12話

 順調に距離を稼ぎ、高速道路を下りて二十分ほど走ったところで仰々しいゲートが見えてきた。

 まるで外界を阻むようなゲートにゴクリと唾を飲む。

 私たちの車に気づいた警備員さんがゲートを開けてくれ、速度を落としてゆっくりと通過する。と、ゲートの先には両脇を木々に囲まれた道路があった。

 そこは本当に緑の中で――

 山? 森? 林?

 ここはいったいどこなのだろう。

 自然の中に見えるけど、きっと人の手が入り過ぎない程度に手入れをされている林だと思う。

「ここ、どこなんですか?」

「藤宮が所有するホテルのひとつ、ウィステリアパレスだよ」

 あぁ、そうだった……。この人は藤宮グループの御曹司だった。

 普段意識することがないだけに、会話にそれらしきことが含まれると驚いてしまう。

 ウィステリアパレスとは、藤宮グループの傘下にあるホテル事業である。

 ウィステリアホテルの中でもパレスと名の付くホテルはもっともランクが高く、会員しか泊ることのできない宿泊施設なのだ。

 先日、我が家に来たお客様、藤宮静さんはそのホテルとパレスを取り仕切るオーナーだというのだから、やっぱり私はとんでもない仕事を引き受けてしまった気がしてならない。

「はい、到着!」

 言われて辺りを見回すと、白亜の城と言えそうな建物の前に車が停まっていた。

「きれい……」

「ここはウィステリアパレスの中で、一番人気のチャペルがあるんだよ」

「そうなんですね……」

 結婚式場だからこういう建物なのだろうか……。

 こんなにたくさんの緑の中で、ガーデンウェディングができたらすてきだろうな。

 新緑に、純白のウェディングドレスがよく映えそう……。

 ぼーっと窓から建物を眺めていると、車を降りた秋斗さんが助手席へ回ってきて、ドアを開けてくれた。

「チャペルはステンドグラスがきれいなことで有名なんだけど――さて、お姫様。どこから回る?」

 秋斗さんに手を差し出され、少し恥ずかしく思いながら手を預ける。

「チャペルが、見たいです……」

「かしこまりました」

 秋斗さんはにっこりと笑うと私の手にしていた荷物を当然のように持ち、私の手は放さず、先導するようにゆっくりと歩き始めた。

 ただ、ハープを持たせるのは申し訳ない気がしたので、それだけは自分で持たせてもらった。

「それ、ハープでしょう? あとで聴かせてもらえるのかな?」

「……私の演奏でよろしければ」

「楽しみにしてるね」


 建物の入り口で燕尾服のスタッフに出迎えられた。

「秋斗様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 初老の方は私に向き直り、

「ようこそお越しくださいました。私、総支配人の木田と申します。本日はごゆるりとご滞在ください」

 上品な笑顔を添えられ、私は会釈を返す。

「木田さん、お久しぶりです」

「はい。栞お嬢様のご結婚式以来ですから――もう三年になりますでしょうか」

 ふたりはとても穏やかに笑う。

「翠葉ちゃん、お昼はどうしたい? 本館で食べることもできるし、裏の林にお弁当を持っていくこともできるよ」

 訊かれて悩んだ。

 でも今日はお天気もいいし、外の緑もとてもきれい。

「……外、がいいです」

「了解。じゃ、木田さん、そのようにお願いします」

「かしこまりました」


 今いる建物は白い大理石がメインのつくり。

 大理石は冷たい印象を受けることが多いけれど、いつもとは違うものを感じる。

 照明の効果なのか窓から差し込む光なのか、眩い光が漂うようで、とても現の空間とは思えない。

 外観をかわいいと感じた雰囲気とも少し違う。

 光の演出がとてもすてきな空間だった。

「じゃ、チャペルに行こうか」

 秋斗さんに案内されて中庭に出ると、風景に馴染むすてきな噴水があった。

 周りには色とりどりのお花が咲いている。どれもハーブのようでイングリッシュガーデンを彷彿とさせた。

 いずれも緑の割合が多く、その中に小さなかわいらしいお花を咲かせている。

 バラはモッコウバラやスプレーバラなど、小ぶりのバラが花をつけていた。

「きれい……」

 さっき栞さんの結婚式以来と言っていたから、栞さんの結婚式はここで挙げたのだろう。

 帰ったら写真を見せてもらいたいな……。

 噴水から上がる水は、光に透けてキラキラのガラス玉のよう。

「翠葉ちゃんの目には何が映ってるの?」

「え……?」

「すごく気に入ってもらえたであろうことはわかるんだけど、何がどう見えてるのかな、と思って」

「……噴水の噴き上げる水が……」

 噴水の一番高い場所を指差し、

「あれが光に透けてキラキラガラス玉みたいだな、って……」

 秋斗さんも私と同じように噴水を見上げた。

「あ、本当だ……。水に周りの景色が映りこむんだね――こんなにきれいだったんだ」

 同じものを見て同じように感じてもらえることが嬉しかった。

 その噴水の後ろに建っている建物がチャペルだった。

 尖った角錐の屋根には鐘がついていて、壁面にはたくさんのステンドグラスが使われている。

 耐震性を考えると少し心配になるけれど、きっとチャペルの中は光のマジックですてきな空間になっているだろう。

 秋斗さんがドアを開けると、そこは虹色の世界だった。

 壁と床は白。参列席は天然木。そこへステンドグラスを通した光が虹色となって注がれている。

 床が虹色だ……。

「さ、お姫様。中へどうぞ」

 促されたけれど、私は足を踏み出せずにいた。

「翠葉ちゃん?」

 再度声をかけられ秋斗さんの顔を見る。

「きれいすぎて――もったいなくて入れないです。踏んじゃうのがもったいなくて……」

 クスリ、と笑われ手を差し出される。

「お手をどうぞ」

 言われて左手を秋斗さんに預けると、その手を優しく握られ前へと誘われる。

 あまりにも自然な動作で、うっかり足を踏み出してしまった。

 気づけば、光の中に立っていた。

「虹色の――光のシャワーみたい……」

「……そうだね。この時間帯が一番きれいに光が差し込むらしいよ」

 そっか……。

 ステンドグラスがはめ込まれた窓の角度によっては、時間ごとに光の差し込み方が異なるのだろう。

 もしかしたら、季節によっても違うのかもしれない。

「写真撮る?」

「いいですか?」

「お好きなだけどうぞ」

 言うと秋斗さんは、チャペルの参列席の端に腰掛けた。

 バッグからデジタル一眼レフを取り出し、露出の設定を済ませる。

 ここで私が撮りたいのは何――?

 少し考え、撮る対象を決めた。

 それは床――バージンロード。

 真っ白な道が虹色の光に彩られた様は、とても美しい。

 チャペルの入り口ぎりぎりまで下がり、カメラを床に置く。

 露出設定を何度も変更し、確認を繰り返して一枚撮影してみる。

 アングルに問題がないことを確認すると、再度ホワイトバランスや露出を変えて何枚か撮る。

 プレビュー画面を確認し、気に入ったものが撮れるまで何度も何度も繰り返す。

 私の写真は撮ったら確認の繰り返し。

 プロはいかに枚数少なくいいものを撮るか、という世界らしい。その一枚、一瞬に魂を注ぐのだと言う人もいる。

 でも残念ながら、私にそんな技術はない。ゆえに何枚も撮り、何度も確認する。

 どのくらい写真を撮っているのかもわからなくなったころ、

「撮れた……」

 虹色の道――白と虹色の世界。

 満足のいくものが撮れて、ペタリとその場に座り込む。

「撮れたみたいだね?」

 気づけば、すぐ近くに秋斗さんがいた。

 床から秋斗さんを見上げ、

「はい。すごくきれいな虹色の道……」

 秋斗さんに手を差し出され、ゆっくりと立ち上がる。

 その、手を出してくれるタイミングが蒼兄と同じで、なんだかほっとしてしまう。

「何を笑ってるの?」

「手を差し出してくれるタイミングが蒼兄と一緒だなと思って……」

 正直に答えると、

「僕はお兄さんじゃないからね?」

 その声がいつもと少し違うように聞こえたけれど、チャペルという場所で反響して聞こえたからかもしれない。

「写真、見せてもらえる?」

「はい」

 一番の力作をプレビュー画面に表示させると、

「チャペルじゃないみたいだ……。この写真を見せられても、誰もここだとは思わないだろうね」

 それはいいのか悪いのか……。

 私はその場の風景を切り取るのがとても苦手で、何かひとつのものに執着してしまう癖がある。

 そのため、全体像の写真は少なく、撮ってみたところで納得のいくものを撮れたためしがない。

「風景写真や人の写真を撮るのは苦手なんです……」

「あ、悪い意味じゃないよ? ただ、僕にはこんなふうには見えなかったから……。なんて言うのかな? ……こんな見方もあるんだって新鮮に思った」

 秋斗さんはプレビュー画面に視線を戻し、表情を和らげる。

「蒼樹がさ、よく言ってたんだよね。いつもはなんとも思わない景色やものを、翠葉ちゃんのフィルターを借りると全然違うものに見える、って。今、正にそれを体感中」

「翠葉フィルターですか?」

 訊くと、「そうそう」といつもの笑顔が返ってくる。

 チャペルを出ると、噴水前に木田さんがいた。

「秋斗様、お弁当のご用意が整いました」

「ありがとうございます」

 秋斗さんが藤色の手提げ袋を受け取ると、

「じゃ、次は森林浴かな?」

 と、チャペルの裏へと伸びる小道を案内された。

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