更に時が過ぎ、私には結婚話が持ち上がった

 私と諒太は、社会人になって一年経ったところで両家の承諾を得て一緒に住み始めた。将来の結婚も視野に入れた「お試し同棲」というやつである。断じて、沙希のようななぁなぁの同棲ではない。

 これまでだって互いの家を頻繁に行き来していたとはいえ、同棲を始めるにあたっておおまかな家事分担ルールを決めたり、財布もふたりで一つということにしたりと、それこそ結婚生活のシミュレーションのような生活を送るようになったが、微調整は要所で必要になってくるものの、おおむね順調といえた。


 就職難の中、私のまわりの人たちはそれぞれの形で社会に出ていた。

 大学では諒太と同期で、私から見ると二年先輩になる三浦さんは二度目の挑戦で国家公務員試験に合格し、私が大学四年に進級する春から、霞が関で働くお役人になった。立場は違えど公務員同士ということもあり、三浦さんとは今でも仲良くやっている。男どもがめんどくさがってやらないサークルOB・OG用メーリングリストの管理なんかも、彼女と一緒にやっていたりする。

 高校の新聞部仲間のうち、写真が学べる大学に進学した瑞穂は大学卒業を機に上京し、都内のフォトスタジオに就職した。そうして、働きながらコンクールに出展したり作品をホームページに公開したり、いろいろなアプローチで写真が評価される機会を窺っている。瑞穂は就職を機に上京したので、彼女とも時折会っている。帯広の獣医大学に進学し、六年間の課程を終えようとしている滝口は、動物病院の跡を継ぐための進学だったはずが牛の方に興味が移ってしまい、卒業後も帯広で牛を相手に働く予定だそうだ。滝口の親は跡継ぎ候補を失ったわけだが、こんなことになるだろうと想像が付いていたから別に落胆もしておらず、今は滝口の弟が跡を継ぐと張り切って関東の獣医学部で学んでいるところ――という後半の情報は、猫を飼い始めて滝口の親の動物病院をかかりつけ医にした私の母から得られたものである。


 

 そして――沙希は。


 今何年生なのかはよくわからないが、まだ大学生である。学部を移ったという話は聞かない。卒業の目処が立ったという話も聞かない。子供を堕ろしたという話なら更に二回聞いた。そんな男やめてしまえと、相手が沙希でなければいいかげん進言するところだが、都合三回も堕胎を余儀なくされておいて沙希の「彼氏」に関するのろけ話は止むところがないから、これはこれである意味幸せなのかもしれないし、もう放置でよいのかもしれないと呆れ半分で考えている。

 男のことは正直なところ勝手にしろという話になるわけだが、私が働いていることをやっかむような発言がここ最近めっきり増えて、その点については閉口している。


 「お姉ちゃんはいいよね、公務員なら将来も安泰だし」

 「それにしてもよくお姉ちゃんで受かったよね公務員試験」

 「それにしてもなんといっても社会人サマなんだから堂々と帰省もできていいね」

 

 こんなことを、電話で、メールで、ちくちくと言ってくる。社会人「サマ」とは一体何かという感じだが、実際に沙希からのメールがこの通りの表記になっていたのである。公務員試験に一回で合格したのは確かに幸運だったのかもしれないが、大学を卒業した以上、何らかの形で社会に出なければ生きては行けないから頑張って社会人になり、はっきり言って学生時代とは比べ物にならないような大変な日々を送っているというのに、社会人「サマ」などという言い方でやっかまれる謂れは私にはないと、それは心の底から思うのだが、沙希は沙希なりに自分の将来が不安でたまらなくて、その裏返しとしてこんなふうに私にちくちく言ってくるのだろうと想像すると、なんだか許せるような気がしないでもなかった。

 だって沙希は、何一つうまく行っていなくて可哀相だから。



 同棲を始めて半年が過ぎたころ、私たちの間に結婚話が持ち上がった。ふたりでの生活は問題が何もないとは言えないけれどもまぁ順調だし、そろそろよいのではないか、とどちらからともなく言い出した形だが、入籍時期にこだわったのは諒太の方だ。

 「来年の二月二十九日ってさ、大安なんだよ。四年に一度しかない日が大安なんだよ。すごくない? 面白いし、この日に入籍しようよ」

 そう熱く主張する彼ほどその日取りに拘りがあったわけではないが、まぁ確かにそう言われてみれば面白いのか、と同意した。私たちはふたりとも、社会人になってから二年足らずで結婚することになるがそれは早すぎはしないか。強いて言うならそのことが気になった。当人同士にしてみれば大学の先輩と後輩だった頃からの長い付き合いになるのだからもうそろそろ、という気持ちだが、まわりはそうは思わないかもしれない。

 その懸念があったのでまずは諒太と私がそれぞれの親に意向を伝えたが、あっさりと了承が得られて、まずは一安心というところだった。

 結婚にあたって式や披露宴をやるつもりはないと言ったことに対して、特に彼の家族から本当にそれで構わないのかと少し心配はされたが、そこについては「めんどくさいからそういうのはナシということにしよう」という至極シンプルかつ身も蓋もない理由で私たちの間で合意が取れていたところだったし、彼の家族がイエとして挙式をしてほしいと希望しているわけでもなかったようで、「ふたりがそれでいいなら」と最終的には納得してもらえた。

 私の親、特に父からは「ケジメとして挨拶には来てほしい」と要望が出たので、どうせなら両家の顔合わせを兼ねた食事会をすることにした。会場については東京にする方がよいのかどうか悩んだが、旅費は私たちが負担して、諒太の両親に北海道まで出向いてもらい、ついでに北海道の美味しい料理や観光名所も楽しんでもらおう、という方向で話はまとまった。



 私たちは、式や披露宴は嫌だけど結婚にあたってそれらしいことを何もしたくないわけではないというところまで一致していた。具体的には、瑞穂が働いているフォトスタジオでウェディングフォトを撮って、結婚指輪を買って、入籍後には新婚旅行もしたかった。ふわふわと浮ついた気分でそれらの準備をしながらも、気になっていたのは沙希のことだった。

 実は、今回の食事会に彼のお姉さんを招かないことにしたのは、両家のバランスを取るためである。彼の、お姉さんにお祖父さんお祖母さんやいとこまで含めた食事会をまた別に機会を設けて盛大に執り行おうということで、不義理を許してもらった。これは母から聞いた話だが、沙希は大学生活五年目の終わりに学業不振について父と電話で口論になったそうだ。その時、父の方がカッとなってしまって「お前はなんだ、男にかまけてそのていたらくなのか」とかなんとか言ったところ沙希もすっかりキレてしまい、その一件以降、連絡は全くなくなっているのだという。そんな事情があるから、食事会に沙希を呼ぶわけには行かないと判断せざるを得なかった。

 しかし、沙希を食事会に呼べない事情はさておいて、私たちが結婚することについては、伝えないわけには行かないのではないか。母も諒太も、「変に隠す方が角が立つのでは」という意見だったし、私も同感だった。

 

 これまでの沙希との関係、沙希の逆鱗に触れてしまった過去のいろいろを考えると、私が結婚すると伝えたところで、喜んでもらえるとはとても思えなかったが、変に自慢げなニュアンスにならないよう、大事なことだから伝えるだけだという体裁を保てるようにと悩んで、ごく短いメールを送るにとどめた。入籍日を二ヶ月ほど後に控えた、年の瀬のことである。


 「学生の頃から付き合っていた彼と来年二月に入籍することが決まりました」


 このたった三十文字ちょっとの文章を悩みに悩んで打って、送信。

 ドキドキしながら、沙希からのリアクションを待った私は、頭を殴られるようなショックに見舞われることになる。

 


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