9 特異点の男が得た力
「フフ……」
アオイとの通話を切ったルシフェルは、意味もなく携帯端末を放り投げ、ヘリが下降してくるのを待った。
巻き起こる風に髪とスーツを靡かせる。
ポケットに片手を突っ込みながら体を斜めに傾け首を振る。
別に誰が見ているわけでもないが、どんな時でも格好をつけるのがポリシーだ。
ここはラバース横浜ビルの屋上ヘリポートである。
東には東京湾と海を挟んだ房総半島。
西には丹沢山地や富士山。
北西には甲府盆地に建設中のラバース新社屋のハイパービルディングもよく見える。
我は地上を睥睨する者。
ルシフェルは王者の気分を味わえるこの場所が好きだった。
「ご機嫌だな」
そのルシフェルに声をかける男がいる。
男は異様な格好をしていた。
黒一色の地面まで届く長いコート。
肌はほとんど露出せず、唯一見えるのは口元だけ。
鼻より上は真っ白な仮面で覆われている。
「ようやく親父を出し抜くことができるんだからね。すべてあなたのお陰だよ」
「それはよかった。俺も協力した甲斐があるってもんだ」
「しかし、なぜ僕に力を貸してくれたんだ? あなたは親父の友人だと聞いている。それにもうラバースには関わらないという約束だったんじゃないのか?」
「最初の質問から答えよう。君の作り上げたものが魅力的だった。それが力を貸す理由だ」
ルシフェルは思わず頬を緩めた。
自分が丹精を込めて作った作品を褒めてもらうのはやはり嬉しい。
ちょっとした芸術家の気分である。
「さすがお目が高い。あなたが
彼の協力を得たルシフェルの夢は加速度的に実現に近づいた。
ちょっとしたチートみたいなものだが、この幸運を利用しない手はない。
「ところで、あなたが使っていた≪
「あれは単なる武器だよ。昔は役に立ったけど今の俺には必要ない。もっとも、武器としての威力は未だにすべてのJOYで最強だけどね。受け継いだ『彼』はそれをより進化させたみたいだ」
『彼』というのは親父の子飼いの能力者のことか。
本社には傘下企業の能力者組織とは比べものにならない強力な使い手がいる。
L.N.T.第一期生の生き残りと言われる特殊部隊が。
「まあそれはどうでもいい。とにかく協力を感謝するよ、特異点の男」
「へえ? 俺は君たちの間でそんな風に呼ばれているんだ」
「あなたが残した
「そうなるといいね。この世界は退屈しないから好きだよ」
「あなたの日常は退屈なのか?」
「現在、試行錯誤中だね」
仮面の男は遠くを見ながら呟いた。
ほどなくしてヘリが彼らの傍に着陸する。
やかましかったプロペラ音も次第に鳴り止んだ。
「なんでもできるってのは飽きとの闘いなのさ」
「そうか。そうだろうね」
ルシフェルは再び北西を見た。
山々の先にある甲府盆地に建設中の新社屋。
遙か遠くにあってもはっきりと見える、山より高い巨大な建造物だ。
完成すれば高さ一万二千メートルを超えるアーコロジーになる予定。
建物の上階部分はそのままラバース本社の新社屋になると聞いている。
一つの建物が街として完成された夢物語のような壮大なプロジェクトだ。
「君の父親の新生浩満は現実の支配拡大にばかりご執心で、夢を見る気持ちを忘れかけているんだ。それがさっきの二つ目の質問への答えだよ」
彼がルシフェルに与えてくれた力。
その一遍が『命の創造』である。
彼はルシフェルの作った世界に本物の命を与えてくれた。
L.N.T.の物語で語られた数々のJOYの起こす奇跡とは次元が違う。
神器と呼ばれたJOYすら歯牙にもかけない、この宇宙の『外側』の力。
彼が手にした無限に等しき絶大なる力。
まさしくそれは神の力と言って良いだろう。
「僕の目的は親父の理想と相容れないぞ。自分の趣味だけで完結させるつもりもない」
「わかっているよ。君は自分の望むままに立派な『世界』を作り上げればいい」
さすが、よくわかっている。
ルシフェルはもう喜びの表情を隠さなかった。
仮面の男は身を翻し、屋上の端へと向かって歩いて行く。
「それじゃ、俺は行くよ」
「ああ。本当に助かったよ。僕に出来ることがあったらなんでも言ってくれ」
「気を遣わなくていい。君は自分の理想のため存分に浩満の邪魔をするといい。それを見物するのが力を貸す見返りと思っておくからさ」
「わかった。機会があればまた会いたいね、今度はゆっくりと話をしたい」
「そのときを楽しみにしているよ。じゃあね」
「さらばだ。特異点の男……ミイ=ヘルサード」
ルシフェルが振り向いたとき、すでに仮面の男の姿はどこにもなかった。
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