1-7矜持と保身2

「オウメイ?」

「どういうことだ!このセドは手違いだってあんた言ったよな」


 首を傾げたハルとは対照的に、ひげ面の男と赤髪の男はユビナウスに詰め寄った。

 王使がやってきて、王との謁見を命じられる。事態が把握できなくとも、何か大きな揉め事に巻き込まれているということは、セドに生きる男たちだ。すぐに察知できた。


「手違いとはどういうことだ、ユビナウス殿」

 フリューゲルスは蹄鉄の音二つ、ユビナウスに馬を寄せ、睥睨した

「手違いですよ。フリューゲルス隊長。国がセドに出され、そのリドゥナにはなぜか王の押した記憶のない御璽も総史庁の許可印もある。ならば総史庁の文官として間違っているリドゥナは回収するのが筋というものでしょう」


 ユビナウスは馬から下りようとしない相手に肩をすくめた。


「勝手に、か」


 フリューゲルスは眉根を寄せた。


「総史庁はセドの内容に口を挟んだりしません。売ってはならぬもの、その者の意と反して売られる者がないように監督するものです。売主の許諾なく売られようとしているものは止めるのが道理」


 整然と返したユビナウスに、フリューゲルスの顔から表情が消える。


「王が売ると仰せになっているのにか」

「そうですね。手続きの問題を言わせていただくのなら、今回のセドは廃棄し、それでもなお王が国をセドに出したいと仰せなら正規の方法でリドゥナを出していただく分には構いませんが」


 手続きさえ合法なら国売りも認めるともとれる発言に、ユビナウスの後ろでマハティが青ざめた。


「そなた、王が国を売るのを認めるというか」


 フリューゲルスは気色ばんだ。

 ユビナウスは静かにフリューゲルスを見上げた。


「先ほどと仰っていることが違いませんか? フリューゲルス隊長。私は総史庁の文官です。認めるも認めないもありません。売りたいという方がいればそれを審査し、法に則ったものであれば許可印を押す、それだけです。ただ一言、言わせていただくのなら、国売りのリドゥナが持ち込まれたとして、それに許可印を押す愚か者は総史庁にはいない、とだけ申し上げておきます」

「総史庁の許可印が押してあったのに、か?」

「はい」


 ユビナウスは答えた。その目にも腹から出された声にも強い意志があった。


「それでも許可印は押してあった」


 フリューゲルスは憮然と首を振った。


「そうですね」


 ユビナウスも頷いた。そこは認めるしかなかった。


「えっ、てことは、これは」


 事の成り行きを見守っていた男たちが顔色を変えた。マハティに駆け寄った。


「そうだな。兄ちゃん返す、返すわ。手違いだった」

「そうだ、手違いだからな」


 我先にとリドゥナを押し付ける。だが王使まで出てきた以上、内々に回収できるはずもない。


「残念です。私もできれば穏便に解決しようと思ったのですが。皆さんの決断が少々遅かったので……。仕方ありません。腹をくくってセドに参加してください」


 ユビナウスは男たちの手を掴み、笑顔でリドゥナを押し戻した。見事な手のひら返しに、マハティは目を見張った。男たちも同様だった。


「いやちょっと待てよ、あんた、いやユビナウス様。さっき自分で手続きが大事だって――」

「そうです、ユビナウス様。あの俺の分だけでもなかったことに――そうだ、辞退を」


 セドには意図せず参加の意思を示した者が途中で辞退を申し出ることも認められていた。競り落とすつもりだったが、予算を超えてしまい泣く泣く辞退することも珍しいことではなかった。


「ユビナウス殿」


 フリューゲルスの鋭い声に、ユビナウスは「分かっていますよ」と力なく笑みを返し、男たちに向き直った。


「申し訳ありませんが、あちらの騎士は近衛の隊長ですからね。私があなたたちをかばいなどしたら、私の首がとびます。私も自分が大事なので。まあ、人生、何事も経験ですよ。セドは一攫千金。あなたが国王になれるかもしれませんしね」

「……そんな、謀反の疑いで殺されたりしませんか」


 男たちに先ほどまでの勢いはなかった。青い顔でユビナウスの腕にすがった。


「……まあ、どうでしょうかね。このセドを止めようとした宰相には剣を突き付けていたと聞きましたが、まあ大丈夫でしょう」


 どう聞いても大丈夫とは思えない情報をさらりと流し、ユビナウスは踵を返した。その後にマハティも続く。

 もはや自分たちの領分は越えた、といわんばかりの様子にブロードはぴしゃりと額をたたいた。


「おいおいおい」


 予想はしていたが、目の前に突き付けられた事実に、力なくハルを見た。


「ブタ、間違いはなし?」


 つぶらな目で問いかけるハルに、間違いとはいったい何のことを言うのか、とうっかり深遠な迷路に入りかけたブロードだったが、繊細な事実がおそらく確実に、ごっそり抜け落ちているハルに力なくきいた。

「一応確認するが、お前、このセドやるのか?」

「私、できる、ます」


 ハルは胸を張った。ブロードは事の重大さが全く分かっていなさそうな相手をじっと見た。


「です、な。わかった。だけどこのセドは厄介なことになりそうだ。余計なこと喋るんじゃないぞ」

「はい、お口にチャック」

 ハルはしかつめらしく頷いた。

「まったくどこまで分かってんだか。で、あんたは?」


 ブロードはがしがしと髪をかき、静かに事の成り行きを見守っていた青年に目をやった。


「王にお目通りできるとは、何よりの土産話になります」

「そうかい」


 微笑む青年の現実感のない答えに、ブロードはセドがなくならなかったと笑うハルの頭をぐしゃっと撫でると、無意識に腰の剣に手をのばした。

 どこまでも事の重大さを理解しているとは思えない二人に、ブロードはらしくもなく大きなため息をついた。強張った顔の青年の従者の方がまだ現状を理解していそうだった。



 野次馬たちに見送られ、一行は早速城へと歩き出した。

 馬に乗ったフリューゲルスの横をユビナウスが歩く。その後ろに、マハティと蒼白な顔色の男二人、意気揚々としたハルが続く。ブロードはハルから少し離れた位置、最後尾の青年の斜め前を歩いた。

 商家が軒を連ねる通りを抜ければ野次馬も減り、華やかなレンガが敷き詰められた貴族街だ。

 道づくりを一つの産業にのし上げたギミナジウスの技術と装飾性がいかんなく発揮された貴族街の石畳は、実用一辺倒の街の道とは一線を画す。大きなレンガを埋め込み、特注の染料で鮮やかな絵を描き出した区画もあれば、その隣の区画は細かく粉砕したレンガや石をを張り付け固め、細かな幾何学模様で紋章を浮かび上がらせている。各領地が割り当てられた区画で技術と意匠を競い、色合いも模様も技法すらも異なるレンガが並ぶ。足元を見れば統一性など見えないが、一たび視線を上げればそれらは緩やかに色を変え、城までの道のりを鮮やかに彩る。

 今は、正午の打ち水が太陽の光に煌めき、鮮やかなレンガがさらに輝いていた。


「見事なものだ」

 青年は感嘆のため息をついた。

「各領地の競い合いだぞ」

「それでも、見事だ」

 白けた様子のブロードに、青年は首を振った。



「なぜ近衛の隊長であるフリューゲルス殿がこのようなことを?本来なら伝令の役目でしょうに」

 ユビナウスは馬上のフリューゲルスに声をかけた。同時期に登城したフリューゲルスは親しく話すような間柄でもないが、知らない顔ではなかった。

「それを言うなら、お前とてそうだろう。第三席が現場に出るとは、何かやましいことでも?」

 フリューゲルスは後ろをちらと見て、返した。


「そこは、ほらあれですよ。ことがことですからね。新入りには荷が重いでしょう」

「……奇遇だな。うちもだ。それにしても素早い対応だったな。王命をうけ、馬を駆けた私より早く事態の収拾を図っているとは。まるで何が起こるかを知っていたかのようだ」

 フリューゲルスはユビナウスを睥睨した。


 返答如何では捕縛するつもりだ。聞き耳を立てていたマハティはフリューゲルスの言葉の意味するところに身を縮こまらせた。王の意を伝えるだけなら伝令でいい。王直属の捜査権をもつフリューゲルスが王使としてやってきたのは、もしここに犯人がいたらこの場で処断するためだ。そうとしか思えなかった。


 ユビナウスもその意図に気付いているだろうに、そんな素振りは見えなかった。

「それはほら、うちの新入りは宰相が書記官として手元に置こうとしたくらいの優秀さですからね。それくらい容易いことです。それに国売りのリドゥナを止めるために謁見の間に飛び込むくらいの度胸の持ち主でもありますからね」

 誇らしげにマハティを振り返った。


 フリューゲルスはしばらくユビナウスを睥睨し、マハティに目をやった。

「ほお。よく、生きていたな。それにしても総史庁を志願とは珍しいな、貴族だろう?これの下で不満はないのか」

「領地をもたない中級貴族ですから」


 マハティは何度も繰り返した理由を述べた。

 公平さを要求される総史庁で利権を多く持つ貴族ほどその立ち回りは難しくなる。身内可愛さに贔屓することは許されない。軍属よりも日常的に自らを試されるのだ。自然、総史庁を志望する者は少なくなる。貴族が自ら総史庁に仕官するのは異例だった。


「お父上は何を?」

「都の外れで農園を経営しております。貴族の仕事よりそちらの方が性にあっておりますようで、細々とですが。幸い儲かりもしませんが赤字になることもないようで」

 マハティは小さく頭を下げた。

「身上調査はそのくらいでよいでしょう」

 ユビナウスが間に入った。

「ならばお前か?」


 フリューゲルスは追及の矛先をユビナウスに向けた。

 ユビナウスは大げさに肩をすくめた。


「私はこの十日、ずっと城を休んでいました。許可印も触っていません。おかげで、今ここに駆り出されている、それだけです。疑うのなら調べてください。ですが、言わせていただくのなら、城の警備が甘いのでは? 御璽を何者かに押されたということは不審者を見過ごしたということでしょう?」

「我らの手落ちと言いたいのか」


 冷たい印象のフリューゲルスの顔に初めて感情がのった。ユビナウスは静かにフリューゲルスから一歩離れた。


「やめましょう。お互い使われの身でしょう。それに――」


 ユビナウスはフリューゲルスの向こうからやってくる馬影に目をやった。


「もっと厄介なことが来たようです」

「何?」


 フリューゲルスは振り返った。先頭を走る人物に目を見張った。


「ラオスキー侯爵、だと?」

「フリューゲルス殿、あなたがどのような目的でいらしたのかは存じませんが、今のあなたはあくまで伝令。ここから先はこのセドの担当をする私に従っていただきます」

「ユビナウス殿!」


 王使を伝令呼ばわりとはとんでもないことだった。


「ユビナウス様!」


 マハティはユビナウスの袖を掴んだ。ユビナウスは安心させるように頷いた。


「あなたを疑うわけでも軽んじるわけでもありません。ただ、このセドは調査されます。その時このセドを進めるものは今回のリドゥナの作成に関わっているものであってはならない。それは分かりますね」

「ですが、それだとユビナウス様が――」


 公明正大を旨とするセドに疑惑のある担当官がついてよいわけがない。それはマハティにも理解できた。

 だが気まぐれな王のこと、気分一つで首がとぶのは想像するに難くなかった。


「マハティ、あなたは私を新人一人に責任を負わせる情けない人間にしたいのですか」


 ユビナウスはマハティの肩をたたくと、近づいてくる馬上の人をひたと見据えた。

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