第51話 緊急事態発生

 羽交い絞めにして膝の上に乗せていたコアラを開放してやる。

 俺から抜け出したコアラはさっそく毛皮の間からユーカリの葉っぱを出してもしゃもしゃし始めた。

 一方、俺の開いた膝にはニクがすかさず我が物顔で腰を降ろし、いつものように鼻をヒクヒクさせ頭を下げる。

 ニクがやったらめったら尻尾を振っているけど、これ、撫でろって言う事か?

 

 ニクの背中を軽く撫でたら、満足気に目を閉じ尻尾のフリフリも止まった。

 一応、これ懐いているのかなあ。

 ニクともしゃもしゃ中のコアラに交互に目をやる……どっちもふてぶてしいな、おい。


「すごい光景ですね」


 料理を大皿に乗せたモニカがコトンと折りたたみ机に大皿を置く。

 

「なんかこう、アレだろ。可愛げがないというか」

「とても絵になります! 可憐なソウシ様と愛らしいニク。そして、おいしそうにユーカリをほうばるコアラ様……ええ、素晴らしいですとも」

「お、おう……」


 両手を頬に引っ付けて、幸せそうに目を閉じるモニカに対し乾いた笑いが出てしまう。

 彼女の美観が大丈夫なのか時々心配になるよ。

 

 それにしても机から漂う香ばしい匂いにお腹が悲鳴をあげる。

 ゴクリと喉を鳴らし、机の上へ目を移す。

 

「焼き鳥か!」


 鉄串に刺さった一口大に切り分けられた肉が、四つ並び、その全てがこんがりとキツネ色に焼けて……たまらんなこれ。

 焼き鳥というよりはバーベキューの肉串に近いかもしれない。

 

「フロヒロ鳥です。岩塩を振っただけで申し訳ありませんが」

「いやいや。これがいいんだよ。俺はタレより塩の方が好きだ」


 さっそく手を合わせ「いただきまーす」をしてから、串を手に取る。

 うひゃあ。鼻にかかる湯気がもう、「早く食べて―」と言っているようだ。

 食べるとも。食べるさ。

 

 ぱく。

 お、おおお。野生の鳥だけに少し硬いが、その分うま味が凝縮されている。

 脂身も鶏より少ないけど、それがまた塩とよく合っていて――。

 

「おいしい!」


 思わず全力で叫んでいた。

 森に入って狩ってきたものだから、喜びもひとしおだな。うん。

 フロヒロ鳥を狩猟したのはモニカだけど……。

 

「お気に召していただき良かったです」

「モニカも食べてね」

「はい。頂かせていただきます」


 モニカも手を合わせ、鉄串に手を伸ばす。

 彼女が肉を齧ったところまではよかったが、熱かったのかむせてしまった。

 

「そっちの方が熱いのかな。じゃあ、こっち食べる? 俺は熱いの平気だから」

「い、いえ……」

「ほら、こっちはそんなに熱くない」


 ワザとらしく肉をふーふーすると、モニカがやっと頷いてくれる。


「承知いたしました。こちらと交換いたします」

「うん」


 一個減っててすまないな。


「あ、モニカ。これも食べちゃっていい?」

「え、あ、いえ……はい」


 モニカが三分の一ほど食べた肉を一息で口に入れる。

 さ、さすがに少し大きかったらしい。

 こいつは焼き鳥というよりバーベキューの肉串だというのはさっき説明した通りだ。

 一つ一つの肉の大きさは拳の半分ほどある。

 熱さは大丈夫だけど、喉に詰まりそうになる。

 「大丈夫、大丈夫」と手で示すものの、モニカが笑いを堪えているのか頬が真っ赤になっていた。

 いやもう、笑ってくれていいんだぜ。

 「交換しよう」なんて言っていて、今度は自分がむせたんだからな……。

 

「もしゃ……バカップルか」

「ぶは!」


 コアラが変な事を呟くから、またむせたじゃないかよ。

 お前はユーカリだけ食べてたらいいんだ。


「コ、コアラ様、決してそのようなことは。ソウシ様はあの、その、ですね。麗しい……ではなく可憐で」

「モニカ、分かった。分かったから、串を振り回すのをやめよう。肉がすぽーんしたら事だ」

「も、申し訳ありません」


 彼女にしては珍しく酷く動揺して、自分で何をやっているのか分からなくなっているんだろう。

 淑女が肉串をぶんぶん振り回していたとか、俺の心のメモリーだけに留めておくよ。

 他の侍女がこの光景を見たらどんな顔をするか想像すると……ごめん、大笑いしそうだ。

 

「そ、そうだ。コアラ」

「ん?」


 あからさまに話題を変えるためにコアラへ話を振る。

 ちょうどユーカリの葉を食べきったコアラが、こちらに顔を向けた。

 

「コアラってコアラだよな?」

「何を当たり前のことを。そういうことか」


 何やら一人で納得しているコアラ。

 鼻に指先を当て、「ふむ」と頷くがその表情が結構うざい……。

 じとーっとした目で奴を見ていたら、ボソッとコアラが言葉を続けた。

 

「別に同性でもいいじゃないか。百合だって別に構わんだろ。人間だもの」

「……そのうざい顔を叩き斬ってやろうか」

「まあいいじゃないか。別にコアラに知られても人間社会に知られるわけじゃない」

「いや、だからだな」


 話題は変わったが、こういう展開を望んでいたわけじゃない。

 頭を抱えつつ、キッとコアラを睨む。

 

「勘違いしているようだから言っておく。俺はれっきとした男だからな。格好からしてそうだろ」

「髪の毛が長いのが雌じゃないのか。別に雄雌なら普通じゃねえか。ナイーブなところに触れてしまったと思ったオレの繊細な気持ちを返せ」

「開き直ってるし……」


 まあいいや。

 モニカが口に両手をあて、くすりと笑ってくれた。

 もう彼女には先ほどまでの動揺は見えない。

 

「じゃ、食べよっか。話をしている間に更に冷えただろうし」

「はい」


 コアラを放置し、再び食べ始める俺たちなのであった。

 コアラがやけに人間の美醜に詳しいと思ったから、聞いてやろうと思っていたけど……所詮は獣だったってわけか。

 

 食事の後、コアラにもウォッシャーをかけてやろうとしたが、「ユーカリの葉がもげる」とか言ってそそくさと逃げていった。

 あのモフモフした青みがかった灰色の毛の中には、一体何枚のユーカリの葉が仕込まれているんだろう。

 馬鹿らしくて問いかける気もないけどな。

 

 ◇◇◇

 

 本日は朝からモニカと一緒に一階へスパイスとハーブを持ち込んで、すり鉢祭りをしている。

 俺の担当はスパイスだ。

 すり鉢で次から次へとスパイスをすり潰し、粉にしていく。

 一方で、モニカの担当するハーブはすり潰すものと、葉っぱのまま残しておくものを分ける必要がある。

 俺がやると間違える可能性もあるから、ちゃんと分けないといけないものは彼女に任すのが良い。

 いや、最初は俺がハーブをやろうとしたんだけどさ、「ソウシ様はこちらで」とスパイスを渡されてしまったんだ。

 

「よおっし、次だー」

「ソウシ様。あまりはやくすり潰しますと、熱を持ってしまいます。こう、ゆっくりと」


 モニカが手本を見せてくれる。

 なるほどな。摩擦熱でスパイスの品質が悪くなるのか。

 ゆっくりと、ゆっくりと……だああ。これじゃあ、すり潰せない。

 力の込め方が難しいな。

 

 落ち着け、まずは落ち着くのだ。俺。

 大きく深呼吸をした時――。

 

『緊急事態発生。緊急事態発生。何者かがこちらに接近しています』


 頭の中に突然声が響く。

 

「モニカ」

「どうされたのですか? ソウシ様」

「モニカには聞こえないのか?」

「何がでしょうか……?」


 はてと小首をかしげるモニカ。

 顎に手を当て、この事態が何故起こったのか思い当たる節を……ってこんなことをするのはコアラしかいないだろと、考えるまでもなかった。

 そもそも、ここにはモニカとコアラと俺しかいない。モニカじゃなかったら、コアラ以外にいないので消去法でも犯人がコアラであることは明らかだ。

 

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