第四十八話 ハイジ、犬の真相を明かす
親とのことは一段落したけど。学校の方はそうは行かなかった。下宿生や寮生が多いから風紀にすごくうるさいうちの高校。先生たちが、わたしの婚約をあっさりスルーするわけないじゃん。することしたからだろって考えちゃうよね。
不純異性交遊を疑う先生たちを説得する唯一の切り札は、わたしたちがまだ結婚の約束をしただけということ。わたしはこれまで、タロと一緒にいることを誰かに隠したことはない。先生たちが心配するようなことは何もしてないし、何も起こってない。徹底してそう突き放した。だって、それはわたしとタロのことを冷やかしていた誰もが知ってることだもん。
ほとんどの先生は、校長先生を含めて渋々事実を受け入れてくれた。唯一納得してくれなかったのが、神家岩礁のことを教えてくれた網干先生だった。昨日の友は今日の敵。先生は、世間知らずのわたしが盲目的にタロの深みにはまったと考えたんだろう。なんとか翻意させようとして説教を繰り返すようになった。寮に入って安定してきたわたしの日常生活を、網干先生のかちこちの倫理観でぶち壊されるわけにはいかない。
本格的な尋問と説教が始まる前に、先手を打って真相をぶちまけることにした。神家で起こったことは、わたしと……そして網干先生にしかわからないだろうから。
◇ ◇ ◇
資料室で先生と向き合ったわたしは、ごちゃごちゃ言わずに直に切り出した。
「何度も言いますけど、わたしはタロとの婚約を取り下げるつもりはありません」
「なぜ? きちんと校則を守って学生生活を送ってきたあなたが、なぜそんな軽率な行動に出るわけ?」
「軽率。そこに、先生最大の誤解があります」
「どういうこと?」
猜疑心で醜く歪んだ皺だらけの顔。神家岩礁のことを教えてくれた時の理知的な表情は、どこを探しても見えない。理論や理屈にしがみつく生き方は、それを研げば研ぐほど逆に危なっかしくなる……そんな風に感じてしまう。
「以前、先生に神家岩礁のことを伺いました。覚えておられますか?」
「もちろんよ」
「神家の龍神伝説の内容をご存知ですか?」
「知ってるけど。それと拝路さんの婚約とどう関係があるわけ?」
「まじめに聞いてます。本当にご存知ですか?」
苛立った様子で席をたった先生が、分厚いバインダーブックを何冊か持ってきた。そのうちの一冊を開いて、わたしに説明する。
「いろいろなバージョンがあるけど。粗暴な龍神が、女性の生贄を求め続けていた。でも、ある時落雷で社ごと神家が崩れ、龍神は去った……そういう伝承が多いわね」
「神家が崩れたあと、どうなったかご存知ですか?」
「さあ。岩礁化したあとも長く信仰の対象になっていたのは知ってるけど。落雷以降のことはもう民話になっていないから」
「でも前に先生に伺った時、神家岩礁近くでは女性の水死体が上がらない……そう言われてませんでした?」
「ええ。それはちゃんと古文書に記されてる」
ふうっ。一つ息をついて。ぐいっと顔を突き出す。
「それは、龍神が居た時も不在になった後も、神家の領域に入ったが最後、女性は誰も外に出られなかったということを意味しますよね」
「そうね」
「わたしが唯一の例外だと言ったら。信じますか?」
先生の顔色がさっと変わった。
「生贄を捧げていた昔と違って、今は女性があそこに行くことなんかないんです。でもわたしは生物部の調査で神家岩礁に行ってる。ご存知ですよね?」
「ええ、もちろん」
「わたしは岩礁に仕掛けたかご網を回収する時どじって船から落ちたんですけど、そのあと一時間くらい行方不明になってるんです。わたしを連れてってくれた漁労長の小野さんに聞けばわかります」
「そ……んな」
「これまで一人も女性の水死体が上がっていない神家岩礁。わたしも……そうなったはずなんです」
網干先生が真っ青になってる。知らなかったでしょ? わたしも、後でわかってぞっとしたの。
わたしが神家の空間に取り込まれたのは、龍の生贄にするためではなく、神家の神様がわたしを救助するためだったんだ。それは、二度目の転落の時にわかってる。じゃあ、タロはなぜわたしにそう言わなかったのか。生贄だと言って足止めし、いきなり妻乞いをしたのか。今ならわかる。タロの孤独感がもう限界に来ていたからだ。
「わたしは、タロを助けたんじゃない。逆です。タロに助けられたんです」
「太郎さんというのは……誰なの?」
「神家は、かつては一つの島でした。でも、落雷後に山体のほとんどを失って、今は十二の環状の岩」
「ええ」
「その一つ一つに小さな神様がおわします」
「……」
「わたしは、その
絶句してしまった先生に一礼して、資料室を出た。わたしの話を信用してもしなくても構わない。わたしとタロの間に、ごく普通の恋物語とは違う背景があるってことを知ってもらえれば。
……それでいいんだ。
◇ ◇ ◇
網干先生はあれからわたしを避けるようになり、ぴったり口を閉ざした。わたしの周囲は穏やかに凪いだ。歓迎できなかった騒擾の手を引いて、高校生活最後の夏が静かに過ぎ去っていく。
日曜日。タロと二人で国見公園に行ったわたしは、本井浜の漁港を見下ろしていた。ゆたゆたと揺れる漁船の昼寝。それをのんびり眺めながら、タロに今後の予定を切り出す。
「タロ。待てる?」
「もちろんだ。神家の中で一人きりで過ごした永い時を思えば、数年なんか待つうちに入らん」
「ふふ。ありがと。わたしは大学を出たら必ずここに、本井浜に帰ってくる。それまでおばあちゃんの家で待ってて」
「わかった」
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