第6話 「すごい、かわいい♪ 便利♪」
胸元に心地よい柔らかさを感じながら、意識が起き上がる。
焦点が合ってくる。
カーテンの向こう側が明るくなっている。
視線を下に移動させた。
「……すぅ」
がっしりと、美也が俺の胴体に腕を回していた。
眠りについた時の姿勢のまま、変わらずだ。
「朝だぞ」
見てるこちらが微笑ましくなるほど、気持ちよさそうな寝顔をしている。
起こすのが申し訳なくなってきた。
絡みついてくる腕から抜け出す。
美也の腕がまるで温もりを求めるかのように上下する。
「……ん~」
「ほら、起きろ」
反応が鈍い。
寝ぼけているのか、小さく寝返りを打つも、起きる気配はない。
肩をゆするも、眉をピクリとさせただけだった。
朝が弱いのか。
しかし起こさないという選択肢はない。
「朝ごはんの時間だぞ」
強めに揺する。
「……むぅ」
今度は顔を歪め、俺から顔を背けるように寝返りを打った。
睡眠を妨害されると不機嫌になるのは、美也も例外ではないらしい。
だが、ここまで起きないとなると少し関心が湧いてくる。
果たしてどんなことをしたら、美也は起きるのだろうか。
試しに頬を指で突いてみる。
ぷにぃと柔らかい弾力が返ってきた。
「……」
無反応。
まあ、これは手始めだ。
お次は音だ。
いきなり掌を叩いて驚かすのもちょっと申し訳ないので、指パッチンを耳の前で鳴らす。
「……」
これにも反応はない。
「なら、こうするしかないな」
美也の足元に移動する。
布団をめくり、素足を露出させる。
足まで肌つやつやだな、と感心しながらも、そっと足の裏に指を近づける。
最終手段――くすぐり。
生意気でぐうたらな我が妹も、このくすぐりでわからせてやった凶悪な技である。
――こちょこちょこちょこちょ。
「でへへっ」
「――!?!?」
思わずベッドから転がり落ちる。
今、変な声上げなかったか?
「……?」
くすぐりの影響か、それとも尻もちをついた時に大きな音がしたからか、美也が眠そうに目を開けた。
一瞬尻もちをついている俺に不思議そうな顔をしたが、疑問よりも眠気が勝ったのか――
「……ぐぅ」
「二度寝するなよ……」
♢
普段は朝食は食べないタイプだ。
朝から朝食をつくるのが面倒くさいのだ。
トーストにジャムを塗る作業だけでも億劫に感じる。
よっぽど腹が減っていない限りは、朝食は食べないまま出かけることが多い。
だが、美也と一緒に生活する以上、そうもいっていられない。
「朝食はトーストでいいか?」
「……(こくり)」
「コーヒーは?」
「――……(こくり)」
「砂糖とミルクは?」
「……(こくり)」
そもそも、俺は自炊をしていない。
一人暮らしを始めて三か月程度は頑張ったが、面倒臭さと自分で作る飯のマズさの前に力尽き、今では外食や弁当、学食に頼って生活している。
キッチンに立ったのは半年ぶりである。
おかげで冷蔵庫は常にすっからかんだ。
かろうじて残っていたのが、冷凍のパン、残り四個の卵、何かと日持ちするソーセージくらいだ。
だが、コーヒーだけは切らさないようにしている。
勉強やレポート作成のお供だ。
「……ふわぁ」
美也がベッドの上で欠伸をしている。
正座を崩し、ぺたんとお尻を降ろす、いわゆる女の子座りである。
男である俺には絶対にできない姿勢で座っているのを見ると、「ああ、やっぱり女の子なんだな」と思ってしまう。
事故で裸を見てしまった時は驚きで脳が麻痺してしまったが、平時にふとした拍子に女子らしい仕草をされてしまうと、「俺は女の子と一緒に暮らしている」という事実を強烈に印象付けられる。
「さ、先に着替えてきたらどうだ?」
こみあげてくる恥ずかしさを封じるように、美也に提案する。
美也は小さく頷くと、その場で服を脱ぎだした。
「ちょ、ここで着替えるんじゃなくて!」
「……?」
「せめて洗面所で着替えてくれないか⁉」
しぶしぶ、といった様子で美也が着替えを持って洗面所に移動する。
洗面所のドアが閉まった音が聞こえたとき、インターホンが鳴る。
キッチンを離れ、モニターを確認する。
『よう』
頬がこけた背広姿の男――新田である。
♢
「で、俺の朝食は用意していないわけか?」
「急な来客に対応できる食材がないんで」
「お前の頼んでいたおつかいは、俺が買ってきたんだぞ?」
「それがあなたの仕事でしょう」
テーブルに俺と美也の朝食を並べる。
その時、ちょうど美也が着替えを終えて洗面所から戻ってくる。
美也の服はどれも、清楚系のデザインで統一されている。
寝巻を着ているときは感じなかった大人っぽさと上品さは、やはりお嬢様の雰囲気があった。
まあ、お嬢様といっても教養あるというより、箱入り娘の印象が強いが。
三人が朝食の席に着く。
「いただきます」
美也は言葉の代わりに手を合わせる。
「それで、こんな時間から何の用ですかね。新田さん」
「昨夜頼まれていた品を届けに来た。ボディソープとか歯ブラシとかだな」
「早かったですね」
「俺の仕事は早い。いつもな」
「でも、なんでわざわざこんな朝から?」
「おつかいはついでだ。本当は美也の様子を見に来た」
「美也の様子?」
「男と一夜をともにしたんだぞ? 異常がないか確かめるのは当然だ」
「別に何も起きてませんよ」
抱き合って眠ったことはいわないことにした。
「そういえば、昨晩お前の家に男が一人出入りしていたな?」
「え?」
手に持ったコーヒーを落としそうになった。
「なんでそんなことを……」
「さて、なぜだろうな」
新田は肩をすくめるだけだ。
「須郷明人。お前のサークルの友人だな?」
「……公安というのは覗きが趣味なんですか?」
「これも仕事だ」
「それで、須郷がどうしたんです?」
「あのことは、誰にも言っていないな?」
「あのこと? 美也が首相の隠し子ってことですか?」
「そう、それだ」
「言ってませんよ。誤魔化しておきました」
「そうか。ならいいんだが」
美也の方を見やる。
いつの間にか皿の上が綺麗に消えている。
残っているのは、カップに飲んだ跡が残るコーヒーだけである。
「もし、俺が須郷にその秘密を言ったら、どうするつもりだったんですか?」
朝食の席での軽い冗談、のつもりでいった。
トーストにかぶりつく。
「――秘密を知ったものは生かしておけない」
ぼそりと新田が漏らす。
「は?」
「冗談だ」
朝からなんて心臓に悪い冗談なんだ、と脱力する。
「お前は秘密を漏らすことはない、絶対にな」
「絶対って、何でそう言い切れるんですか?」
「美也は俺よりも、ずっと目が優れている。その目を信じただけだ」
答えになっていない答えだった。
「美也は、電気を消すことを恐れていただろう?」
「……知っていたんですか? この子が暗闇が怖いこと」
美也は俺と新田の会話に耳を貸さず、コーヒーを少し口に含んでは少し顔を歪めるのを繰り返している。
「彼女が恐れているのは、正確には暗闇じゃない。目が使えなくなることに恐れている」
「目?」
「彼女の目は……普通じゃないだろう? それは身をもって体感しているはずだ」
彼女の目……珍しい黄金色の瞳。
普通じゃないといわれれば、普通ではないだろう。
だが、新田はそのことを言及しているわけではないようだ。
「目が、どうしたと?」
「俺も詳しくは知らない。だが、彼女の見えている世界は、俺たちとは少し……いや、大きく違うらしい。だから視界の確保されない状況にひどく怯える」
「それはどういう――」
そう尋ねたとき、美也が新田の持ってきたビニール袋から何かを取り出した。
「ああ、これがお前に買うように頼まれていた、枕だ」
「ちゃんと買ってきたんですね」
さすが仕事が早い新田さんである。
「どんな枕なんですか?」
美也と一緒に、取り出された枕を見てみる。
表がピンク、裏が水色だった。
表面にでかでかとハートマーク、そしてその中心に「YES」の文字が書かれており、裏側にはバツ印と「NO」の文字が――
「――って、これYES/NO枕じゃねえか」
夫婦間でヤッていい日とそうでない日を言葉を介さず意思表示する、古典的な下ネタグッズである。
「どうだ、いいデザインだろ?」
「いや、そういうことじゃなくて」
「低反発の良いやつなんだぞ?」
「そういうことでもなくて!」
「ついでにYES/NOクッションも買ってきたぞ」
「なにやってんだ、アンタ」
本気で呆れる。
「なんてもん買ってきたんですか。せめて普通の枕買ってきてくださいよ」
「だって便利だろうが」
「はあ? 夜の営みにってことですか? 新婚じゃないんですよ、俺ら」
「違う違う。美也が意思表示をするのに、だ。この枕を裏返すだけで、彼女の意思を伝達できるんだぞ?」
「……だからYES/NO枕?」
だとしても、である。
「だいだいこんな悪趣味な枕、いくら美也だとしても使うわけ――」
「~~♪」
「……めっちゃ気に入ってる」
上機嫌そうな柔らかい顔で、枕を抱きしめている。
しかも、YESの方をこちらに向けている。
本人にとっては他意はないのだろうが。
「ほら、いいチョイスだったろう?」
新田がニヤリと笑う。
「……はぁ。まあ、美也が気に入ったなら」
毎晩美也がこの枕で眠ると思うと――少し複雑な思いだった。
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