邪神サークルへようこそ!~わたし元ヒロイン。電波狂人がヒロインになったの(白目)~

やなぎ怜

(1)

「御覧なさい! フギロシャネソララ様の御加護あらば、この程度どうということもないのです!」


 凶刃に倒れるかに思えたシビルは血にまみれた腕を広げるや、「フギロナントカ」なる神の素晴らしさを高らかに語り始めた。


「なっ?! どういうことだ?! オレはたしかに――」

「――確かに、私は今しがた、貴方に刺されました」


 シビルは広げていた腕を恭しく折り曲げ、その白魚のような手の先を胸に当てる。「しかし!」


「――しかし! フギロシャネソララ様の御加護が私にはあるのです! ――ですから、すべての悪意ありし事象はフギロシャネソララ様の信徒たる私を前にその膝を折らざるを得ないのです。フギロシャネソララ様の“絶対力ぜったいりょく”を前に跪くのは宇宙が定めし自然の摂理ですからね」


「バッ――馬鹿馬鹿しいっ! そんなわけあるかっ! ナイフで刺されりゃ血が出る――血が出るってことは死ぬってことだ! 殺せるってことだ!」


 狂ったように吠えかかる少年――わたしたちのクラスメイトであるジャスパーは、まさしく狂犬だった。


 しかしそのぎらぎらとした彼が持つナイフのように鋭利な視線は震えている。まなじりに涙を浮かべて、勇ましい言葉とは裏腹な表情が彼の内に怯えがあることを、恐れがあることを教えてくれる。


 そんなジャスパーに対し、シビルの顔はいたって涼やかそのもの。切り揃えられた美しい黒髪がさらりと揺れて、その下にある表情は慈愛に満ち満ちていた。


「いいえ、わたしは死にはしません。少なくとも、フギロシャネソララ様の恩寵でこの極次元きょくじげんにある荒廃した世界を救い、全人類に幸福をもたらすまでは――」


 わたしは……わたしは……――ついていけなかった。


 なにもかも、ついていけない。おいてけぼりだ。いや、シビルやジャスパーのその人柄を思えば、おいてけぼりであるほうが、彼女らの思想を悠々と理解出来てしまうより、ずっといいのかもしれない。



 わたしの名前はベティ・グレイ。つい先ほどまで、前世でプレイした某乙女ゲームに酷似したこの世界において、「自分がヒロインである」と信じて疑っていなかったお花畑転生者である。


 なぜわたしがそのような素っ頓狂な思想基盤を得るに至ったかについては、ひとえに「ベティ(デフォルト名)・グレイ」に生まれついたからとしか言いようがない。


 え? 「前世がどうのと言っている時点で正気に戻っていないじゃないか」――と。……おっしゃる通りです。


 でもわたしが「彼ら」のことを顔見知りになる前から認知していたことはたしかな事実。これを持って「前世がどうの」と言うにはいささか弱い理由ですが、まあそのことはひとまず端に置いておいて忘れてください。


 とにかくわたしは「ベティ・グレイ」で、それから「彼ら」を知っていた。ゆえにわたしはこの世界の「ヒロイン」なのだと信じ込んだ。――実に短絡的ですね。


 でも今でもわたしは「ヒロイン」――「だった」のではないかと、まだ思っていたりします。すべての状況がわたしを「ヒロイン」なのだと言って――あ、はい、すいません。この話はここまでにします。はい。


 いえ、はい、ちゃんと頭の中のお花畑は枯れましたってば。はい。


 とにかくこの世界は、前世のわたしが知る乙女ゲームの中で展開された世界観とストーリーに合致していた。


 現実世界とは違う近代西洋風の空気を持った異世界の学園が舞台。その学園で六人の攻略対象たちと交流を深め、最終的には個々のルートに派生して行くという、オーソドックスな恋愛アドベンチャーゲーム。


 前世のわたしはそのゲームに夢中になった……ということはなかった。毎月発売される乙女ゲームのうち、興味を惹かれてそこそこ楽しんだゲームのひとつ。マストバイってほどではないけれど、オススメできるか? と聞かれたらもしかしたら挙げるかもしれないタイトル。


 その乙女ゲームはわたしの中ではそういう立ち位置のゲームだった。


 ……で、なぜそれほどの熱量を注いだわけでもないゲームに酷似した世界に転生して、お花畑が爆発したのか。


 それはひとえに前世のわたしの人生があまりにパッとしていなかったからである。あなたの思う地味でパッとしない人生を想像していただければ、大体そんな感じだ。


 ゲームの世界に転生?! チートできるじゃん! やったー勝ち組! これからが我が世の春よ~!


 ……って感じにドリームが爆発してしまった、としか言いようがない。


 この恥ずかしさは自分の得意分野の話題を振られて、思わず早口で熱弁してしまったときのことをあとで思い起こした心情を数十倍にしたもののような感じ……と言って伝わるだろうか。


 とにかくテンションが高かったし、とにかく空気が読めていなかったし……つまるところ大失敗してしまったということである。


 この世界の両親――といっても血のつながりがない――には何度も「現実を見ろ」と言われた。我が世の春というか、頭の中が年がら年中春だったわたしは右から左。そのうち継父はあきらめたが、継母はあきらめなかった。


 今思い返すと床に額をこすりつけて謝りたくなる。いや、今日家に帰ったら謝ろう。今まで迷惑かけてごめんなさい、と言うべきである。そうしないとわたしの胸の中で羞恥心が暴れ出して爆発してしまうに違いない。


 っていうか継母はよくこんな血のつながりのないクソめんどくさい子供を見捨てなかったな! 本当に本当に申し訳なさで死にそう! わたしとは人間が違いすぎる!


 ちなみに「ベティ・グレイ」はまあ少女漫画とかでもよくある、「実は貴い人の落としだね」という設定。継父の実兄と使用人だった娘が駆け落ちして生まれた子供が「ベティ」なのである。


 しかし両親がそろって流行病で亡くなると天涯孤独の身となりベティは孤児院へ。だがそこへ父親の実家からの使者が現れてベティは実は貴族令嬢だったのだ! ということが判明し、父親の実家に引き取られ「ベティ・グレイ」となる――という展開。


 わたしが花畑を爆発させたのは、こんな絵に描いたようなシンデレラストーリーを経験したことも原因の一端であるような気がしないでもない。


 ……だからといってその経験「だけ」のせいにするつもりはない。なにもかも、わたしの素地が悪かったのだ。ドリームを爆発させてしまったわたしが悪いのだ。


 前世の記憶に加えて、「ベティ・グレイ」になったという事実にわたしは暴走した。毎日「どのキャラを攻略しようかな~」とかアホなことを考えて暮らし、気がつけば一六歳。中二はすぎたのに、中二病よりも厄介な病気に罹ったままわたしは乙女ゲームの舞台と酷似した学園に入学した。唯一の救いは勉強はちゃんとしていたくらいか。まあそれも攻略対象をおとすためくらいにしか考えていなかったが……。


 そしたらどうなる?


 ……当たり前だが、わたしはクラスの鼻つまみ者だった。


 なぜなら特定の男子生徒にはテンション高く媚を売る――実際は売れていなかっただろうが――くせ、それ以外の生徒――つい先ごろまでわたしは「モブ」と呼んでいた――には無関心かつ粗雑な態度を取っていたからだ。こんなやつ、だれだって仲良くしたいとは思わないし、そもそも近寄ることすらしたくない。


 ……しかし驚くべきことに今の今までわたしはそれに気づけていなかったのだ。ドリーム怖い。花畑怖い。


 攻略に関係のないモブには冷淡に接し、攻略対象の男子生徒にはやたらにベタベタしていたわたしは、ほぼボッチだった。


 なぜ完全なボッチではなかったかと言われると、たったひとりだけ、なにかにつけわたしを心配してくれる天使のような子がいたからだ。


 彼女の名はハリエット。わたしの前世に照らし合わせると、いわゆる学級委員長ポジションにいる眼鏡におさげの女の子である。


 ハリエットは素晴らしく出来たひとである。わたしが孤立しているのをヨシとせず、課題のレポートなどを書くのに「班を作って~」という――前世のわたしにとって――地獄のような言葉がかかれば、真っ先にこちらを気にしてくれる善きひとである。


 そんな彼女に対してわたしはどうしたか?


 一応、相手にはしていた。ハリエットの善意に触発されたからではない。……彼女がゲームにおいてはベティの友人という立ち位置の、サブキャラクターだったからだ。だからわたしは「一応」相手にしていた。


 それでも「一応」である。こんなにこんなに善いひとだというのに、わたしは彼女の善意や配慮を無碍にして粗雑な扱いをしていた。


「ハリエットがわたしに良くしてくれるのは当然。だって彼女はサブキャラクターでわたしはヒロインなんだから当たり前」


 ……だれかわたしを殺してくれないかな?


 最低も最低も最低だよ! なにこの傲慢な考え?! 自己中心的すぎるにもほどがあるでしょ?!


 ……こんなそのまんまなセリフはさすがに口にはしなかったけど、態度には出まくりだったに違いない。だというのに見捨てなかったハリエットって聖母かなにかなの? 菩薩なの? 天使なの? 終始一貫して優しいとか人間が出来すぎてるでしょ?!


 それに比べてわたしの人間性たるや無惨も無惨。ひとつひとつ戒めとして思い出してるけど、死にそう。本当、いっそ殺して。


 まあそういう態度のクソでかいクソ女であったわたしに攻略対象たちがなびくはずもなく、時間だけが過ぎて行った。わたしはひとり首をかしげていた。「どうして攻略が進まないの?」って……当たり前だよバカ! 一度死ななきゃ治らないタイプのバカだよ!


 むしろこんなクソ女になびく男がいたら怖い。っていうか泣く。現実はそうではなかったので良かったんだけれども。


 そんな、すでに無惨も無惨な事態がさらにおかしくなっていった――要は「フギロナントカ」がどうという話題が出て来た――のには理由がある。


 シビル・アンダーという季節外れの転校生。彼女の登場によってなんとかわたしは正気に返り、逆に周囲はおかしくなっていくのであった――。

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