峠の主 4


:――:


 ――そこに映っていたものは、紛れもなく怪物だった。


 この車の後ろからやってきた怪物――その姿は、

 唸りを上げて高速で迫ってくるそれは、人型をしていたのだ。

 まるで鎧のような、装甲を纏った人形のような、影を固めた漆黒の姿に、琥珀色の装飾とも装甲とも取れる何かを散りばめた姿の、何か。


 それを怪物と称したのは、姿以上に人間離れしている点があったからだ。

 それは、速度だった。

 自分は、一〇〇Km/hを超える速度で峠を攻めている。だが、人型の怪物は、その速度に問題なく追い付いてくる――いや、距離を詰めてくるのだ。


 人型の怪物は、二本の足で走ってその速度を出している、というわけではないようだ。

 人型の怪物は、少し宙に浮いている。そして、その足裏の下、路面との間に、炎が有る。それは円形で回転しており、まるで燃える車輪のようだった。

 その炎の車輪をもって、こちらを追いかけてきているのだ。


 逃げなければならない――

 そう、感じる。

 あれが何か、知っているはずもない。だが、分かることもある。

 あれは、敵だ。


 こちらを、滅ぼしに来た存在だ。

 それを理解してしまった以上、限界を越えて速度を上げるしかない。

 逃げ切れなければ、あいつに滅ぼされる。


 だが――だがである。

 今の自分は、この峠の主。最速の存在だ。

 それを追いかけて、襲い掛かる?


 そんな事をさせるものか。このままバックミラーから消してやる。

 再度の加速。

 峠を駆ける。


:――:


血塗れの琥珀ブラッドアンバー・同調完了、伝承礼装エピックウェポン・宝貝フウカニリン、復元デコード

「さぁ、ここからが本当のバトルだ」

 言って、ブラッドアンバーを纏った社は、高速で峠を疾走する。


 疾走するブラッドアンバーの脚部には、伝承礼装エピックウェポンが展開されていた。

 その形状は、足裏の下で高速回転する炎の車輪だ。

 その名前は宝貝フウカニリン伝承礼装エピックウェポンは、ブラッドアンバーの高速移動を可能にするものだ。


 風火二輪とは、中国の神話複数に存在する人造人間、ナタタイシが使用する、飛行と高速移動のための道具である。伝承礼装エピックウェポンとしても、当然の事ながら同じ性能を持っている。

 宝貝フウカニリンは唸りを上げ、火の粉を辺りに撒き散らしながら、路面に焦げ跡を作りながら、爆発的な速度を生み出していく。


 ――目の前に左の急カーブ。

『きっちり曲がり切れよ、社!』

「当然だ」

 言いながら、社は身体を左に倒す。そのまま地面に身体が横倒しになってしまいそうなほどの急な角度まで。


 そうすることによって、ブラッドアンバーは急な左カーブを、道路を削り取るかのような弧を描いてクリアしていく。

 これで曲がり切ることが出来るのは、バイクのコーナリングと同じ理屈である。

『やるじゃないか、これならいいタイムが出るぞ』

「タイムアタックをしているわけじゃない」


 ブラッドアンバーの速度は、社が車を運転しているときよりも遥かに上だった。

 しかし、そのスピードをもってしても、先を行く朧車との距離は中々詰まらない。

 ブラッドアンバーと化して追い掛けるまでとは比べ物にならないの速度で、朧車は峠を駆け下りていた。


 その速度は恐らく、二〇〇Km/hを超えている。

 整備されたサーキットならともかく、不規則に道が曲がりくねり、道幅も狭い峠でそんな速度を出しても普通はカーブを曲がりきれず、谷底に落ちていくだけだ。

 だが、そうはならない。あの朧車が怪異の存在であり、ここが異界で有るからだ。

 ……あの朧車に自覚が有るかどうかは分からないが、この異界はあの朧車によって作られている。


 永遠に続くダウンヒル。あの車が曲がった通りに出来るコース。

 それが、この峠という異界なのだ。

 そういう意味では、真っ当に公道レースをしていては、ブラッドアンバーが追いつくのは難しい。


 だが、社と琥珀がやっているのは朧車相手のレースではない。

「琥珀!」

『任せろ! 伝承礼装エピックウェポン・魔弾タスラム、復元デコードだ!』

 琥珀の声に合わせて、ブラッドアンバーの右腕に魔弾タスラムの射出機が形成される。


 社はそれを、先行する朧車へと向けた。

 発射。

 宝貝フウカニリンによる高速走行をしながらの射撃は、中々狙いが定まらない。だが、あえて集弾させることなく、社は魔弾を連射する。


 冷たい夜気を裂いて、魔弾が怪異へと襲い掛かる。

 全弾命中――というわけではない。むしろ、外れた方が多いくらいだ。

 だが、命中した魔弾は、確実に朧車の車体を削り取っていた。


 金属音と火花が黒い夜に舞う。

 しかし、それでも朧車は速度を落とさなかった。

『しぶといな! どんなタフさをしてるって言うんだ』

「一撃で仕留められるとは思っていない!」


 社がそう言った時だった。

 朧車の姿が、消えた。 

 とは言っても、姿が消失したというわけではない。ほぼ一八〇度、道を折りたたんででもいるかのようなヘアピンカーブを曲がったことにより、瞬間的にその姿を、ブラッドアンバーが見失ったのだ。


 朧車の車体によって隠れていたせいで、社達はカーブの存在を認識出来ていなかった。

『ぶつかるぞ!』

「させるか!」


 カーブの方向は左。

 とっさにブラッドアンバーの身体を倒したものの、それでも足りない。

 ならば――


「こ、んのぉっ!」

 言いながら、社は左手を道路に突き立てた。

 そのまま、速度を落とさずに身体を倒し続ける。


 突き立てた左手を中心軸として、まるでコンパスのようにくるりと道路上に半円を描く。

「ぐっ――」

 そんなことをしたら、当然無傷ではすまない。


 ブラッドアンバーの狂った速度。その全てを、左手で受け止めているのだ。

 まるで巨人によって左腕をねじ切られてでもいるかのような痛み、そして炙り焼きにされてでもいるかのような摩擦熱が襲い掛かる。


 だが、それだけだ。

 その程度の負荷で済む。

 ブラッドアンバーの目に映る風景が回転する。全てが高速で流れ、代わりに直線の道路を、そしてそこを走る朧車の姿が映し出される。


「喰らえ」

 体勢を戻すよりも早く、右腕を――魔弾の射出機を、前へ。

 発射。

 狙いは低め――タイヤだ。


 一発撃つと、命中を確認するよりも早く身体を起こして、左腕を持ち上げる。痛みは有るが、動かないというわけでは無さそうだ。

 ならば――

『治療魔術を――』

「加速だ!」

『……分かった!』


 宝貝フウカニリンが応える。

 獣の威嚇にも似た唸りを上げて、路面を焼き溶かし、ブラッドアンバーを疾風はやてと為さしめる。

 再加速。


 同時に、放った魔弾が、朧車のタイヤを食い破った。

 朧車がスピン。

 完全にコントロールを失い、道路上で止まりかけの独楽のように踊る。

 ブレーキを踏んでいるのか、スキール音が朧車自体の悲鳴ででも有るかのように夜道に響く。


 その間に、ブラッドアンバーは一気に距離を詰める。

 朧車の回転が、ブラッドアンバーの側に前面を向ける形で停止する。

 朧車のボンネットには、まるで鬼瓦のような、凄まじい形相をした怪物の顔があった。

「生前からだが――ここはお前の居場所じゃない」

 言いながら、その眉間と、無人の運転席に向かって、社は魔弾タスラムを撃ち込み続けた。

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