「よーい、スタート!」
3分という、短いようで長いタイマーのカウントが進み始めた。1人でも、多くの小隊が残ることができれば、僕たちチームの勝利だ。
リハーサルでは勝てたんだから、きっと勝てる。そう思いながら僕も一所懸命に声を出した。
作戦通り囮チームが偶数クラスの陣営に突撃して、敵を動揺させる。そして、動揺と同時に攻撃するターゲットが囮チームに向く。相手はこちらの陣営に背を向け、あたかもどうぞ、攻撃してくださいと言っているようにも感じた。
「行けぇ!」
クラスが一丸となって同じ言葉を口にした。もう、あとは押し切れる。これは、そう思ったのは僕たちがまだまだ甘くて、いかに単純であるかということが良くわかる。いわば、公開処刑のようなものであった。
囮チームを囲む相手の集団が一斉に外側へと逃げて、奇襲チームが囲まれてしまうという最悪な形になってしまったのだ。
しかし、こちら側のチームは臨機応変に動いて、外側へ逃げることを阻止したり、移動中の敵から鉢巻を奪ったりする。結局、その後は位置取りなんてする余裕もないほどの接戦が繰り広げられ、最終的には僅かな差で僕たち奇数チームが勝った。
手に汗握る試合で、僕たち男子は終始興奮しながら叫び続け、そのせいで喉が枯れてしまいそうだ。
僕たちのチームが勝ちということを知らされて、やっと落ち着き、一息吐くことができた。そして、すぐに思ったことは相手チームの作戦の内容だ。
本番で勝つために、わざとリハーサルでは変な作戦で挑み、本番ではリハーサルを踏まえた上で作戦を練り直して挑む。敵がそういう作戦ならば、僕が昨日感じた違和感はそれかもしれない。相手が手加減をしている。そう考えれば、僕自身も納得できる。
「次のプログラムは1年生の男子による、棒倒しです」
僕の頭に浮かぶ様々な事象を追い越して、プログラムは進む。僕たちは今、入場する直前である。それ故に、新しい作戦を考えたとしても、メンバー全員に新しい作戦を伝達できる保証はないし、中途半端に伝達されれば、チームワークが乱れる可能性が出てくる。
「入場!」
掛け声に合わせてグランドの中央に体を進め、一旦止まった。それから、各陣営の棒の前へと移動する。各陣営は円陣を組んで活気溢れる意気込みを天に掲げる。
壁を作り、上のりが壁の頂点に立ち、両者ともに準備が整ったようであった。その時点では、相手の戦略が変わったという印象は一切なく、もしかしたら、単なる相手側の采配ミスなのではないかとも思える。しかし、前回負けているのに、そのままの作戦で挑むはずがない。
「よーい、スタート!」
火蓋は切って落とされた。特攻隊が交差し合い、お互いの防御を崩そうと必死になって防御を引き裂く。
僕は開始から数秒後に壁から思い切り弾き出され、グランドの中央辺りに倒れこんだ。その場所からは両方の陣営の様子が見え、僕たちの陣営は壁がすごい勢いで崩されいくのがわかる。
対して、敵陣は壁が薄くてもうすぐ倒れそうなのに、不思議と立っている。そう、偶数クラスは守りを最低限にして、速攻を仕掛けたのだ。守りを最低限にしたといっても、その守りを担当する人たちは全員体格が大きくて力の強そうな人たちばかりである。
偶数クラスは攻撃に数を費やし、守りは質でどうにかするという大胆な作戦に出たのだ。こんな不意打ちを受ければ、特攻隊は今までの防御を崩すという考えがぐらついて、行動に迷いが出てしまう。そうなれば相手の思うツボ。
僕はこの絶望的な状況を呆然と眺めることしかできない。いや、できることはある!
僕は立ち上がり、全速力で、僕たちが倒すべき棒へ向かって走った。少しでも、少しでも早く相手の棒を地に着ければ勝てるのだ。僕の力は本当に小さいものだと思うけど、それでも、やらないで後悔するよりはマシだと思った。
「行かせるか!」
熊雄がその大きな体を広げて通せんぼする。
「俺は友達だからって容赦しないぜ」
「それはこっちのセリフだよ!」
僕は熊雄に捕まったが、熊雄の脇腹を軽く突っついた。すると、熊雄は力が抜けたように笑い転げ、その隙に熊雄を突破した。
砂を踏み荒らし、一歩ずつ確実に棒へと近づき、手を伸ばす。靴に入ってくる忌々しい粒の存在や、倒れ込んだ時に擦りむいた傷のことは忘れてひたすら走る。
止まれない。たとえ転んだとしても、ここで止まることなんてできない。目に砂が入ったが、目を擦る余裕なんてないし、擦っていては確実に減速してしまうだろう。だから、片目を瞑って走り続ける。
立ちはだかる相手を紙一重で交わして、やっとの思いで棒に手をつけた。味方と同じ方向に棒を引っ張る。相手チームのメンバーはそれを必死に止めようと、僕たちとは逆の方向に引っ張っていた。
「みんな! 手を離して!」
僕がそう叫ぶと、味方は棒から手を離した。棒は敵の引っ張っていた方向に勢いよか倒れる。棒が地に――着いた!
「どうだ? 勝ったか?」
味方の1人が呟いた。そうだ、僕たちが倒すよりも先に棒が倒されている可能性がある。そう思い、後ろを振り返ると、僕たちが守るべき棒はすでに倒れていた。
「嘘だろ?」
僕たちは負けたのだ。全力を尽くしたからこそ悔しい。歯を食いしばって勝敗よアナウンスを待った。どうしようもない悔しさを抑え込み、澄んだ空を見上げる。
「……えっと、ただ今の勝負、引き分け!」
「えっ?」
観客席からは何一つ聞き取れない声が飛んできて、応援席からは興奮しきった女子が喜んだり悔しがったりしている。僕は状況をよく理解できなかった。
「えっと、引き分けってことは、同時に棒が地に着いたってことか」
ようやく理解できたのは、棒倒しが終わって退場した後だ。
「啓太が機転を利かせたおかげで引き分けになったんだよ!」
亜子にそう言われながら手を握られ、上下に揺らされている。嬉しくてにやけてしまいそうになる口が僕の幸せを大胆かつ大袈裟に表現していた。
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