第二十七話 ハイジ、犬に疑問を持つ
わたしはもう神家岩礁を調査地から外してるから、もうあそこに行くことはないんだけど、後輩が調べたいって言い出したらやだなあと思ったんだ。わたしみたいに神家の生贄扱いされたら、どうなるかわからないもの。あそこの神様が、みんなタロみたいだとは限らないから。
それで、すぐに網干先生のところに神家のことを聞きに行った。網干先生は五十過ぎの独身の女の人で、口の悪い生徒からはこっそり『日干し』って言われてる。風紀の乱れに敏感で、すっごく口うるさい。わたしはタロとのことがあるから近寄りたくなかったんだけど……。でも神家岩礁の履歴の方が気になったんだ。
「失礼します。2Bの拝路です」
「どうぞ。お入りなさい」
「はい」
ノートと筆記具を持って、資料室に入る。資料室は図書室に併設になってる小さな部屋で、生徒が入ることはまずない。網干先生は、資料室の主みたいになってるんだ。
「ええと。神家岩礁の由来ってことだったわね」
「はい。杉田先生に、ちゃんと調べておいた方がいいって言われて」
「ん。賢明だわ」
網干先生の顔はこわばっていた。
「あそこね、とにかく良くない話が満載のところなの。かつてこの辺りの漁師さんは、あそこをずっと避けてたはずよ」
「今は、そうなってないですよね」
「船が昔とは違うからね」
先生が、ぎっしり書き込みのある分厚いノートを広げた。
「私も神家の伝説には前から興味があって、長年調べているの」
「杉田先生に聞きましたー」
「神家は、実際にとても危険な場所なのよ」
「どんな風に……ですか?」
ごくり。
「あそこはね、そもそも潮の流れがおかしいの」
わたしもノートを出して、先生の話を書き留める。
「普通は、どこかから島に向かう流れが来て、島を通ってどこかに流れていく。つまり、島は流れの中に置かれるでしょ?」
「はい」
「神家では、全ての流れが島に向かってる。出ていく潮流がないの」
え!? う……そ。
「じゃあ、そこに全部流れ込むって……感じですか?」
「そうね。呼び込むっていうか。そして、あそこでは風が死ぬ。凪がずっと続く」
そういえば。あの時も、出航した時にはいい風が吹いてたのに、網を上げる時にはべた凪だったな。
「動力を帆に依存してるとか手漕ぎの舟とかだと、あそこに捕まったら最後出られなくなるの」
「わ! そうか……」
「今は船に発動機がついてるから、そんなことはないわ。でも、昔はものすごくおっかない場所だったってことね」
「ひええ……」
でも、小野さんはそんなこと何も言わなかったけどな。
「じゃあ、神家の恐ろしさがどっかで伝わらなくなっちゃったってことですね」
「そう。船の性能が上がれば、島の奇妙な性質はあまり影響しなくなるでしょ?」
「そういうことかあ」
先生が、墨で書いたみたいな古い絵図のコピーを見せてくれる。
「昔は、こんな風にちゃんと岩礁にしめ縄が張られて、立ち入り禁止の神域だってことがわかるようになってたはず」
「それが外れちゃったってことですね」
「たぶん、戦後ね。戦争とそのあとの混乱は、伝承されてきた文化や伝統、地域性をずいぶん壊しちゃったから」
「知らなかった……」
網干先生が、眉をひそめてノートをじっと見つめる。
「そんなの伝説上のことじゃないかって笑う人もいるでしょうね。でも、伝説が残るというのは、それを裏付ける事実がちゃんとあるからなの」
「わかります」
わたしは、ずばりその体験者だもん。
「実際、あの辺りは昔から海難事故が多いの。そしてね」
「はい」
「女性の水死体は上がらない。古文書にはずっとそう書かれてるの」
ぞっと……した。
「そうか。だから生贄っていう話になるんですね」
「あら? なんでその話を?」
しまった! わたしは、まだその話を先生から聞いてなかったんだ。とっさにおばあちゃんがしたという話をでっち上げた。
「わたしが小さい頃に、祖母がそんな話をしてた記憶が……」
「龍神伝説ね」
「そうですー」
「なるほど。まだ口伝が残ってる家もあったのね」
静かにノートを閉じた先生が、ふっと息を漏らした。
「あそこは沖にあるし、船に奥さんを乗せて潜水漁をする漁師さんも減ってる。禁忌が口伝されなくても、女性が神家に近寄ることはほとんどないわ。でも、用心のために、神家は生徒たちの調査対象から外せって杉田さんに言っといて」
「はい! すごく気にしてたみたいです」
先生はほっとしたんだろう。こわばっていた顔を少しだけゆるめた。
「お願いね。あ、それから」
「はい」
「太郎さんとお付き合いするのは、ほどほどにね」
強い口調で、牽制が入った。うっ。さすが日干し先生。見逃してはくれなかったかあ。
「ありがとうございました」
「いいえー」
ふう……。
◇ ◇ ◇
夕食のあと、複雑な気分で網干先生から聞き取った伝承を何度も見直していた。
「ノリ、どうした?」
「んー、神家って怖いところだったんだなあって」
「まあな」
台所で洗い物をしているおばあちゃんをちらっと見たタロが、小声で漏らした。
「あそこの力は……
「ふうん。じゃあ、タロはなんであそこに行ったの?」
タロは黙り込んだ。
その時に。神家の頭に十二種類の動物を象徴する魚の名前が付くってことを、ふと思い出したんだ。猫や鷹があったから、十二支ってことじゃない。そして、猫は猫鮫だった。鷹は鷹羽鯛。じゃあ……犬のタロはなに? それはあの時言わなかったよね。
ものすごく気になった。わたしの中で膨らんでしまった疑問。でも、それは気軽には聞けなかった。どうしても、聞けなかったんだ。
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