プロローグ

プロローグ

 満月そっくりな姿をしていても満月ではない、丸くて大きな月がどこまでも追いかけてくる。

ころころと居場所の変わる月を助手席から眺めていた神田美夜は右横を一瞥した。彼女の隣では木崎愁がハンドルを握っている。


『……何?』


視線に気付いた愁が前を見据えたまま口を開いた。車が走行している場所は首都高速湾岸線。


「いきなり今夜暇かと連絡が来たから、また頼まれ事があるんじゃないかと身構えていたんですが……」

『ただの首都高ドライブでがっかり?』

「がっかりはしていません。ちょうどこんな風に夜道を走りたい気分でしたので」


 湾岸線から台場線に入った。右手前に小さく見えた東京タワーを視界に入れながらレインボーブリッジを渡る。


 今さら感動もない見飽きた東京の夜景。この街は、腐っている。

橋もビルも、道路を照らすオレンジの光も車のテールランプも派手なネオンもあれもこれも、全部作り物。


 車窓を流れる建物の中には人がいて、それぞれの生活がある。

ビルの夜景は誰かの残業の明かり、マンションの夜景は暖かな家族の明かり、ラブホテルの夜景は秘密の恋の明かり。

腐った街ですれ違っているかもしれない、けれど全く関わりのない人達の生活の明かり。


見知らぬ誰かの生活の副産物だとわかっていても視界に広がる夜景を綺麗だと思えるのは、どうしてだろう。


「舞ちゃんとはあれからどうですか?」


 愁の同居人の夏木伶と夏木舞に彼の恋人と偽って対面したのは8月の神宮外苑の花火の日。その後も愁とは二人が行き付けのイタリア料理店mughettoムゲットで一度だけ食事を共にしたが、以降の接触は途絶えていた。


元来が連絡無精な二人だ。一般的な男と女よりは電話やメッセージのやりとりも少ない。


『別に何も。前と変わらない』

「あれが恋人のフリだと気付かれているんじゃないでしょうか。思春期の子はその手の勘は良いですよ。伶くんも利発そうな子でしたし」

『伶にはバレてる』

「やっぱり」

『あんたの芝居が下手くそだったんだろ』

「私のせいですか?」


 小さかった東京タワーがだんだんと大きく見える。レインボーブリッジを駆け抜けた車は港区のネオンのシャワーに飛び込んだ。


『なんなら俺はあの嘘を本当にしてもいいと思ってる』

「冗談言わないでください」

『冗談じゃなかったら?』


 愁の一挙一動に心臓を騒がせた1ヶ月前の花火の夜。勘違いしない女だからと美夜を恋人役に選んだくせに、美夜にキスをした彼の心情はいまだに不可解だ。


「花火の時のキスも今の言葉も冗談ですよね?」

『どうだろうな』


愁の淡々とした態度や口振りはどこまでが本気でどこからが冗談か区別がつかない。

愁はおそらく女に不自由はしていない。美夜の希少な恋愛経験のみで語れば、女のエスコートもキスも手慣れている。


しかし遊びの女が他にいくらでもいる顔をしていても、彼が本気で愛や恋の甘い言葉を囁く男には思えなかった。


「私をからかって楽しいですか?」

『楽しいか楽しくないかで言えば楽しい』


 そんな無表情で楽しいと言われても信じられない。

終着地点も知らされていない迷宮のドライブ。ドライブに誘われた意味も愁の誘いを断らなかった理由も、わかるようでわからない。


『そういえば誕生日いつ?』

「教えてなかったですね。10月24日です」


 今日は9月24日。来月に美夜は二十八歳になる。

二十七歳最後の1ヶ月は愁との夜間ドライブで開幕した。


『誕生日の夜、予定空けておいて』

「……仕事がどうなるかわかりませんよ?」

『構わない。俺もどうなるかわからないからな。その日会えたら歳の数の薔薇の花束くらいは贈ってやるよ。薔薇は二十八本でいい?』

「木崎さんが薔薇の花束って、似合わない」


誕生日の贈り物に花束だなんてそんな気障キザな行いをする男には到底見えない。木崎愁という男には一般的な男女の恋愛方程式を当て嵌めてはいけない。


「木崎さんは誕生日いつなんですか? 前に秋生まれではないと言っていましたよね?」

『6月13日』

「……とっくに過ぎていますね」

『来年に期待してる』

「何をです?」

『三十三本の薔薇? いや、俺は三十三個の煙草の方が有り難いな』


 それは来年の6月も共にいようという未来の確約?

輪郭のぼやけた月のように、愁はいつも曖昧にはぐらかして美夜を惑わす。


 たとえば二人の関係は満月のようで満月ではない今夜の月に似ている。

恋のフリをした恋じゃない何か。

きっとそうだと彼女は思っていた。



プロローグ END

→Act1.迷宮回廊 に続く

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