第31話 支える想い

「イミテルが……人殺し? いやいや、意味わかんねぇよ。どういうことだ?」


 唐突にイミテルから言われた言葉にレインの頭は混乱していた。しかしイミテルの表情は真剣で、いつものようにジョークを言っているようには思えなかった。


「もしかして……記憶が戻ったのか?」

「また少しだけ……ですけど」


 イミテルはレインから目線を逸らし、絞り出すような声で言う。


「夢を見ました。ここじゃない、全然知らない場所の夢です。その夢の中で私は……命じられるままに自分の力を使って、男の人を殺しました。全部夢です。夢のはずなんです。なのに……それなのに、覚えてるんです。その時の感覚を。男の人の怨嗟の瞳も、冷たくなっていく体もっ! 全部、全部!!」


 吐き出すようにイミテルは叫ぶ。見たのはただの夢のはずなのに、まるでそれが現実であるかのようにイミテルの体はその時の感覚を覚えていた。目を覚ました後も、逃れようのない現実としてイミテルの体を蝕んでいた。夢の中で使った右手が、イミテルにはどうしようもなく気持ち悪く思えてしまった。


「この手で……殺しました。他の誰でもない。私が。教えてくださいレインさん……あれが、あんなのが私なんですか? 夢の中の私は……何も感じてなかった。死にたくないって願う男の人の懇願を聞いても、心一つ動かなかった! ただ忠実に、言われたままに動いて……殺した」

「イミテル……」

「わからないんです! あれが私なら……本当に私なら……私は……なんなんですか?」


 イミテルはレインに縋りつき、嗚咽を漏らす。記憶を失って、再び取り戻した記憶があまりにも凄惨なものだった。自分というものを知るために記憶を取り戻すしかないというのに、今のイミテルはその記憶を取り戻すことを恐れていた。自分のことが得たいの知れない存在に思えてしょうがなかった。

 レインは声を押し殺して泣き続けるイミテルにどう声を掛ければいいのかわからなかった。安い慰めの言葉なら口にできたかもしれない。イミテルもそれを求めていたのかもしれない。だが、それでもレインはその言葉を口にすることはできなかった。ただイミテルの肩に手を置き、イミテルが落ち着くのを待った。

 今はただ傍にいることに、一人ではないのだということを伝えたかったから。

 それからしばらくして、ようやく少し落ち着いたのかイミテルがレインから離れる。


「……すみません。少し取り乱しました」

「いや。気にするな。こういう時口が達者な奴なら上手いこと言えるんだろうけど……俺、そういうの苦手だからさ。ごめんな」

「それこそレインさんの気にすることじゃありませんよ。私が勝手に言って、勝手に泣いただけですから……そう思うと少し恥ずかしい所を見られましたね」

「別に恥ずかしいことじゃないだろ。自分の中に抱え込む方がよっぽど問題だ」

「優しいですね。レインさんは……私は、人殺しかもしれないのに」

「……その記憶、本物なのか?」

「……わかりません。いえ、違いますね。わかりたくないと思ってるだけです。今さら否定できるはずもありません。あれは間違いなく私の記憶です。私がいなくても体が覚えてます。私の記憶だと……そう訴えかけてきます。幻滅……しましたよね?」


 そう言ってどこか自嘲気味に笑うイミテル。その手は小さく震えていた。信じたくない。けれど信じるしかない現実に、イミテルの心は押しつぶされそうになっていた。


「過去からは……逃げられない。過去は変えられない。もしイミテルが過去に人を殺したって言うなら、それは本当なのかもしれない。だからそれは受け入れるしかない」

「人殺しだっていう事実をですか?」

「……そうだ」

「……無理です。私にはそんなことできません。レインさんは知らないでしょう。人を殺すあの感覚を。思い出すだけで心が冷たくなるんです。何かが自分の中に澱のように溜まっていくんです。記憶を思い出す度に、私が私じゃなくなるんじゃないかって。あの記憶の中の冷たい自分に戻ってしまうんじゃないかって……怖くなるんです。わかりますか? この恐怖が。わからないですよね。記憶を無くしたことがないレインさんには」

「あぁ、わからないよ。イミテルの抱える苦しみも、恐怖も、想像することはできても本質的に理解することなんてできない。俺は誰のことでも助けることができる英雄じゃない。ただの人間だ」

「だったら——」

「でも、苦しんでるお前の傍にいることはできる」


 イミテルの目を真っすぐに見つめてレインは言う。


「なぁ、イミテル。過去は過去だ。さっきも言ったけど、変えられないんだ。俺の家族が戻ってこないのと同じように」

「あ……」

「でも、今は変えることができる。過去に縛られて後悔するんじゃなくて、過去を受けれて未来をどうしたいかを決めることはできるんだ。お前が殺してしまったという過去を悔やむなら、それ以上の人を救えばいい。一人でも二人でもいい。イミテルならきっとそれができる。一人じゃできないって言うなら、俺が手伝う。お前の苦しみを共有することはできないけど、傍にいることはできるから。心が折れて足を止めてしまったとしても、もう一度歩き出すための手助けはできるから」

「レインさん……」

「なんて……ちょっとクサかったかな?」


 そう言って真面目な表情から一転、照れたように笑うレインを見てドクンと胸が高鳴るのを感じ、イミテルは急にレインの顔を見るのが恥ずかしくなって顔を逸らす。


「い、今の言葉は……プロポーズみたいでしたね。傍にいることはできるとか……レインさんは案外タラシ男なんですね。知りませんでした」

「え、な……ちが、違うから! そういう意味で言ったわけじゃねーよ!」

「無意識に口説くような言葉が出たと。一番たちが悪いじゃないですか」

「え、いやだから、それはその……」


 イミテルは内心の動揺を隠すようにレインのことをからかう。そうしてレインがなんと言ったものかと悩んでいる間に胸に手を当てて、無理やり心を落ち着かせた。


「冗談ですよ。本気でそんなこと言うわけないじゃないですか」

「だからそういう冗談は心臓に悪いって……いやまぁ、確かに俺の言い方も悪かったかもしれないけど」

「レインさん」

「ん? なんだ?」

「その……ありがとうございます」


小さな声でおずおずと礼を言うイミテルを見てレインは小さく笑った。


「どーいたしまして」





 その後、レインとイミテルの間になんとも言えない沈黙が再び戻って来る。先ほどと違う点があるとすれば、イミテル座る位置をずらしレインと距離を詰めたせいで想像以上に近くにいるということくらいだ。

 肩と肩が触れ合うほどの距離だ。イミテルの花のような香りがレインの鼻腔を刺激する。動揺するレインは早鐘を打つ心臓の音を聞かれまいと少し距離を置こうとするが、その度にスススッと距離を詰めてくるのだ。


(こんな所……ティアに見られたら確実に殺されるな)


 そんなことを考えていると、イミテルがジッとレインの顔を見つめていることに気づく。


「ど、どうかしたか?」

「……今、ユースティア様のことを考えてましたね」

「っ!? な、なんでそれを」

「女の勘です」

「女の勘って……なにそれ怖い」

「これは冗談じゃないですよ」

「そこは冗談であって欲しかった」

「ユースティア様は……私の力をどう判断するでしょうか」

「それは……」

「きっと悪しきモノだと思いますよね。何より私がそう思ってるんですから。もしそうなったらレインさんはユースティア様の方に行きますよね」

「俺は……俺はたとえそうなったとしても、お前のことを諦めない。きっとユースティア様のことを説得してみせる」

「……どうしてですか? どうしてそこまで、私なんかのために」

「どうしてって言われると難しいけど……あぁいや、難しくはないか。単純に一言で言える」

「一言……ですか?」

「友達だからだよ。友達のことは助ける。当たり前だろ」

「それでもしユースティア様のことを説得できなかったら?」

「それはそん時考える。説得できなかった時のことなんて考えてもしょうがないからな。ただとにかく決めたんだ。俺はお前のことを見捨てたりしないってな」

「……やっぱりレインさんはタラシの人かもしれません」

「なんでだよっ!」


 ツッコむレインのことは無視して、イミテルは赤くなった頬を隠すようにそっぽを向くのだった。

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