その涙さえ命の色
泡沫 希生
人を食う精霊の森
その森には人を食う精霊がいる。
それは、彼女が祖父から何度も聞かされてきたことだ。
けれど今、少女がいるのはまさに精霊がいる森、その真ん前だった。
木々が隙間なく並んでいて、森の道はあまりにも細い。ここに来る時に通った、花が咲き乱れる野原とは大違いだ。
真昼の太陽が上から差していて少女を照らしているのに、森には光が当たっていない。まるで、森に意志があって阻んでいるかのように。
代わりに、暗い森からは霧が溢れてきている。それは少女の足と頬をひんやりと撫で、体を震わせる。いや、違う。
(怖くない、怖くない)
少女は、恐怖からくる震えを抑えようとしていた。
「怖くない、怖くない」
まだあどけなさの残る少女の顔には、怖さとそれでいてどこか決意を帯びた表情が浮かんでいる。
彼女はどうしても、ここに入らなければならなかった。たとえ自分が死ぬかもしれなくても。いや、それでもダメだ。彼女は生きてここから出て、村に帰らないとならない。
でないと、彼は死んでしまう。
彼女は強く体を揺らした。キュッと目を閉じる。
(それが、一番怖い)
なら、答えは決まっている。
彼女は目を開けて竹の水筒から水を飲むと、水筒を粗末な肩掛け鞄に突っ込んだ。パンパンと頬を両手で叩く。
「行く」
そうして、精霊の森に足を踏み入れた。
森は、どこまで行っても続くかのように思えた。
外からだと、木々が整然と並んでいるように見えたが、実際は広葉樹がうねるように並んでいて迷路のようだ。
光がほとんど差し込まない上に霧が濃く、ほんの少し先も見えない。すぐそばの地面に生える花さえも見えにくい。
森に入ってすぐに、彼女は方向を失った。思わず足を止めた時、
『ウウアアアァッ!』
どこからか恐ろしい唸り声が聞こえた。聞いたこともない獣の声。
声がどこから聞こえているのかもわからず、彼女は怖さのあまりとっさに駆け出した。
「わっ」
そして、何かにつまずいて転んでしまった。
一つ結びの黒髪を跳ねあげながら、顔から地面に突っ込むような体勢になり、どうにか顔を腕でかばう。
倒れた衝撃が全身に走ったが、彼女はそのまま動かずに耐えた。唸り声の主が近くにいるかもしれない。
心の中で十を数えてから起き上がる。近くには何もいないようだった。
体にはまだ衝撃が残り、ジーンと響いている。両腕を見るといくつも擦り傷ができていた。ちくりと痛い。
傷を痛めないよう服についた土を払い、森の冷気から守るように体を抱き締めた。段々と寒さが増してきている。少女の端切れだらけのスカートでは耐え難い。
腕の痛みと寒さに耐えながら、少女は足を踏み出した。帰り道はもはやわからない。進むしか、ない。
「七枚の花びら、紅色。細長い青色の茎と葉、ほのかに光る」
記憶を掘り起こすようにつぶやいた。
帰り道のことを悩むよりも、まずはその花を探さなければならなかった。
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