Episode3-C チラシでロックオン!(上)

 それは何の前触れもなく始まった。

 ごく普通の男子中学生、いや、スペックそのものは平均的ではあるも、この世に生を受けて13年と数か月にしては相当に肝が据わっている男子中学生・賢哉(けんや)の身を襲った、世にも迷惑で不思議な事件は……



 ある朝のことだった。

 眠い目をこすりながら登校した賢哉。

 彼は寝不足なのは、遅くまで勉強していたわけでもなく、また、何か心配事があって眠れなかったわけでもなく、単に布団の中でスマホを手に都市伝説のサイト巡りをしていただけであった。

 賢哉の最近の密かなマイブームだ。


 そんなことはさておき、賢哉は学校の様子がおかしいのに気付いた。皆、賢哉を見て微笑みかけてくる。他のクラスの、そう親しくない奴らに留まらず、賢哉の知らない上級生や下級生までもが……


 賢哉は、自身のスクールカーストは、中ぐらいであると正確に認識していた。

 目立ち過ぎもしないが、目立たな過ぎもしない。成績も運動能力も、身長も顔面もごく普通の一般生徒だ。彼はそのことをコンプレックスに思っているのではなく、これでいいと考えていた。


 「?」と思いつつも、賢哉は自分の教室へと向かった。

 しかし、教室の”賢哉の席”には成績優秀、真面目一徹、眼鏡着用のクラス委員長の男子生徒が座り、数学の参考書と睨めっこしていた。

 単に席を間違えて座っているのか? それとも、彼の普段のキャラに合わず、体を張ったボケなのか?


「……おはよう。あのさ、そこ、俺の席なんだけど」

 賢哉の声に、顔を上げた委員長は眼鏡をクイッと直した。


「おはよう。突然のことでビックリしたと思うんだけど、君と僕の席を替えたんだ。君の席は、手塚(てづか)さんの隣だよ」


「え? でもまだ、席替えの時期じゃないだろ」


「そうだよ。僕と君の席を交換しただけだ。これは、僕の一存で決めたことじゃなくて、クラス過半数の賛成があってのことだ。それに、先生の許可だって、ちゃんともらっている」


「……は? どういうことだよ?」


「どういうことって、君と手塚さんは『令和最強の公式のカップル』で、いずれ結婚もするんだから、この教室での席も隣同士にしておこうというのが、皆の一致した意見だ」


「おっ、俺と手塚が令和最強の公式カップル!? それに結婚って……何の話だよ!?」


 クラスメイトの手塚は、賢哉と同じく、クラスの中間派に属する女子生徒だ。

 親しい関係では断じてないし、彼女と話をしたことも数えるほどしかない。それに、自分たちはまだ中学生なのに、結婚とは……!


 賢哉は、”昨日までの委員長”の席を見た。

 その隣の席には、昨日と同じく手塚が座っていた。

 手塚は賢哉と目が遭うと、はにかんだように微笑み返してきた。

 そんな手塚の周りには、クラスの女子生徒たちの大半が――手塚がいつも一緒にいるクラスの中間派女子グルーブだけではなく、いわゆるスクールカースト上位のリア充女子グループまでもがいた。


「彼氏くん、登校したよ」

「今度の日曜日は、どこに行くの」


 キャピキャピした彼女たちの声。

 訳の分からぬこの状況なのに、手塚はまんざらでもなさそうだ。というよりも、皆の中心にいて、あれほどうれしそうな顔をしている手塚を賢哉は初めてみたかもしれない。


 その時、大あくびをしながら、教室の中に学校内外問わずに賢哉の今、一番仲のいい友達といえる玉野(たまの)が入って来た。

 朝の挨拶もそこそこに、賢哉は玉野へと駆け寄った。


「玉野、お前はおかしくなっていないよな? 委員長とか女子たちが皆……」


「どうしたんだよ? 手塚の所に行ってやれよ。お前の彼女……いや、嫁さんになるんだろ。結婚式には絶対に俺も呼べよな、このヤロー(笑)」


「……なんで、なんでお前まで、そんなこと言うんだよ?!」


「何、朝っぱらキレてんだよ。お前と手塚が『令和最強の公式のカップル』だってことは、”これ”に書いてあるんだし」


 賢哉は、玉野の左手に、紙が握られていることに気付いた。

「見せてくれよ」と言った賢哉に「いいけど?」と手渡す玉野。


 それはA4サイズのチラシであった。

 手書きのハートマークや星マークが紙面にはたくさんちりばめられた、デコデコ&チカチカとした手作り感溢れるチラシ。

 『令和最強の公式カップル誕生! このまま結婚まで一直線! 皆で2人を応援しようね!』というタイトルの……

 賢哉と手塚のフルネームが丸っこい文字でしっかりと明記され、顔写真までも貼り付けられていた。

 顔写真は、おそらく春の遠足の時に撮ったとクラスの集合写真の賢哉と手塚の部分だけをそれぞれ切り抜き、拡大したものであろう。

 そりゃあ、そうだ。

 賢哉は手塚とツーショット写真を撮ったことなんて、一度もないんだから。


 チラシを手にしたまま、ワナワナと震えるしかない賢哉に玉野がさらなる追い打ちをかける。

「そのチラシ、俺だけじゃなくて、山田や佐藤、鈴木の下駄箱にもというより……全校生徒の下駄箱に入っていたみたいだぞ。それに、職員室にもばらまかれていたらしいし……第一、この教室の掲示板にだって、そのチラシが貼られてるじゃねえか」

 玉野が教室後方の掲示板をスッと指さした。



※※※



 始まりから2週間が過ぎた。

 賢哉の平凡でありつつも平穏な生活に、予期せぬ迷惑で解せぬフェイクニュースが組み込まれてしまった2週間が……


 この2週間というもの、今やクラスの中心人物に昇格した手塚はニコニコしながら賢哉との物理的距離を詰めてこようとし、その手塚に男女問わないクラスメイト一同ならびに教師たちが加勢した。

 

 賢哉の自宅ポストにもあの例のチラシは投函されていたし、町の至るところの電信柱にも貼られていた。そのチラシを見つけるたびに、賢哉は必死で剥がして回った。


 この悪夢の仕掛人が、手塚であるのは明らかだ。

 賢哉は手塚と直接対決する気ではあった。

 しかし、全校生徒のみならず先生たちを、さらに言うなら賢哉の家族や町の人たちまでも、手塚が操るなんて……


 皆、なんで、あんなフェイクニュースをそのまま信じるのか?

 そもそもチラシというのは広告であり、受け取った者にそれをどうするかの決定権が委ねられるものだと賢哉は思っていた。

 チラシを渡されても、そのまま丸めてゴミ箱に突っ込もうが受け取り手の自由だ。


 そう考えると、あのチラシはおかしい。

 集客率というか、浸透率100%だ。

 どんな有名企業が発行していたチラシだって、これほどの成果をあげるなんてできないだろう。



 日々追い詰められゆく賢哉が自宅の門扉に手をかけた時だった。


「……やっと見つけた。今のお前さんは厄介なことに巻き込まれておろう。わしはその解決策を知っておる」


 しがわれた声が――老人の声が”下から”響いてきた。

 そう、下から。

 しかし、賢哉の足元には誰もいない。


 空耳か? ストレスが生んだ幻聴か? と賢哉は再び門扉に手をかけた。


「待つんじゃ。今、わしの姿を見せてやる。ただ、後生じゃから大声だけはあげんでくれよ」


 なんと、賢哉の足元の空間がパリパリとはがれ始めた。

 まるで、乾いた糊が自然に剥がれゆくようにパリパリと……


 その剥がれた空間から、現れたのは犬だった。

 そう、柴犬と同じ系統の毛色の犬。

 だが、その犬の顔面は人間だった。



 人面犬!!!



 この出現の仕方といい、愛らしいとは到底言えず、不気味で奇怪としか言えない人面犬の風貌に、絶叫もしくは失神、最悪の場合は発狂してもおかしくないシチュエーションだ。


 しかし、冒頭にお伝えした通り、賢哉は中学生にしては肝が据わっていた。

 さらに、幸運にもというべきか、都市伝説についての造詣も中学生にしてはなかなかに深かった。



 当の人面犬も、学ランに身を包んだ男子中学生が自分を見て、多少は驚いたものの、悲鳴をあげて逃げるわけではなく、自分の話を聞こうとしていることを悟ったらしかった。


「……電信柱に貼られていたチラシを見て、わしはお前さんのところにやってきた。わしはお前さんと同様の目に遭った者を知っておる。お前さんはわしの話を冷静に聞く気はあるか?」


 賢哉は黙って頷いた。

 そして、人面犬を抱き上げた。

 人面犬も大人しく賢哉に身を任せた。人面犬の温かさと手触りは、普通の犬と何ら変わらぬものであった。



 2階の自室の鍵が内側からきちんとかかっていることを賢哉は確認した。

 得体の知れぬ人面犬と二人きり(?)となってしまうことに危機感を感じないわけではなかったも、この人面犬からは風貌こそ奇怪そのものであれど、敵意は微塵も感じられなかった。

 それどころかフェイクニュースが浸透し、自分の精神を侵食しつつある今現在の味方は、この人面犬だけなのかもしれない。


 人面犬の名前は、自分の名前をジンと名乗った。

「人と書いて、ジンじゃないぞ。仁義のジンでもなく、迅速のジンじゃ」と、漢字での名前も教えてもらった。


 

「それよりも解決方法を知っているって、最初に言いましたよね? それに俺と同じ目に遭った人もいるって……」


 せっつく賢哉に迅は頷く。

 

「……そうじゃ、あれは昭和50年代後半ことじゃった」


 昭和50年代後半?

 今より少なくとも30年以上も昔の話だ。この人面犬は、普通の犬では考えられない時間を生きているのか?


「その頃のわしは、とある地方の山の麓を寝床としておった。見ての通り、人間に嫌われ石を投げつけられる、もしくは恐怖を与える風貌のわしじゃが、そんなわしを怖がるどころか、”わしの大好きなうぐいす饅頭と烏龍茶”を時折、差し入れてくれる、おさげ髪の優しくて綺麗な娘がおったんじゃ。その娘が高校の卒業を直前に控えた時じゃった……娘の自宅ポストはもちろんのこと、娘の通う高校の塀や町中の電信柱など至るところに、娘ととある男の熱烈な交際と結婚について書かれた事実無根のチラシがばらかまれたんじゃ」


 ゴクリと唾を飲み込む賢哉。

 30年以上昔にも、自分と同じく事実無根の迷惑チラシをばらまかれた者――チラシでロックオンされてしまった者がいたのだ。


「娘はもちろん、その男との恋愛になんぞ、心当たりは皆無じゃった。男はおそらく娘の美貌に目をつけたんじゃろうな……娘は男を嫌がった。当たり前じゃ。せっかく自由に恋愛が出来る時代に年頃を迎えたというのに、好きでもない者とくっつけられるなんて、悪夢でしかないからのう。しかし、ばらかまれたチラシによって外堀は完全に埋められてしまった。娘の両親ですら、助けを乞う娘を守ろうとしなかった。そして、とうとう娘は……泣き腫らした顔のまま、白無垢に身を包むことになったんじゃ……」



――(下)へと続く――

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