第30話 神竜ラグナディーン



 やがて神々しい光の渦が収縮すると、透き通るように美しい青銀の鱗を持つ、神秘的で優美な水竜が頭から順に水面からその姿を現わした。


 金黄色に輝く大きな瞳がゆっくりと開く。


 何もかもを見透かすような視線をじっと寄越されて思わず見つめ返していると、口元が僅かに弧を描き、まるで笑みを浮かべているような表情になった。

 種族が違うので解釈違いをしてしまっている可能性もあるが、親愛の感じられる優しい視線を向けられていると思う。


 この美しい守護聖獣様がいらっしゃるおかげで、魔法防壁で国土全体をがっちりと守らなくとも、建国以来、もう何百年と大きな争いがないのだ。




「有難きお言葉……勿体のうございます、神竜様」


 その神竜様に誓いの言葉を受け入れられ、御名を呼ぶことをお許しいただけた。


 聖女としてお仕えするという、幼き頃からの夢が叶った瞬間でもあり、敬愛の気持ちでいっぱいになる。


『良いよい。妾が許したのじゃからの。アンドレア、久しいの』


「はい、ラグナディーン様。お久しぶりでございます」


 初めて御名を口にすると、満足げにグルルルッと鳴かれた。


『うむ。妾にはあっという間であったが、そなたに名を許すまでに何故か十年近くもかかったかのう。人とは難儀なものよ。のう、アンドレア』


「仰せの通りでございます」


『さあ、聞かせておくれ。事の顛末を……』


「はい、ラグナディーン様」




 ――アンドレアは語った。


 促されるままに昨夜起こった出来事を淡々と……。


 婚約破棄に至るまでの経緯と、ロバート王子をはじめとする関係者一同の仮処分についてを順を追って話していく。




 聞き終えた神竜様は、深々とため息をついた。


『成る程のう……そなたも災難であったの』


「いいえ。わたくしにも力及ばないところがあったのですわ、きっと。でも、こうして貴女様にお仕えできる機会を与えられたのですから、かえって良かったのかもしれません」


 そう言って嬉しげににっこりと微笑む。


『う、うむ。妾も、聖女を側に置けるのは喜ばしいことだがの!』


 真っ直ぐな愛情を向けられて、照れたように尻尾をパタンパタンと大きく揺らした。


 当然のことながら、盛大に水しぶきが上がり、雨のように降り注ぐことになったのだが、アンドレアはすかさず結界を張って濡れるのを防いだため無事だった。




『それにしても……人間はよく分からぬ。一度交わした約束ごとをそうも容易く破るか……』


 ――竜にとって契約とは何よりも大切なもの。


 一度交わせば違えることは許されぬ、神聖な誓いであるという認識だ。


 その為、契約を軽視し恥知らずにも容易く破り裏切ることもある、自己中心的な人間族の在り方は、野蛮だとして好まれない。人と竜が中々、信頼関係を結べず契約を交わさない理由はここにあった。




 なので、アンドレアのように竜に真名を明かされ、呼ぶことを許される人間というのは稀である。


 何しろその者には、竜の加護が授けられるのだから…… 真名を明かすというのはそういうことなのだ。


 その加護があれば、どの竜族からも干渉されず危害を加えられないばかりか、窮地に陥ったときには手助けをしてもらえるという……。


 これは、竜族からの最大級の親愛に満ちた贈り物なのである。


 ――つまり、この国にとっての聖女の重要性は言わずもがなであった。




「父は国王陛下から、愛に目が眩み、相手の術中に嵌まってしまった愚かな王子を許して欲しい、とのお言葉を賜ったそうですわ」


『はぁぁぁ、随分と勝手なことよ』


「ええ、本当に」


『しかし、妾の記憶が確かなら、この婚約はそなたの聖女就任を阻止してまで王家が決めた契約ではなかったのかぇ?』


「そうなのです。でも、殿下は真実の愛に目覚められ、わたくし自身も、キャメロン公爵家の後見も必要無くなってしまわれたのですって」


『何ともまぁ……やれやれ、親愛を誓った初代王の血筋が堕落していくのを見るのは辛いものよの』


 物憂げに再度ため息をつき、大きな金色の瞳が気落ちしたかのようにそっと伏せられるのを見るのは心が痛い。


「……申し訳、ございません」


 ――竜族は総じて愛情深い種族だ。


 建国から約二百五十年余り……初代王の血筋が随分と薄まってきた今となっても、契約を交わした初代との約束を律儀に守り、この国に留まって守護の任についてくださっている。

 長寿を誇る竜族にとっては一瞬のことでも、人にとっては気の遠くなるような長い年月をずっとだ。


 アンドレアも直系ではないとはいえ、その王家の血を引いている。正式に聖女となった今、神竜様の献身と恩義に応えたいという思いはより強くなり、安易に失望させるような事態を引き起こした現王家に対し、苦い思いが込みあげてくる。




『まぁ、そなたが謝ることではない……人とは欲に弱く、堕落しやすい生き物じゃというのは妾も承知しておる』


 愛おしげに目を細め、クルルルッと、優しく喉を鳴らしながら労ってくれる。


『それで、あの時の少女が今回の騒動の主犯とは。全く、そのまま変わらず成長してしまったようじゃな?』


「ええ、残念ながらそうなんですの。貴女様のお仕置きが効いていてアレですもの。救いようがありませんわ」




 ユーミリアが十歳で初めて神竜様に会った時の様子は、以前、直接伺ったことがあった。


 聖属性の持ち主にしては、その頃から随分と愉快な思考を持っていたようで、神竜様の記憶に印象深く残っていた為だ。




 ――その頃、まだ平民だった彼女は、能力判定のために「神々の祝福」を受けに神殿に行き、判定不可と出たので大神殿まで連れて来られた。


 そこで聖属性魔法を持っていると判定され、十歳の少女は有頂天になった。


 自分こそが聖女だ、この力があれば神竜様もこの国も思い通りになる……魅了できると本気で思い込んだらしい。


 さすがにその場で言葉にしないだけの分別はあったようだが、あの壮大なヒロイン願望の妄想癖は幼き頃からあったのだ。


 竜族を偽ることなど出来はしない。彼等は人の思考を読めるので、その邪な考えは神竜様には筒抜けだった。




『まぁ確かに、あの者は聖魔法の持ち主らしく素直ではあった。但しそれは自分の欲望に素直だというものじゃったのでのぉ。幼き内なら矯正が可能な者が多いゆえ、軽く脅しておいたが……』


 悪い子は神竜様が食べてしまわれるよ……という、この国の母親が子供達がいたずらした時に使う言葉を体験させた。


 聖魔法は、適性資格に使い手の人格が作用し、徳を積み重ねていかないと徐々に素質が薄れ、やがて消えてしまうという特性がある。成長し、誘惑に負けてしまう者も多い。


 それ故、せっかく天から授かった能力を失わないよう、正しい道を歩めるようにという神竜様の優しい想いがこもった叱責だったのだが、彼女には正しく伝わらなかったようだ。


 その後も自らを省みることもなく、変わらずに自分の欲望を優先させた結果、悪循環を繰り返し、昨夜の婚約破棄騒動を引き起こすまでになった。

 人の心を洗脳紛いの事をしてまで強引に手に入れたいというユーミリアの気持ちは、アンドレアには分からなかった。




 ――結局、彼女の中に最後まで残っていた歯止めとなるものは、守護聖獣と初めて会った時の恐れだったようだが……。


「残念ながら、せっかくのご忠告も生かせなかったようですわ。これから詳しく取り調べる予定ですが、おそらく聖属性を失っているのではないかと推察しております」


『うむ。稀少な能力を授かっておきながら、自らの力に溺れたか……人は欲望に弱いのぉ』


「はい。今回も、神竜様の審判を受けるように言った途端、真っ青になりましてあっという間に逃げ出しましたので、あの時の事は彼女の中に深く残ってはいたようですが……」


『なるほどのぉ。それでもあの者は変わらなかった……いや、変わろうとしなかったのじゃな』


「ええ、誘惑に打ち勝てなかった愚かな娘ですわ」


『……』





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