1-13 宵闇の友情2

 出遅れたタラシネ皇子は、退路を探すべく周囲をカンテラで照らした。だが一本道、前も後ろも挟まれていた。逃げ場はなかった。刺客の数は十人もいないだろう。それでも押し殺した息の向こうに、訓練された人間のにおいを感じた。

 タラシネ皇子は剣の柄に手をかけ怒鳴った。


「どなたに刃を向けているか分かっているのか!」


 返事はない。数人がタラシネ皇子を警戒したが、剣を抜く気配のないタラシネ皇子に切りかかってくる者はいなかった。明らかに王だけを狙っていた。

 王はたった一人、剣を振るった。黙って三人目の首を薙ぐ。空いた左手で相手の剣を逆手に握った。そのまま腰を落とし大きく後ろに振り抜き、背後にいた刺客の腹に突き立てた。

 刺客の男は腹筋に力を入れ腹に刺さった剣を止め、王の腕を掴み、後ろに倒れた。体勢を崩された王は素早く逆の手に剣を握り替え、剣を引き抜いた。刺客はそれでも王の手を離さなかった。王は躊躇なく自分の腕を握る刺客の腕を切り落した。

 暗闇の中、刺客たちは息をのんだ。それでも、手練れの集まりだ。仲間が作ったわずかな隙を逃さなかった。


「トオオオッ」


 二人が同時に王に襲い掛かった。

 王は上段に構えた剣で二本の剣を受け止めた。だが二人分の力は簡単には押し返せず、地に片膝をついた。王は歯を食いしばった。解放された左腕にも鈍い痛みが走る。王は獰猛に視線を走らせた。刺客の向こうのタラシネ皇子は数人に囲まれているが、剣を抜く気配はみえなかった。

 別の刺客が正面から王に近づく。ゆっくりと剣を振りかぶった。

 黒一色の夜空、浮かぶ満月を刺客の剣が串刺し、鈍色の刃が月光に揺らめいて見えた。


「死ね!」


 刺客が剣を振り下ろす。王は嗤った。


 刺客の腹を細身の剣が貫いた。音を立てて刺客が倒れる。 


「死にたいのですか!」


 タラシネ皇子は血濡れの剣を手に怒鳴った。

 タラシネ皇子の後ろにはタラシネ皇子を取り囲んでいた刺客が数人手傷を追って転がっている。突然参戦したタラシネ皇子に刺客たちが動揺した。

 王はその隙を見逃さなかった。即座に二本の剣を受け止める手の力を抜き、態勢を崩した刺客たちを容赦なく蹴り飛ばし、立ち上がった。


「お前がいた」


 そのまま一歩、大きく踏み込んでタラシネ皇子の横をすり抜け、タラシネ皇子が手傷を負わせた一人がタラシネ皇子目掛けて投げた剣を振り払った。


「甘いことだな」


 振り返ったタラシネ皇子が見たのは、タラシネ皇子の背中を狙った手負いの刺客にとどめを刺した王だった。


「あいにく私はあなたと違うのです。そう簡単に殺すわけにはいかないのです。それに私が来なかったら――」


 言いながら、タラシネ皇子も王の背後を狙う刺客に剣を突き刺す。

 そのまま王とタラシネ皇子は背中合わせ、ぐるり取り囲む刺客と対峙した。

 タラシネ皇子の剣を握る手が汗ばんだ。すでに数人に手傷を負わせている。立場を考えればこれ以上動くべきではない。分かっていた。

 それでも――。


「来るさ」


 背中越しに伝わる自分への信頼。

 手応えに、タラシネ皇子の胸が跳ねた。気取られないように、静かに息を吐き、目の前の刺客に視線を走らす。

 手を出すはずがないと思っていたタラシネ皇子の突然の参戦に戸惑ったようだったが、それも首領格の男の目配せで霧散した。一段と殺気立つ。

 二人の鼓動が重なっていく。タラシネ皇子は覚悟を決めた。


「助太刀します」

「感謝する」


 言葉はそれで十分だった。あとは互いの息を合わせながら、暗闇の中、二人は襲いくるだろう相手の呼吸を探った。

 王の剣が実践で鍛えられた剣なら、タラシネ皇子の剣はお手本のような剣捌きだった。とはいえ、戦場を経験しているタラシネ皇子、その剣にさっきまでの迷いはない。細い切っ先が、闇の中、過たず相手の急所を貫いた。

 タラシネ皇子の存在は計算外だったのだろう。刺客たちがじりじりと後退する。


「捕えますか」

 最後の一人になり、タラシネ皇子は王に訊ねた。

「いらん」

 王が冷たい目で答えるのと、刺客が奥歯に仕込んだ毒を飲むのは同時だった。

「ありゃ」


 静かな夜が再び訪れた。




 王の外套は返り血に濡れていた。ギミナジウスの夜のキンと冷えた空気に、血が香った。

 王は倒れた男たちの覆面を外すと慣れた手つきで懐を探った。タラシネ皇子は転がったカンテラに火を入れ、王の手元を照らした。身元が分かるものは何もないが、街の荒くれ者といった風でもない。騎士かそれに準ずるものと見て取れた。


「これが国を売った理由ですか?」


 どの家に仕える者かは分からないが、これだけの手練れを抱えて動かせる者となれば絞られてくる。中継ぎの王を殺して得をするものなどいない。それでも狙うとなれば、それなりの事情があるはずだった。

 王は黙って立ちあがった。


「さあな。この国が腐っているのは確かだ。私はこの国を侵すものを排除する、それだけだ。リドゥナを取ってくれたことは感謝する。だがこれ以上はやめておけ」

 王は死人の服で剣の血を拭くと、タラシネ皇子を振り返った。


「マルドミの皇子では、やはりだめなのですか?協力者、いえ、友にはならないと?」

「旅の商人なら許されても、皇子には無理だ。……命をかける。その覚悟がなければ、やめておけ。これのことは対処する」


 端から王はリドゥナを取った時点で手を引かせるつもりだったのだ。タラシネ皇子はそう理解した。


「命なら、今、あなたのために剣を振るったときにかけています。友好国でない場所で刺客とはいえその国の民を殺す。その意味が王であるあなたに分からないわけではないでしょう。それでも私は剣を振るった。それでも信じるに足らぬと仰るのですか」

「死ぬぞ」


 王は断定した。理由もこれからの説明も何もない。強い瞳だった。色に溺れた暴君。そう噂される人間の目ではなかった。中継ぎの王、膿を出すために演じているのだとしたら……。導きだした答えにタラシネ皇子の背中を冷たくも熱い何かが走った。

 手を引いた方がいいということは分かっていた。それでも口をついて出たのは反対の言葉だった。


「修羅場なら生まれたときからくぐってきました。今更、一つ二つ加わったところで大した違いはありません。私はあなたが思うよりしぶといのですよ。力になりたいそれだけです」


 マルドミの後宮では六歳になるまで生きていた子供だけが皇帝の子として認知される。後宮で生まれ育ったタラシネ皇子にとって、死など常に隣にあるものだった。


「物好きな」


 カンテラの灯りに 互いの表情が照らされる。その中に確かにタラシネ皇子は信頼を見た。タラシネ皇子は剣帯を外すと王に差し出した。


「あなたとの友情の証に」


 自分の身を守るものを相手に預ける。力こそ全てのマルドミ帝国において最上級の信頼の証だった。王も自らの剣帯を外し、タラシネ皇子に渡した。


「では、これより先は、セドの売主と参加者として。手控えはしないでください」

「むろんだ」

「膿を出すようにしますが、その過程でもし私が王になることになったら……」

「構わん」

「え?」


 辞退しますと言いかけていたタラシネ皇子は目を丸くした。不穏分子をあぶりだすためのセドだと、それが終わればこのセドも終わるのだと思っていた。


「……このセドは本気なのですか?」

「セドに後戻りはない」


 王の瞳は静かだった。

 嘘を言っている目ではなかった。それならば、この王は真実国を売るつもりなのだ。どこかで疑っていたタラシネ皇子は覚悟を決めた。

 誰かが通報したのだろう。警備隊の笛の音が鳴った。呼応するように鳴り出した笛に、王は傲慢な王そのものの顔で顎をしゃくった。

 タラシネ皇子は会釈すると、その場を足早に立ち去った。

 警備隊の笛の音が遠くなったころ、タラシネ皇子は足を止めた。民家の影から一人の男が現れた。副官のカーチスだった。いかにも護衛といった大柄なカーチスはタラシネ皇子が隣にいなければ牢に放り込まれそうなほどの強面だ。


「手筈はどうだい?」

「すでに万全に」

「そうか、よろしく頼むよ。トリにも繋ぎを取ってくれ。どうせ膿を出すのなら徹底的にしたいからね」

「ハッ。皇子一つよろしいでしょうか」

「なんだい?」

「あまり無茶をされない方が。あくまで博士の遊学の付き添いなのですから」

「心配はいらないよ。ただ、友だちのためには何かしたいものだろう?」


 皇子は上機嫌に目を細めた。


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