(3)

 わたしは飛びかかるようにしてシビルに詰め寄った。


 そうして聞いて行くうちにわかったことは、シビルの前世はわたしと同時代を生きていた日本人だということだった。恐ろしい偶然である。


 それを知ったわたしはどう思ったか?


「こいつ、ライバルキャラ?! もしかしてヒロインの座を狙ってる?! わたし=ヒロインの邪魔をするつもり?!」――という調子で大いにシビルを疑い、警戒ランプを点滅させた。


 そしてわたしは素直というか、愚直というか、阿呆の極みとしてシビルへ一直線に詰め寄った。そんなわたしを見て彼女は珍しく目を丸くする。おどろいていたのはハリエットも同様なのだが、猛牛あるいは暴れイノシシと化したわたしの視界には入っていなかった。


「シビル! あなたもしかしてヒロインの座を狙っていたりする?!」

「ヒロイン……?」


 シビルは不思議そうな顔をして首をかしげた。その様子が腐ったわたしの目――というか脳みそにはとぼけているように映ったようだ。


「しらばっくれなくていいのよ! シビルが攻略したいキャラクターは、なんだったらわたしの攻略対象から外してあげてもいいから!」


 今思い返してもシビルに負けず劣らずの電波だ。電波なんて言葉はこの世界にはないけど。耳を傾け続けていたら電波が脳みそに刺さって死にそうなくらいの強力さである。


 しかしこのときのわたしは真剣だった。本気だった。マジだった。


 わたしのウハウハ恋愛計画を邪魔されたくない一心でシビルを懐柔しようと必死だったのである。


 だがシビルはこの世界が某乙女ゲームに酷似しているということを知らなかったらしい。フギロナントカはそういうことを教えてくれなかったのだろうか。あるいは、地球という星の日本といってもパラレルワールドだったりするのかもしれない。


 とにかくシビルはわたしの言いたいことがイマイチ理解出来なかったらしい。


 最終的に


「貴女も選ばれし使徒のひとりなのでしょうか」


 といつもの調子で言い出す始末である。


 自分で意味不明な会話を振っておいて、シビルの反応にわたしはイラッとした。身勝手ここに極まれり。


「ベティも極次元を救うために遣わされし使徒のひとりなのですね」

「違うわ!」


 そしてちょっと目を話した隙にシビルの憶測だったものはいつの間にか確定事項となっていた。なんだ、フギロナントカと交信したのか。


 真偽のほどはわからないが、とにかくシビルの目の色が変わったのはたしかだ。


 先ほどまではわたしを邪神サークルへ引きずり込む気はそれほどない感じだったというのに、今はヤル気まんまんである。なぜなんだ。


 そして洗脳済みのハリエットは「ベティがシビル様と同じ使徒だったなんて!」と衝撃の事実――彼女にとっては――におどろき、なぜか震えていた。


 シビルはすでにわたしの勢いでややそがれていた調子を取り戻し、いつもの落ち着いた様子で電波な話を続ける。


「ベティ、始めは信じられなくとも無理はありません。しかしフギロシャネソララ様の絶対力を目にすれば矮小なる私たちの思考力でもその素晴らしさを理解できることでしょう。フギロシャネソララ様は常にオーバーレイヤーから私たちを見守ってくれています。さあ、共にこの荒廃した極次元の世界をフギロシャネソララ様の恩寵で満たしましょう!」

「嫌よ! ――もう! よく考えたらシビルが転生者ってわかっても攻略になんの関係もないじゃない! 無駄!」


 そしてわたしは癇癪を起こして邪神サークルの根城である空き教室を飛び出した。


 白状するとシビルの電波っぷりに多少恐れをなしたこともある。それでやや不自然ながらも無理やりに話を切り上げて教室を飛び出したのだ。


 でも口にしたセリフに嘘はなかった。なぜならわたしの頭の中ではワッショイワッショイと祭りが開催されていたからである。


 シビルが同じ転生者だと聞いて親近感を覚えなかったわけではないのだが、当の本人がアレだ。自分のことを棚に上げることを承知で言えば、ちょっとお近づきにはなりたくないだろう。


 そして乙女ゲーム自体をどうもよく理解していないシビルは、わたしのウハウハ恋愛計画の邪魔にはならないと判断した。なぜならシビルは電波だから。電波女にマトモなキャラクターがなびくはずもない。


 しかし今思い返すと色々とツッコミどころがある。けれどもつい先ほどまで頭に花を咲かせていたわたしは、まったくそれに気づかなかったのである。


 教室を飛び出したわたしはそのまま裏庭まで走って逃げた。追いかけられることを恐れてのことだが、幸いなことにシビルもハリエットもそんなことはしなかった。そのことにワガママなわたしはちょっとイラついた。なんだかんだ、特別扱いには飢えていたようである。理不尽な態度だ。


「も~……なんなのよ。こんな変な要素、ゲームにはなかったはず……――ぎゃっ」


 乙女らしからぬ声を上げてわたしは数センチほど飛び上がった。実際にはどうだったかはわからないが、飛びあがらんばかりにおどろいたことはたしかである。


 わたしの曇った目にも鮮明に飛び込んできたのはネコの死骸であった。愛らしくふわふわの、まだ子ネコだろうその生命はすでに息絶えて無惨な亡骸を地に晒している。詳しい描写は省くが、鋭利なもので腹を切り裂かれたようだった。明らかに、ひとの手で死に至らしめられたということを示している。


 ここのところ、こういった痛ましい事件がこの辺りでは頻発していた。お貴族様が暮らす別宅――生徒が学園に通うためのものだ――が並ぶこの地域は自然が多い。狩りをするための森も近い。必然、野生動物も多く生息していた。


 そんな地域で小動物の明らかな他殺体が発見されるようになったのは、学期が始まってからのことである。


 わたしは――その犯人を知っていた。


 その名はジャスパー・ロバートソン。なにを隠そう、攻略対象キャラクターのひとりである。


 ジャスパーもベティと同じく平民出身の生徒で、クラスメイトでもある。その出自ゆえに蔑まれることもあるが、彼がなじめていないのは血統ゆえではなく、その生活態度のせいだ。


 黒を基調とした本来は紳士的な制服を着崩し、廊下を歩けば肩をいからせて周囲を威嚇するような視線を走らせる。こんな人物と仲良くしようと思う品行方正な坊ちゃんお嬢ちゃんはいないわけで、必然的にジャスパーは学園内では浮いた存在となっていた。


 彼がこのような態度を取るのには「構って欲しい」という身勝手で幼稚な思いもあるが、最大の理由は「だれも傷つけたくない」ためである。


 ジャスパーの養父母は元は中流階級の裕福な商人であったが、目覚ましい交易の実績から准男爵位を授けられたという経緯を持つ。商人としての才を持ちながらも下手な貴族よりも財産を築き、鷹揚な精神を持つ養父母をジャスパーは心の底では慕っている。


 しかし彼には抑えがたい衝動があった。かつて振るわれた虐待のさなかに育まれた、憤怒の衝動。そして暴力への欲求。それはジャスパー本人にはどうすることもできない、爆弾のようなものだった。


 ジャスパーはその衝動をひとへ向けることを恐れている。しかし自分ではどうしようもできず、小動物でそれらを発散させている――という設定だ。


 わたしが見た限りではゲーム内での設定と、この世界での彼の来歴にそう差はないようだ。ゲームの進行通りのイベントが起こっているのがその証左だろう。


 ジャスパーの個別ルートで好感度が低いままでいるとバッドエンドルートに入る。そこではジャスパーの標的が徐々に大きくなって行くことがわかる。始めは小鳥、次にネコやイヌ、そうしてウマやウシまで行けば、その次に人間が標的になるのはすぐであることがわかるだろう。


 ちなみにハッピーエンドルートではヒロインがジャスパーと寄り添いながら傷を癒して行き、ときに――文字通り――傷つけあいながらも最終的には悲惨な過去を昇華し、衝動から解放されるというものである。


 当然、わたしはそういう流れを把握していたし、ジャスパーの凶行を止めるにはどうすればいいのかも、わかっている――つもりだった。


 しかし実際わたしが脳内で考えたのは「早く好感度を上げて癒してあげなきゃバッドエンドルートに入っちゃう!」である。わかってる。こんな邪念を抱いた輩にジャスパーが癒されることなんてないだろうということは、今ならわかる。そう、今なら。


 このときのわたしの頭はまったくパッパラパー。なーんにもわかっていなかったのだ。


 だから考えなしに凶行を終えたばかりのジャスパーへ突撃するという、ウルトラCを華麗に決めてしまったのである。


 ちなみに子ネコは土葬しました。可哀想だったからというよりは、わたしの頭が可哀想だったからだ。つまりはヒロインである自分に酔っての行いである。


 今思えば証拠保全とかそういった考えがスコンと抜けているのがわかる。まずするべきは大人――この場合は教師か――に報告することだろう。


 しかしそんなことはしなかった。なぜならわたしはバカだからだ。


 するとどうなる?


「――な、なんでお前がそれを知ってるんだ?!」


 答え、養父母に知られて見放されることをなにより恐れているジャスパーが恐慌状態に陥る。


 当たり前だよバカ! 設定知ってるくせに地雷を踏みに行くなよバカ! もう本当にバカバカバカ!


 しかしわたしはなぜジャスパーの顔がこわばり、そんなことを言い出したのかまったく理解していなかった。バカにもほどがあるでしょう?!


「お、落ち着いてジャスパー……」


 いや、落ち着くほうが無理でしょ?! だって相手は自分の弱みを握ってるんだよ。しかも自分に媚びを売って来ていたクソ女だよ?! 最大限警戒するのは当たり前だよ!


 そう思い返してもすべては遅い。覆水盆に返らずとはこのことである。


「お前……そんな……オレは、オレは……そういう……」


 ジャスパーはぶつぶつとなにかの中毒患者のように口の中で言葉を繰り返す。わたしにはなにを言っているか聞き取れなかったが、事態が危険水域に突入したということだけはわかった。


 ジャスパーはわたしが凶行を目撃した人間だと思ったらしい。混乱した彼は短絡的な思考で養父母にバレないための手段を考えてしまった。


 つまり、わたしを消せばいいという選択である。もちろん、この世からの消去=殺人である。


 ジャスパーは内ポケットから折り畳みナイフを取り出した。ナイフの刃は存外と綺麗で、それが逆にわたしの恐怖をかき立てた。


 ジャスパーの顔はさながら幽鬼の類いのようで、まるで生気がなく、肌は恐ろしいほど白く見えた。双眸は虚ろな輝きを持って、まっすぐに宙を見ている。わたしを見てはいなかった。たぶん、見られなかったのだろうと今ならわかる。


 ジャスパーは吠えた。躾のなっていないイヌよりも激しく、狂おしく、絞り出すような声を発して、わたしに襲いかかった。わたしは、情けないことに完全に足がすくんで、逃げることすらできなかった。


「――御待ちなさい!」


 そこに割って入ったのは聞き覚えのある、良く通る声だった。


 同時にわたしの顔に影が差す。しかしわたしはぎゅっとまぶたを閉じるだけで、単なる無為な逃避行動に貴重な時間を費やした。


「――な、な、なんだ?! お前は――!」


 次いで聞こえて来たのは、ジャスパーの震えた声だった。


 ――そして、朗々たる少女の、賛美の声が響き渡る。


「御覧なさい! フギロシャネソララ様の御加護あらば、この程度どうということもないのです!」


 凶刃に倒れるかに思えたシビルは血にまみれた腕を広げるや、「フギロナントカ」なる神の素晴らしさを高らかに語り始めた。


 それを見てわたしは正気に返った。

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