23話

 夜九時になると、蒼兄の車で学校近くにあるウィステリアヴィレッジへ向かった。

 夕飯を食べながら栞さんが教えてくれた話。

 藤宮の親戚縁者は多いけれど、個人個人はそれほど仲がいいわけではないという。ただ、親が兄妹であるとか、血のつながりが濃いところは密接な関わりがあり、ゆえに海斗くん兄弟や司先輩姉弟は仲がいいのだとか。

 栞さんと静さんがそこへ加わったのは、湊先生と栞さんが同学年で仲が良かったかららしい。

 そんな三組の従兄弟たちは、みんなが集まりやすいときに時間を合わせて夕食会を開くという。

 その期間はテスト前四日から始まるらしかった。

 荷物が運び終わると、

「コーヒー淹れるわね」

 栞さんが蒼兄に声をかける。

「いえ、栞さんちの確認もできたし、今日はこれで帰ります。栞さん、翠葉のことお願いします」

 玄関まで見送りに行くと、

「何かあればすぐに連絡しておいで」

 頭にポンと手を乗せられる。

「明日の夕飯まで、蒼兄に会わないね? こんなに長い時間会わないのは、なんだか変な感じ……」

「そうだな。でも、夕方には会えるから」

 蒼兄は穏やかに笑うとドアレバーに手をかけ、栞さんに一礼して帰っていった。


 栞さんに案内されたのは玄関脇の一室。八畳ほどの洋間だ。

 ベッドとデスクが置いてあり、備え付けのクローゼットは空の状態。

 白い壁にパイン素材のフローリング。ラグはレモンイエローで毛足の長いタイプ。

 なんとなくまだ木の香りが残る部屋。

「持ってきた洋服類、そこのクローゼットにかけてね。下着はチェストに入れるといいわ」

 言われたとおり、洋服や制服はすべてクローゼットに吊るし、クローゼット内にあるチェストに下着などの小物をしまった。

 持ってきたバッグもクローゼットの中。

 片付けが終わると、栞さんが天板のようなものを持ってきた。

「これ、折りたたみのローテーブル。デスクでの勉強じゃ長時間はきついでしょう?」

「わぁっ! ありがとうございます」

「もちろん、リビングのローテーブルで勉強してもかまわないわよ。どちらか好きなほうを選んでね」

「はい」

 そんな会話をしていると、インターホンが鳴った。

「あら、こんな時間に誰かしら?」

 栞さんがドアスコープから外を見ると、驚いたようにドアを開けた。

「静兄様、どうしたのっ!?」

 訪ねてきたのは静さんだった。

「いや、下から見上げたら電気がついていたから珍しいと思って寄ってみただけだ。……て、あれ? 翠葉ちゃん?」

 客間から顔を出していた私に気づき、静さんが目を丸くする。

「玄関じゃなんだから上がって? 夕飯は?」

「済ませてきた」

「じゃあ、コーヒーを淹れるわ」

 栞さんはキッチンへ向かい、その場に残された私と静さんはワンテンポ遅れて夜の挨拶。

「翠葉ちゃん、こんばんは」

「静さん、こんばんは」

 ふたり見合わせてクスリと笑う。

 リビングへ行くと、

「今、テスト期間中じゃない? それで翠葉ちゃんもここにいるの?」

 ジャケットを脱ぎながら静さんに訊かれる。

「はい。授業は午前で終わるけど、蒼兄を夕方まで待たなくてはいけないので……」

「でも、今までは秋斗のところで待ち合わせていたんじゃなかった?」

 言われて言葉に詰まる。

「おや、何かあったね?」

 口を開かずに下手な愛想笑いを作っていると、

「静兄様、あまりいじめないであげて?」

 栞さんがハーブティーとコーヒーをトレイに載せてやってきた。

「先日、ホテルで秋斗とふたりでいるところを見たんだ」

 森林浴に出かけた日にホテルで会ったことを静さんが話すと、

「あら、もうその話も知っていたのね?」

「あぁ、秋斗がプライベートでうちを使うなんて初めてだからな。どんなお嬢さんを連れて来るのかと思えば翠葉ちゃんじゃないか。びっくりしたよ」

「私もびっくりしました……」

 ようやく口を開くと、

「でも、ここへ逃げ込んでいるところを見ると、付き合っているわけではなさそうだね」

 静さんの視線がチクチクと肌に刺さる。

「静兄様、その辺にしてあげてください」

「はいはい。でも、翠葉ちゃん。何か困ったことがあったらいつでも連絡しておいで? おじさんが助けてあげるから」

 それはどのくらいの範囲において有効なのだろう……。

 考えていると、

「翠葉ちゃん、ごめんなさいね。お兄様ったら自分の恋愛はそっちのけで、人のことばかりなんだから……」

 栞さんの言葉にびっくりした。

「えっ!? 静さんは独身なんですか?」

 こんなにすてきな方なのに!?

 静さんは「残念ながら」とにこりと笑う。

「好奇心を駆り立てられるような女性に出逢わないだけなんだ。いや、ひとりはいるんだけど、残念なことに既婚者でね」

 それは残念……。

「翠葉ちゃんはどんな人が好みなのかな?」

「理想、ですか?」

「あぁ、理想でもいいな」

 どんな人……。理想、好み――

 そんなことは考えたこともなかった。

「これ、というのはない気がします。強いて言うなら、蒼兄以上に私を大切にしてくれる人? じゃないと、蒼兄が許さないって言ってました」

「それは大変そうだ」

「それは大変そうね」

 静さんと栞さんは真顔で口を揃える。

「でも、それは理想とは言わないだろう? たとえば、優しい人やスポーツができる人、明るい人とか……」

「……それなら、価値観が似ている人がいいです。あと、一緒にいて疲れない人」

「あら、意外と達観した答えが返ってきたわ」

 栞さんは口元に手を当て、きょとんとしている。

「その心は?」

 静さんに理由を促され、

「考えが一人ひとり違うのは当たり前なんですけど、あまりにも違いすぎたら一緒にいるのが疲れちゃう気がして……。あとは、素の自分を好きになってもらいたいから。だから、がんばりすぎない自分を見せられる相手がいいです」

「なるほどね。それがうまくいくかは別として、今また、御園生翠葉っていう人間に触れた気がしたよ。初めて会ったときにも感じたけれど、翠葉ちゃんはしっかりと自分を持っているんだね。だから、ああいう写真が撮れるんだ」

 写真と言われて、私のセンサーが反応した。

「写真っ! 静さん、ちょっと待っていていただけますか?」

 私は急いで客間へ戻り、一枚の写真を持って出た。

「これっ!」

 少し大きめにプリントアウトした写真を静さんの前に差し出す。と、

「――これはうちのパレスのチャペルだね」

 え……わかるの?

「先日、藤倉のホテルへ行く前に、秋斗さんがここへ連れていってくれたんです」

「これは、いいね」

 静さんが面白そうに口端を上げた。

「お気に召しましたか?」

「とても。これは使える。そうだ、試験が終わったら打ち合わせをしよう。最近撮った写真があれば、そのときに持ってきてもらえるかな?」

「はい」

「静兄様、私も見ていい?」

 栞さんが遠慮がちに聞いてくる。

「ごらん」

 静さんが写真を渡すと、

「わぁ……きれいね? ステンドグラスの色かしら? ……あら? どこかで見たような……」

 小首を傾げる栞さんを見て、静さんとふたり顔を見合わせて笑う。

「栞が式を挙げたチャペルだよ」

「えっ!? でも、全然チャペルって感じがしないわっ。光の世界って感じだけど……」

 栞さんはその写真から目が放せないようでじっと見ている。

「それが翠葉ちゃん最大の武器かな。見ているものをそのままには撮らない。人とは違う見方をする子でね。本当にいい写真を撮るよ」

「すてき……。うちの玄関に飾りたいくらいだわ」

「……飾りますか? お好みのサイズで現像に出しますよ?」

「えっ!? いいの? 静お兄様、これってまだ大丈夫かしら?」

「彼女の作品は借用扱いで買い取りじゃないからね。とくに問題はないよ」

「じゃ、お願いしようかな」

 かわいらしくはにかんだ栞さんは、まるで少女のようだった。

「翠葉ちゃん、着々とファンが増えるんじゃないか?」

 静さんがからかうように言う。

「そういうのはよくわからないけど……。でも、気に入ってもらえるのは嬉しいですね」

 私は照れ隠しに髪の毛をいじりながら答えた。

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