7 現実を侵食する仮想生物

 現実に存在するはずのないバケモノ蜂。


「なんで……」


 あれと同じものをシンクはつい最近見ている。

 ルシフェルの仮想世界で見たものと全く同じものだ。


 シンクはまず壁の掲示物を見た。

 風邪の予防、近所の催事のお知らせなど、様々なポスターが並んでいる。

 書かれている文字はしっかりと読めた。


 次に携帯端末を取り出して電源を入れる。

 時計アプリが表示され、通常通りに動いていることがわかる。


 極めつけは直後に聞こえてきた叫び声だった。


「きゃあっ!?」


 病室から出てきた看護婦が巨大蜂を見て叫ぶ。

 驚いて壁に背中を打ち付け、その場で尻餅をついた。

 廊下の奥には杖を突いて歩く入院中のじいさんも見える。


 ここは仮想空間ではない。

 なのに、なんであれがいるんだ。


 へたり込んでいる看護婦の横を通る巨大蜂は彼女を襲う気配は見せない。

 一般人は攻撃しないのかと安堵した瞬間、ソフトボールほどもある真っ黒な目がこちらを見た。


 巨大蜂は耳障りな羽音を響かせて急接近してくる。

 シンクはポケットからジョイストーンを取り出して身構えた。


 だが、それより先に動いた者がいた。


「やあっ!」


 レンである。

 いつの間にか青山の腕から逃れ、床を蹴り、わずか二歩で巨大蜂との距離を詰める。

 超身体能力の『武』と戦闘エネルギーの『闘』、二つの文字が両手の甲に浮かび上がっている。


 跳躍しつつ針を掴み振り回して壁に叩きつける。

 さらに空中で縦回転して追撃の蹴りを叩きつけた。


 連続攻撃を受けた巨大蜂は地面に落ちるよりも早く色を失う。

 形が崩れ無数の粒子となって虚空に散った。

 仮想空間で見たのと同じ現象だ。


「すごい殺気でした。やっつけちゃったけど、大丈夫でしたか?」

「ああ。助かった」


 あれは腹を空かした猛獣と同じだ。

 何の理由もなく目についた敵を襲ってくる。


 近くの看護師ではなくシンクたちを狙ったのは、能力者を優先して攻撃するようプログラミングされているためだろうか?

 だが、そんな仮想生物が存在できるのはあくまでバーチャル世界の中だけの話だ。


 あんな生き物がこの世に実在するわけがない。

 やはりいつの間にか仮想世界に閉じ込められたのだろうか。

 この前と違って現実と見分けが付かないほど精巧な世界に、一般人まで巻き込んで……


 シンクの思案を打ち消すように音楽が鳴った。

 二つの音が同時に聞こえてくる。


 片方は一日に一度は街中で聞こえてくるアイドルグループの曲。

 もう片方がやたらとガチャガチャうるさいインストゥルメンタルの音楽だ。


「あ、メールだ。シンクさんちょっとすんません」

「あたしもー」

「病院だぞ。着信音くらい切っておけよ」


 どうやらツヨシとミカの携帯端末が鳴った音だったようだ。

 シンクは二人を叱って、とりあえず病院から出ようとしたが、


「し、シンクさんっ」

「なんだようるせえな」

「これ見てくださいよ!」


 ツヨシは自分の携帯端末をシンクに差し出してくる。

 新しい物好きなツヨシが先週の発売と同時に買ったと自慢していた新機種である。

 彼が見せてきた画面に表示されていたのは、送られてきたばかりのメッセージアプリの文章だった。


『アミティエの全能力者たちへ告ぐ。

 たったいま、ALCOによる大規模テロが確認された。

 奴らは奇妙な合成生物を放ち無差別に人々を襲わせようとしている。

 諸君、今こそ立ち上がる時が来た。

 即座に周囲の仲間と連絡を取り合い、何よりも優先して合成生物を駆逐せよ。

 人払いの使用は不要だ。

 日々の活動で培った能力を惜しみなく発揮し、市井の人々に仇なす邪悪な敵を滅ぼすのだ!』

 

メールの送り主の名前は『厨二病』となっていた。

 ツヨシがその名で登録しているのはもちろんルシフェルである。

 知性のかけらも感じられない大仰な言葉遣いは間違いなくルシフェルの言葉だった。


 アミティエ全員への一斉送信か。

 ミカに送られてきたメールも同じ内容だろう。


「合成生物って……ALCOのやつら、あんなものまで作ってるのかよ」

「違う」


 ツヨシの呟きをシンクは即座に否定した。

 ALCOは関係ない、あの化け物はルシフェルが作ったものだ。


 反ラバース組織のせいにしようとしているのか?

 何のために?


「まさか……!」


 もう一度メールの文章をよく見る。

 その中にアミティエが活動する上で絶対に許されない一文があった。


『人払いの使用は不要だ』


 JOYやSHIP能力者という存在はまだ世間に知られていない。

 超能力が実在して、人の目に触れないところで日々争いが行われている。

 そんなことが公になってしまえば社会にどのような影響が起こるかわからない。


 ある者は危険と認識し反発するだろう。

 ある者は自分も力を得たいと望むだろう。


 アミティエの活動はあくまで秘密裏にSHIP能力者を拘束し保護することだ。

 一般人にバレないよう活動をするには人払いの能力は絶対必須である。

 それを不要と言うことは……


「テレビを!」


 シンクは病室に戻った。

 ベッドの横に備えられたテレビがある。

 電源を入れようとして、有料カードが必要なことに気づく。


「テレビならこれで見れるっすよ。どこがいいっすか」


 ツヨシはまた携帯端末を差し出した。

 表示されているのはテレビ視聴アプリのメニュー画面である。


「どこでもいい。ニュースをやってるところだ」

「って言ってもこの時間じゃ……あっ」


 驚きの表情を張りつかせながら画面を操作するツヨシの手が止まった。

 何があったか聞くのももどかしく、携帯端末を奪い取る。

 画面には予想通りの光景が映っていた。


『……ように、突然現れた現れた謎の怪物によって平沼駅周辺は大変な騒ぎになっています。現在入ってきた情報によると、怪物は久良岐市及び南橘樹市の至る所に出現し』

『……角の生えた馬が三五七号線路上で目撃され』

『……ご覧いただけるでしょうか、これは作り物の映像ではありません! 川崎本町駅前に突如現れたモンスターと、それと戦う謎の少年たちの集団は』


 どの局も特番で流すのは至るところに出現したモンスターのこと。

 しかも最後に映っていたモンスターと戦う集団はアミティエ第二班の奴らだった。


「なんてことだ……」


 彼らはこともあろうに全国放送でJOYを披露している。

 どうやったのかは知らないが、仮想世界の怪物が現実に現れている。

 ルシフェルの野郎はそれを使って自作自演で能力者の存在を公表するつもりだ。


「ね、ねえ。シンクくん。これっていったいどういうことなの……?」


 ミカが不安そうな顔で尋ねてくるが、シンクは答えられなかった。


 これはあのバカの暴走なのか。

 それとも能力者組織全体が下した決定なのか。

 もしくはラバースコンツェルンが何かとんでもないことを考えているのか。


 わからないが、確実なことが一つだけある。

 今日を境に社会の常識と能力者たちの生活が確実に一変してしまうということだ。

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