第6話:困惑
「ここは・・・サラさんの部屋か。」
例の叫び声が聞こえた部屋の前で一度立ち止まる。
この部屋の持ち主はサラ。金髪碧眼で、お嬢様のような雰囲気を纏っている美少女だ。実年齢は知らないが、見た目は17~8歳くらい。性格はおっとりとしており、とても清楚で可愛い。守ってあげたくなると客の間ではもっぱら評判だ。胡蝶では中堅クラスの人気がある。
「今日は・・・あの名門貴族のご子息がお相手だったはずだな。」
部屋に入る前に、客が誰だったかを思い出しておく。最近やたらとサラにお熱のお坊ちゃまだ。何度も言っているように、胡蝶で遊ぶには安くない金がかかる。このお坊ちゃま程度の貴族なら、月1~2回くらいサラを買うのが限界のはず。だが彼は週1、多い時は2回のペースでサラを買いに来ている。
当然そんなペースで胡蝶に来ていて金が持つわけがない。そう思って警戒は一応していたのだが、やはり何かしらの問題を起こしてくれたようだ。
――コンコン。
俺は扉をノックしてサラに声を掛ける。
「すいません、入ってよろしいでしょうか。」
「あ、はい!ハルさん、お願いします・・・!」
サラの少し慌てたような声が聞こえてきた。
「それでは失礼します。」
部屋へ入った際、嬢や客が服を着ていなかったら気まずい事この上ないが、幸いにも2人はまだ恋愛ごっこを始める前だったらしく、2人とも衣服は着たままだ。
まあ大抵トラブルは遊ぶ前か後に起こるらしいので、俺がそういう気まずいシチュエーションに出くわした事は未だない。客側が服を着ていない事はちょくちょくあるが、嬢のそういう姿を目にした事は一度もない。まあうちの嬢達はみんなやり手なので、きっとその辺りの読み合いが上手いのだろう。
とにかく俺にとっては非常に助かる事だ。
「お、おいお前!勝手に入ってくるな!」
サラを買った貴族のお坊ちゃまが叫ぶが、俺はそれを当然のように無視する。
「サラさんが許可した以上、なんの問題もございません。それが当館のルール。お客様も重々承知のはずでございます。」
そう、ここはサラの部屋。彼女が入室許可を出したら、それを拒否する事は出来ない。胡蝶で遊ぶ為のルールの1つだ。どの客にも必ず毎回説明している事なので知らないという言い訳は通用しない。同じ説明をいつも聞かされる客はうんざりした顔を浮かべている事が多いが、それでもしている。こういう時の為だ。
「サラさん、どうされましたか?こちらのお部屋から叫び声が聞こえましたが。」
「は、はい・・・こちらのお客様がその・・・」
サラが説明を始めるが、それを遮るように貴族様が叫ぶ。
「サラ!俺をお客様と呼ぶな!俺の名前はエヴァンだ!」
「落ち着いてください、エヴァン様。それで如何なされましたか?」
俺は貴族のお坊ちゃまを落ち着かせ、何があったのか説明するように促す。
ちなみにサラが彼を「お客様」と呼んだと言う事は、この人とはもう恋愛ごっこはしませんと俺に伝える為だ。普段嬢達は部屋では客を名前で呼ぶ。まあ一夜限りの恋人とは言え、その時は「恋人」なのだから当然だろう。だがサラはそれを止めた。
それはつまりこの人をもう客として見ません、二度と客として取りませんという意味がある。胡蝶で使われている隠語の1つだ。
とはいえそれは次からの話。今は一応まだ客だ。
「俺はサラを身請けしたいのだ!そう彼女に言ったのだ!」
「なるほど、そうでしたか。サラさんの身請け金は確か・・・18万ノーテファル金貨だったと記憶しております。」
「そうだ!それを払うと言っておるのだ!」
娼館なんてのは一夜限りの恋をしに来る場所だ。ただ本気で恋をしてしまい、嬢を自分の物にしようとする客はどうしてもいる。
そんな困った客の為にあるのが身請け制度。
店の嬢を引き抜く代わりに、嬢が向こう数年で稼ぐ予定だった金額を払う。
ただ胡蝶の嬢を引き抜こうと思うなら、当然並大抵の金額では済まない。サラの18万ノーテファル金貨というのは、貴族ですらおいそれと払える金額ではないのだ。そんな大金をこのお坊ちゃまの独断で使っていいのかは知らないが、それは俺が気にする事ではない。勝手にお家騒動でもなんでもしてくれ。
「サラさんをそれ程気に入って頂けたのですね。ありがとうございます。身請けは勿論大歓迎でございます。ただし・・・」
この制度には1つ大事な前提条件がある。それは「嬢が身請けに同意する事」だ。まあ当然だ。娼館で働いてる嬢にだって人権はある。だから金を払えば嬢を無条件で自分の物に出来るわけではない。嬢に気に入られた上で尚且つ身請け金を支払える経済力がなくてはならない。
それもあってか、俺がここで働き始めて1年、身請けの申し出は星の数程あったが、成功した例は1つもない。
「サラさん、如何なさいますか?」
「お断り致します。私はこちらのお客様に身請けされたくはございません。」
サラは迷う事なく拒否した。今までおろおろとしていたのが嘘のように、はっきりとした口調で断った。
「エヴァン様、申し訳ありませんがサラさんがそう言っている以上、身請けは出来ません。どうかいつも通りサラさんとの一夜をお楽しみいただけないでしょうか。」
「私からもお願いします。」
俺の隣でサラが丁寧に頭を下げる。今更仕切り直して恋愛ごっこなんてと思うだろうが、うちの嬢達はプロだ。こんな一幕があろうがなかろうが、完璧な演技で夢見心地の一夜を過ごさせてくれる。
だがそれは嬢に限っての話だ。
「ふざけてんのか!もうそんな気分になるわけないだろうが!」
激昂する貴族のお坊ちゃま。まあ客にそんな切り換えが出来る訳もない。
「では本日分をご返金いたします。いかがでしょうか。」
「俺に帰れというのか!!!貴様!!!」
「はい。サラさんをお買い上げにならないのでしたらお帰り頂きます。」
「買うといっておるだろう!!!サラは俺が連れて帰るんだ!」
「ですからそれは無理でございます。」
娼館で暴れたり問題を起こすのはご法度だ。そんなのはこのお坊ちゃまもきっとわかっている。だがサラに拒否され、引っ込みがつかなくなったのだろう。
「サラ!何故だ!俺がお前を一生面倒見てやると言っておるだろう!何不自由ない生活をおくらせてやるぞ!」
サラを説得にかかるお坊ちゃま。確かにここでサラを頷かせる以外、サラを身請けをする方法はない。
「結構でございます。お客様に興味はございません。」
だがサラの返事はどんどん他人行儀になっていく。
しかしそんな事をしたら神経を逆なでるだけだ。どんな行動にでるかわからない。うちの嬢達は肝が据わっているというかなんというか・・・
「き、貴様!俺を愚弄するか!ただの売春婦の分際で・・・!」
顔を真っ赤にして右手を振り上げるお坊ちゃま。
どうやらサラの一言で完全に我を忘れたようだ。だがそれは娼館では言ってはいけない一言。これでサラを身請け出来る可能性が完全に0になった。まあサラにその気が無かった以上、元々0だったのだが。
しかしこれは少々不味い。サラはうちの大事な「商品」だ。殴られて顔に傷をつけられるわけにはいかない。ただこのお坊ちゃまも、金を返金していない以上、まだ客だ。そして客を殴るわけにもいかない。
ならここで俺がすべきことは1つ。
俺はサラとお坊ちゃまの間に割って入り、サラを庇うようにして立つ。
――バキッ!
「・・・っ・・・」
そして俺が一発顔面に貰っておく。俺が殴られれば丸く収まるだろう。しかしこのクソ坊ちゃま・・・グーで殴るか。普通は平手打ちだろうが。
「ぺっ・・・」
俺は唾を吐きだす。口の中が苦く、少し血の味がする。
「き、貴様!邪魔するな!俺はサラを教育しようと・・・って・・・あ・・・っ?」
何かを叫んだところで、坊ちゃまが突如床に崩れ落ちた。
「はぁ・・・まこと騒がしいでありんすね。どうしたのでござりんす?」
扉の方から声がしたので目を向けると、そこにはヨギリが不機嫌そうに立っていた。
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