第36話:奴隷商の息子は奴隷を追いかける

 ――――コンコンコン


 ドアがノックされ、返事をする間も無くアルノルトが入って来た。


「なんだ、お前たちここにいたのか。探したぞ。そろそろ、支度をしろ」


 女たちを探していたようで、息が少し上がったアルノルトが言う。

 支度しろって、ずいぶん早いな。


「どうしたアルノルト。やけに急いでいるな。そんなに早く店に連れて行く必要があるのか?」

「はい。本日は奴隷商会の面々が集まる会合があります」


 会合? 奴隷商会ってたしか、この国の奴隷商人たちが寄り合って作っている組織だったよね。

 会合があるから、先に用事を済ませておきたいということか。


「そうか。お前たち、しばしお別れだ。気をつけて行くんだぞ」


 俺はそう言うと、一人ずつ尻タッチした。うん、朝からいい張りをしている。

 あんっ、と喜ぶパオリーアとマリレーネ。

 ちょっと嫌な顔をするアーヴィア。


 アーヴィアも美尻トレが効いてきているのか、少し尻肉がついてきている。


 三人は、名残惜しそうにゆっくりとベッドから降りる。

 一晩一緒に寝たからか、そばを離れると妙に肌寒く感じる。人肌って癒されるよな。


 入り口で三人は振り返ると、アーヴィアはぺこりと頭を下げた。

 両手で顔を覆い涙を見せまいとするパオリーアは、軽く膝を折り礼を取った。

 最後は、手を振って笑顔のマリレーネが部屋から出て行った。

 みんな、迎えに行くから待ってろよ、と俺は心の中で言う。


 本当に少しの別れだから……



「さぁ、ニート様もご準備を!」


 彼女たちを見送るとアルノルトが、いつになく強く急かす。どこかアルノルトの様子がいつもと違う気がした。

 どこが違うかと聞かれるとよくわからないが、何かを隠しているような、よそよそしさを感じる。


「わかった。俺もすぐに着替えて、あの子たちを迎えに行くとするか」


 俺はベッドから抜け出ると、ソファにかけてあった服を手に取り身支度を始めた。

 すると、アルノルトが、何をおっしゃっているのですか。会合がありますので、そちらに出ていただきますよなどと言う。


「はい? それって何時からだ?」

「昼からでございます。その前に大広間の準備がございますので、私はひとまず準備に取り掛かります」


 昼から会合で、アルノルトは準備で忙しいということは、奴隷商店のほうは俺一人で行けってことか。

 昼までに戻って来られるのだろうか……後でもいいが、なぜか胸騒ぎがして急がなければならない気がしてきた。



 ◆



 俺は、親父の部屋を訪れ、俺も会合に出なければならないのか尋ねた。


「ニートに言うのを忘れておったが、今日は奴隷商会の方々がお見えになる。お前を後継として紹介したい。必ず出席してほしい」

「しかし、俺はパオリーアたちを買い戻さなければならないんだ。そんな、急に言われても困る」


 あっ! という顔をした親父は、何やら考え込んでいる。

 おい、忘れてやがったな。


「それでは、出荷を明日まで待ってもらえませんか?」

「それはできない。もう、奴隷たちは向かっていることじゃろう」


 あの娘たちが馬車に乗り込むのを見送りたかったが、会合に出なくてもいいのか確認が先だった。

 もう出発してしまったのなら、早く追いつかなければならない。


「そんなに慌てなくてもいいぞ。どうせお前の専属になる奴隷たちじゃ」

「そんな悠長なことを! もし、一人でも売れてしまったらどうするんです?」


 すぐに売れるなんてことはないと思う気持ちもあるが、もしもということがある。

 人生には三つの坂があると、誰かのスピーチで言っていたじゃないか。

 その、まさかが起きないなんて保証はない。しかも、アルノルトの様子や親父の様子から胸騒ぎがしているのだ。


「父さん! すぐに行って来ます。そして、なるべく早く帰ってきます。いいですよね?」

「うん、まぁ、行きたければ行くといいが、なるはやで頼むぞ。昼には戻ってきてくれ」


 何が、なるはやだよ。なるべく早くってちゃんと言えよ。


「わかりました。すぐに追いかけることにします。馬車を貸してください」

「それが、この屋敷には馬車が一台しかない。それも、アルノルトが街へ買い物に出かけたから、ないんじゃ。アルノルトなら、今から追いかければ追いつくんじゃないかな……」


 まだ、出たばかりなら確かに間に合う。


「アルノルトはいつ頃出ましたか?」

「つい、さっきじゃ」


 そう言った親父は、窓の外を指差した。俺は、慌てて窓に駆け寄り外を見る。

 門から出て数十メートルのところに、馬車が走るのが見えた。あれか!


「父さん、行ってきます。まだ走って追いかければ間に合うと思います」

「ああ、じゃがな、あれは……」


 親父が話し終わらないうちに俺は、部屋を飛び出し一気に走った。

 階段を飛ぶように降り、曲がり角で壁にぶち当たりながら全力疾走した。

 さすがに、馬車に追いつくのは難しいかもしれない。

 だが、街まで走るとなると一時間以上はかかるだろう。


 門を出て、馬車の後を追う。米粒のように見える馬車を、必死に走って追いかけた。


 ――――待ってくれ、アルノルト、待ってくれ!



 ◆



「ど、どうされたのです、ニート様!」


 馬車に追いついた俺を見て、アルノルトが驚いて立ち上がって言う。


 はぁはあはあ……俺は肩で息をし、息も絶え絶えに言った。


「街まで俺も乗せて行ってくれ。パオリーアたちを追いかけたい」


 アルノルトは、俺に水筒を渡してくれたので、一気に水を流し込む。

 気管に水が入り軽く咳き込むと、俺は馬車に追いついたことでホッとした。


 アルノルトが、心配そうに俺の様子を見ていたが、何か言いかけて飲み込んでいる。

 言いたいことがあるのか……?


「ニート様。この馬車はダバオには向かっていませんよ」

「なに? なんでだよ。街に行くんじゃないのかよ」

「私は、アルーナの街へと向かっていまして……」


 親父が言いかけたのは、そういうことだったのか!

 そういえば、ダバオに向かう街道と、この馬車が向かっている方向は逆方向だ。なぜ気づけなかった!


「すまない。ダバオまで乗せて行ってくれないか」

「ダメですよ。これから、アルーナの街へ商品を受け取りに行かなければなりません。人と落ち合う約束がありますので遅れるわけにも行きません」

「頼む! この通りだ!」

「そう言われましても……ただ、アーヴィアたちなら大丈夫だと思いますよ」

「なぜそんなことがわかる! なぁ、頼むよ!」


 必死に、手を合わせ膝を床について頼み込むと、アルノルトは渋い顔をして困り果てていた。

 困るのもわかる。俺が無理を頼んでいるのもわかる。

 そこまで急いで奴隷たちを追いかける必要はないのかもしれない。


 だが、もしも……ということがあるのだ。




「あのー、どうかされたんですか?」


 一台の馬車が、俺たちが道端で立ち往生していると思ったのか、御者が話しかけてきた。

 馬車というより、荷車に野菜を積んでいる。行商人だった。


「あ、あなたは、もしやダバオに向かっていますか?」

「あっ、はい、そうですが……」


 俺は、立ち上がると御者の前に進み出て、拝むようにして頼み込む。


「お願いだ。俺をダバオまで乗せて行ってくれないか。金ならある。どうしても急がなければならないんだ」

「それはいいですけど、そっちの馬車ではダメなんですか?」

「ああ、あの馬車はこれから別の街に行かなければならない。悪いが、乗せて行って欲しい」


 拝み倒すように、懇願するとおじさんは荷台の荷物を寄せて俺が座るところを作ってくれた。


 野菜の行商のおじさんに快く乗せてもらえることになった俺は小さくガッツポーズ。

 よし、運がいいぞ!


 ◆


 舗装されていない土の道路。ゴムタイヤなどない馬車の車輪。

 ゴツゴツと上下に揺られ、吐きそうになりながらも、俺は我慢して荷台に掴まっていた。


 この世界、魔法があるのならピューっと街に出る方法もあるんじゃないだろうか。

 しかし、そんな方法があるとは聞いていない。

 生活に使う呪文紙しか屋敷にはなかった。魔法使いという人たちにも会ったことがない。


「魔法のジュータンとかないもんかな。魔法がある世界なのに……」


 俺が毒吐くと前から御者が、何か言いました? と聞いてくる。


「いいえ、なんでもありません。あと、どれくらいで着きますか?」

「もう少しですよ」


 そんなやりとりをしながら、俺は三人と再会した時のことを想像していた。

 きっと、俺が行ったら驚くだろう。

 みんな、俺が買い戻すということを知らないみたいだし。

 昨夜は、その話が結局できなかったもんな。

 再会の涙とかあるのかな。感動の再会とまではいかなくても、きっと喜んでくれるはず。

 俺も早く会いたい……


 さきほどまで一緒だったというのに、俺は三人の顔を思い浮かべていた。



 ダバオの街には奴隷商店は二つある。ジュンテが店主をしている一号館。コメリが店主の二号館だ。

 そのうち、奴隷たちがまず最初に連れてこられるのは、一号館。

 そこで、まずは点検と称する身体検査をされて、健康状態を確認する。

 三人いれば、それなりに時間がかかっているはずだ。

 店に並べられても、すぐに客が来るとは思えない。きっと間に合う。


 ガタゴトと揺られながら、何度もダバオの街を確認する。

 もう少しだ、だんだん見えてきているぞ。


 座り心地は悪いが、大根のような野菜にもたれかかり、チンポジを直した。

 どうも馬車の揺れに、俺のナニも揺さぶられてしまうようだ。


 女神様……どうか、間に合いますように。

 俺は、この異世界の神様のことは知らないが、女神信仰だということは知っている。

 俺をこの異世界に転移させてくれた女神様、どうか俺たちをお護りくださいと手を合わせたり、十字を切ったりした。


 ダバオの城壁をくぐる。

 門番はちらっと俺を見たが、何も言わなかった。農家のせがれだと思ったのだろう。


「ありがとう。ここでいい。助かった。この金を持って行ってくれ。感謝の気持ちだ」


 俺が銀貨二枚を取り出し渡すと、満面の笑みを浮かべたおじさんは、ありがとうございますと頭を下げた。いえいえ、こちらこそ助かりましたから。




 石畳に足を取られそうになりながらもダバオの街を走った。

 目の前に現れた奴隷商店へ駆け込む。間に合ったか?


「いらっしゃいませ……あっ、ニート様!」


 店主のジュンテが俺を見て、慌てて膝をつく。


「礼はいい。それより、今日ここに来た奴隷たちは?」


 俺は、答えを待たずして奥の倉庫へと急ぐ。身体検査しているはずだ。


「お、お待ちください。ニート様」

「なんだよ。俺は急いでいるんだ。パオリーアたちに会いたい」

「それが……その、今日来る予定の奴隷たちですが……」


 言いにくそうにしているジュンテの肩を揺さぶり、何があった! と怒鳴りつける。


「あの……ニート様、ニート様、落ち着いて、落ち着いてください」

「いったい何があったんだ! あの子達はここにいないのか!」


 ジュンテは、まだ奴隷はここに来ていないと言う。


「本日入荷予定の奴隷は……」

「もういい! ここに必ず来るのなら、お前に頼みたいことがある!」


 ジュンテが言いかけたことを遮ると、俺は店主に頼むことにした。


「あの女たちは、俺が買う! いいか、これが金だ。親父には話はつけてある」


 俺の勢いに押され気味のジュンテは、こめかみに汗を流しながら言う。


「はい、存じ上げています。その……」

「そうか! なら話は早い。金は置いていく。だから、絶対に売るんじゃないぞ」


 ジュンテは、承りましたとうやうやしく礼を取る。

 俺も、よろしく頼むと何度も頭を下げた。


 とりあえず、奴隷商会の会合だったな。昼にギリギリ間に合うだろう。

 急いで戻らなければ。


 ニートは急ぐあまり、いくつかの見落としをしていたが、それは後に知ることとなる。

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