第5章「白紙の手帳」その14


「おはよう」



僕が言ったのではない、右隣の席の住人だ。



あまり聞き慣れない、でも心の底からホッとする声だ。



平木は必ず僕よりも早く席に座っている。



席が空いていた場合、僕の中では欠席だと認識してしまう。



それは平木が厳格だからであり、その芸術的な顔立ちと姿勢の良さから察するに



体のねじの一本たりとも無駄なパーツがない。



だからこそ体内時計が一分たりとも狂うことはないのだと思う。



そんな少女が昨日だけはいつもとは違う行動を起こした。



昨日だけ黙って帰ったことは違和感の塊が心のしこりになっている。




だから、それとなく聞いてみた。



「そういや昨日は何してたんだ?」



こういうとき、ストレートに聞けない自分に矛盾を感じる。



平木は読んでいた本を閉じて、新品とそん色ないほどきれいな鞄になおした。



その動作がお利口にもゆっくり過ぎたので僕が今か今かと返事を待っていると、



平木は僕の顔を見て清々しい春の兆しを感じたように



優しくほほ笑みながら黒板の方をか細い人差し指で差した。



「ホームルームを始めるぞ」



秋山先生は僕の邪魔をすることに関しては日本一かもしれない。



テスト終了後の初日の学校だったのでいつもよりも淡々と進んでいった。



先生はテストの採点に疲れているのか、



自分の肩をたたきながら首を回している。



だったら帰りのホームルームとまとめてやったらいいのに。



学校の教師というのはなぜこうもしきたりに縛られているのか、僕にはどうも解せない。



淡々と進んだはずなのにいつも通り十五分かけてホームルームは終わった。



みんな一限の授業が始まるまでの五分間の休息を味わおうとしおたが、



秋山先生は教室を後にしたはずだが、



ドアを開けて言い忘れたように少し慌てていた。



「昨日はテストおつかれさま。



これから梅雨の季節だから体調不良には気をつけるように。



また残り一カ月程度で体育祭だ。



その準備と競技種目の種類を今日の昼ごろには西山と新田には渡しておくから」



そう言い残して、先生は勢いよくドアを閉めて廊下を小走りしていったようだった。



その瞬間、テスト終わりで疲労感が漂っていた



クラスのみんなが体育祭の話で持ち切りになった。



高校生活において体育祭は文化祭と比べるとあまり目立たないイベントな気がするが、



意外にも県の新聞やテレビに載ったこともあるらしい。



確かオープンキャンパスのときに校長が誇らしげにそれを話していたのを覚えている。



いやいやあんたは関係ないだろと心の中で突っ込んでしまった



僕はひねくれているのだろうか。



みんなが盛り上がっているのをよそに、平木は一限の世界史の準備している。



おそらく彼女は体育祭なんて高校生活の一大イベントなんて興味ないのだろう。



それにこんな教科書を机の端にそって並べている



女の子が体育が得意とはとうてい思えなかった。

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