(2)
「おい、昨日、君が送り付けたアレは何だよ?」
「ですから、内容を確認していただいたのなら、次は、修正する必要が有る箇所を指摘して下さい。私もアレで完璧とは思ってません。全集が出るまで時間が有りますので、いくらでも修正は出来ます」
「いや、君、譲歩や妥協をしてるように見せかけて、俺が一番問題だと思ってる点だけは譲る気ないだろ」
「……じゃあ、誤解の無いように言いましょう。そう御理解下さい」
新しく出る師匠の全集の担当編集者である三枝信太郎は、とんでもない事を言いやがった。近くに居れば、思わず、胸倉を掴んだかも知れないが、幸か不幸か、ヤツとはビデオ・チャット・アプリを介して話しをしている。
「それって、師匠の全集の内容を書き換えるって事だよね? 昔、『言葉狩り』のせいで、筆を折る事を決意した作家の全集で、そんな真似をするって、正気か?」
「えっ? 結局、筆を折ったって言っても、そんなに長い期間じゃ……」
「うるせえな。あの時期、師匠なりに色々と悩んでたの」
「その時期、越谷センセは、まだ、郡山先生と直接面識は無かった筈ですが、まぁ、いいや。ともかく、書き変えるってのとは違います。文字通りの『翻訳』なんですよ。もしくは、古典の現代語訳や、漢文の書き下しを添えると思って下さい。そして、どれを読むかは読者に任されます。何なら、現代語訳と原文を読み比べる事だって出来ます」
三枝は五〇代だが、今の時代、年齢的には「中堅のちょっと下」と云った所だ。しかし、もう、この世代でも俺達とは話が合わなくなっている。
この息苦しい時代でずっと生きてきて、息苦しさが当り前になったせいか、今が息苦しい時代である事が判っていないようだ。
「何だよ、『現代語訳』って? まるで、師匠の作品が……」
「全集は、今の二〜三〇代の人にも読んで欲しいんですよね?」
「そりゃ、師匠の作品は、今の若い人にも通用するでしょ」
本当にそうなのか? と云う疑念は俺の中にも有る。しかし、その疑念に屈する訳にはいかない。
「なら、若い人に郡山先生の意図が可能な限り伝わるように書き換えるべきじゃないですか? 言葉は生き物だから、原文のままだと、逆に、いつか、意図が伝わらなくなったり、別の意味に解釈されるようになりますよ。よく言うでしょ。『止まっていたければ、走り続けろ』って」
「君はそう言うけど、ちょっと読んだ分だと、『二号さん』を『妾』とか『愛人』に書き換えるって、どう考えても『言葉狩り』だろ」
「若い人達に読んで欲しいって言っときながら、若い人達に判んない言葉を使うんですか?『二号さん』って言葉が使われてた時代を経験した人でも、もう、ピンと来ない言葉になってますね」
「でもさぁ、当時は『二号さん』が社会的に許容されてたんだよ。その社会の雰囲気とかも込みで伝えなきゃ意味が無いだろ」
「御安心下さい。『二号さん』が社会的に許容されてた時代なんて、今からすると、例えば、江戸時代の身分制度が有った時代と同じ『現代とは断絶が有る時代』です。そんな時代は2度と来ないし、そんな時代を経験した人も、もう、その頃の感覚に戻る事は出来なくなりつつ有る。なら、逆に『二号さん』を別の言葉に変えても問題ない。言葉を変えても読者の感想が大して変らないなら、判り易い言葉に変えた方が良い。それとも、郡山先生の、その作品は『二号さんが社会的に許容されていた時代の不条理』がテーマだったんですか? なら『二号さん』って言葉をそのまま使うのに意味が有りますが、そうじゃないですよね?」
「おい、ちょっと待て、一九七〇年代の小説と、江戸時代を一緒にするなよ」
「じゃ、いつからが『今』で、いつからが『昔』なんですか? 一九七〇年代は何十年前ですか? 越谷センセだって子供だった頃ですよね?」
「そんなの理屈だよ」
「あぁ、そうだ。『そんなの理屈だよ』で言い返した事になる、ってのも、どう云う事か判んない世代が存在しますね」
「やめてくれ。最近は、そんな事まで『言葉狩り』の対象なのか?」
「その『言葉狩り』も意味が通じなくなりつつ有りますね。世代が違えば、同じものを別の言葉で呼んだり、社会問題についての考えが大きく違ったり、色んな慣習が違うのが当然なので、世代間で何かを話す時は、どっちかが言葉を言い換えないといけない。現に私も今、越谷センセの世代に合わせた言葉を使っている」
「それが何?」
「自分にとっての『当り前』じゃない何かが『当り前』である誰かと会話する際には、どっちかが言葉を言い換えるのが当然の世代にとって、ある単語を別の単語に置き換える事を『言葉狩り』と呼んで非難する人は……単なる変な人ですよ」
「言いたい放題言いやがってッ‼ ふざけんなッ‼」
「冷静になって下さい」
「ああ、そうだ、その『冷静になって下さい』で思い出した。何で、別の作品で『その眼鏡をかけた女はヒスを起した』ってのを『そのインテリっぽいが生意気そうな美人とは言えない女は声を荒げた』って文章に置き換えた?」
「どっちの書き換えですか?『眼鏡』ですか?『ヒス』ですか?」
「両方に決ってるだろ‼」
「じゃあ、まず、眼鏡の件から。その作品が書かれた時代において、特に郡山先生のような方にとっては『眼鏡をかけた女』は『インテリだけど生意気』ってイメージが有りましたよね。そして、郡山先生は『インテリだけど生意気そうな女性』と云うのを一言で表す為に『眼鏡をかけた女』って表現にしたんですよね?」
「まぁ、そうだけど」
「でも、今の時代、女性が眼鏡をかけてるのをチャームポイントだと思う人が多いですよね。『眼鏡をかけた女』のままだと、郡山先生が、その女性を、どう云う女性として描こうとしたかが、逆に伝わらなくなりますよ」
「そう言うけどさぁ……」
「あと、その小説の中で、眼鏡に意味が有るのは、そのシーンだけですよね? なら、何で眼鏡に拘るんですか? 失礼ですが、越谷センセは眼鏡フェチなんですか?」
「ええい、クソ……そんなの理屈……ああ、こう言ったら、また、さっきみたいな事を言われる訳か」
「で、ヒスの方ですが、3つの点から問題です」
「えっ?」
「1つ目は『ヒステリー』の語源は『子宮』です。極めて女性差別的です」
「ほら、やっぱり言葉狩りじゃないか⁉」
「3つ目まで聞いて下さい。3つの理由と、郡山先生の経歴が合わさると大惨事が起きるんですから」
「えっ⁉ 大惨事って何だよ⁉ あと、師匠の経歴と何の関係が……?」
「2つ目は『ヒステリー』は医学用語としては、とっくに死語になってる事です」
「まぁ、あまり納得は出来んが、表現としては古いと云う事か。師匠の全集で書き換えをやるのを認める訳にはいかんが、現代の誰かが書いた新作で使われたら、編集者や校閲が『古臭い表現だ』と指摘するのも妥当かも知れんな」
「で、最後は、医学用語の『ヒステリー』と俗語の『ヒステリー』は意味が逆なんですよ」
「えっ? いや、待て、だって……」
「医学用語の『ヒステリー』は、今で言うなら、鬱やパニック障害です。そう云う状態にある人が『怒りを爆発』させる事が出来ますか?」
「い……いや、いや、いや、冗談抜きで、本当に待ってくれ……。何かの間違いじゃないのか? だって、師匠は……」
「そうです。郡山先生の大学の頃の専攻は心理学でしたよね? しかもエッセイでは心理学についての言及が山程有る。そんな人の小説で、精神医学用語が不正確な意味で使われてたら、作者は馬鹿だと思われますよ。馬鹿だと云う設定の登場人物のセリフならともかく、地の文や作者本人が投影された登場人物のセリフがそれだと、目も当てられない。郡山先生が馬鹿だと思われるのが、越谷センセのお望みなんですか?」
「君さぁ、言ってる事は判るけど、言い方ってものが有るだろ‼ こっちが年上なんだぞ‼ 腹の底で、どう思っててもいいけど、表面的な態度だけは、少しは年上を立ててくれよ‼ そんな事だと、他の作家さんからも良く思われなくなるぞ‼」
「ご心配なく。センセ達八〇代は『年上は目上』が第二の本能になってる人が多数派でしょうが、私達五〇代は、そうじゃない。そして、センセと同じ世代の作家さんでも、その点を理解してくださる方がほとんどですし、我々は我々で、年下からズバズバ言われても気にしない」
畜生……なんか、若返り治療が普及してから世の中が息苦しくなったと思ったら、こう云う理由だったか。
俺達か、それより少し下ぐらいが「年上は目上」が当り前だった最後の世代だ。
上の世代には強い事を言えず、下の世代から強い事を言われたら、頭が真っ白になってしまうか、逆にこっちがブチ切れてしまうせいで悪者にされる。
世代間で意見が対立した時に、相手が上の世代だろうと下の世代だろうと、いつも一方的に妥協する羽目になるのは、俺達の世代だ。それも、納得した上の妥協じゃなくて、怒りや不満を押さえ込んだ上での妥協だ。
クソ……「今は息苦しい時代」だと思っていたが、勘違いをしていたようだ。それも2つ。
俺達の世代だけ、他の世代よりも息苦しさを感じていて、そして、今だけじゃなくて、これからも、こんな息苦しさは続く。
「世代で使う言葉が違うのは、世代間で色んな考えが違う事が浮き彫りになってしまった事による変化の1つに過ぎないんですよ。考えが違えば、同じ単語から別のニュアンスを読み取ってしまう。だから、世代間翻訳版が要るんですよ。若い人にも、郡山先生の全集を読んで欲しいならね」
そうだ。2つの事が原因で、1冊の本を購入すると、それぞれの「世代」に合わせた「世代間翻訳版」が付いてくるのが当然になった。
1つは、若返り治療によって、百歳以上違う世代が、1つの社会の中で共存しなければいけなくなりつつ有る事。百歳以上と一〇代では、当然ながら、考えも違う。言葉も違う。同じ「何か」を意味する言葉が世代間で違うなんて良く有る事になった。そして、同じ単語を使っていても、百歳以上にとっては、良い意味に解釈されるが、一〇代では、あまり良い意味に使われない、なんて事は良く有る。
もう1つは、紙の書籍が廃れ、電子書籍が一般的になった事。しかも、ネットの回線速度や、クラウド・ドライブの容量は年々上がっているので、電子書籍のデータのサイズが一〇倍・二〇倍になったとしても、誤差の範囲内だ。1つの書籍を購入した際に「世代間翻訳版」を付けても、問題は――少なくとも技術的な問題は――ほとんど無いらしい。読者は、購入した電子書籍の中の、オリジナル版なり、自分に合った世代間翻訳版を読む事になる。
つまり、百歳のヤツと一〇代のヤツは、同じ小説を読んでいながら、同時に同じ小説を読んでいない、と云うのが当り前の状態になってしまった。
丁度、1つの小説の異なる複数の言語への翻訳版は、同じで小説であると同時に違う小説でもあるように。
もっと無茶苦茶な例だと、今は一〇代向けに書かれた小説を、俺より少し年下のヤツが読む事だって良く有る事だが、絵の好みは世代で違う。挿絵で売るようなタイプの小説の場合こそ、同じ小説なのに、一〇代が読んでる場合と、六〜七〇代以上が読んでいる場合とでは、挿絵と文章の両方が違う事も有るのだ。だが、本当に、そんな状態の事を「同じ小説を読んでいる」と呼べるのだろうか?
そっちが便利な事は頭では判るが、言葉を商売にしている以上、何か納得が出来ない。
そして、これは「世代間」だけで済む話なのか? 絶対に、これから似たような問題が、世代間ギャップ以外の事でも次々と出て来るだろう。
電子書籍が初めて世に出た時には、まさか、こんな事に使われるとは思ってなかった。
「あ、さっきのヒステリーの件ですが、男性の登場人物がブチ切れたシーンでも『ヒステリー』って言葉を変えさせてもらってます」
「へっ?」
「だって、さっき言いましたよね。『ヒステリー』の語源は『子宮』だって。郡山先生の小説に登場する『ヒステリー』を起してる男性って、男性なのに子宮が有るんですか?」
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