08話

 閉会式が終わっても、まだ興奮冷めやらん、といった感じの体育館内。

 それでも徐々に自分たちのクラスへ、と移動が始まる。

 これは人が少し引くまでは出られそうにない。

 出口を見てぼーっとしていると、桃華さんと佐野くんがやってきた。

「どうだった? 歓声の中に立った気分は」

 佐野くんに訊かれて、思わず笑顔になる。

「あのね、声がわーって上から降ってきてすごかった!」

「うん、そんな顔してたわ」

 桃華さんと佐野くんは顔を見合わせクスクスと笑う。

「俺ら、まだ片付け残っててクラスに戻れないんだけど、海斗と立花が来ると思うからもうちょい待ってな」

「うん」

 しばらくすると、海斗くんと飛鳥ちゃん、というよりはクラス全員のお迎えが来た。

「お勤めご苦労!」

 なんて、ところどこから声をかけられて少し気恥ずかしい。

「恥ずかしい」よりも、「くすぐったい」……かな?

 そこへ、ミネラルウォーターをがぶ飲みする飛鳥ちゃんが戻ってきた。

「飛鳥ちゃん! すごいすごいすごいっ! なんで教えてくれなかったの!?」

「へへぇ……びっくりしてもらおうと思って。でも、楽しかったけど疲れたよ~」

 いつものように抱きつかれ、

「うんうん、お疲れ様」

 言いながら抱きつき返したらびっくりされた。

「翠葉好きーっ!」

 いつものごとく、猫のようにゴロゴロと懐かれる。

 それを見ていたクラスメイトが、「私もー」「俺もー」と便乗しだすのはいつものこと。

 男子に抱きつかれるのには慣れないけれど、このごった返したような雰囲気にはだいぶ慣れてきた。

 ホームルームが始まるころには、時計の針が五時を指していた。

「お前らがんばったなー! 最後に俺から奢りのジュースだ!」

 川岸先生はひとりずつに労いの言葉をかけ、果汁一〇〇パーセントの紙パックジュースを配る。

 私のところに来るとニカッと笑って、「御園生もクラスに馴染んだな」と言われた。

 中等部からの内進生が多いこのクラスに、馴染めた、だろうか……。

 人の目に、もしそう映っているのだとしたら、嬉しい……。


 ホームルームが終わると、蒼兄からメールが入っていることに気づく。



件名:お疲れさん

本文:昇降口前で待ってるよ。



 どうやら五分ほど前に受信したみたい。

「蒼樹さんから?」

 海斗くんに訊かれ、コクリと頷く。

「えっ!? どこかにいるのっ!?」

 途端にキョロキョロしだしたのは佐野くん。

 普段はそんなことないのだけど、蒼兄のこととなると、途端にミーハーっぽい一面が露見する。

「今、昇降口前にいるみたいなのだけど、一緒に行く?」

 佐野くんは顔を真っ赤にして、首を縦にブンブンと振った。


 蒼兄は、混雑した昇降口から少し離れた桜の木の下にいた。

「蒼兄っ!」

 声をかけると、読んでいた文庫本を閉じてこちらを見る。

 五人揃って蒼兄のところまで行くと、蒼兄が佐野くんに気づいた。

「初めまして、佐野明くん。翠葉がいつもお世話になっています」

 とても普通の挨拶だったけれど、佐野くんの反応は普通とは言いがたかい。

「いっ、いいいいえっっっ」

 言葉が上ずるくらいには緊張している模様。

「人間語話せよっ!」

 海斗くんに後ろから蹴りを入れられて、

「初めまして、佐野明です……」

 声は尻すぼみに小さくなり、どうやらその先が続かないらしい。

「困ったな……。俺、そんな緊張されるような人間じゃないんだけど」

 蒼兄は頭を掻きながら苦笑した。

「君の走り、見たことあるよ。今年、インターハイに行くつもりなんだろ? がんばって!」

「がんばります……。蒼樹さんみたいに走れるように――自分にも人にも、何かを残せるように」

 何か思うところがあったのか、蒼兄は目を細めて笑うと、佐野くんの頭をくしゃくしゃ、と撫でた。

「楽しみにしてる。怪我だけは気をつけて」

「はいっ」

 飛鳥ちゃんが、「良かったねぇ」と佐野くんをいじると、佐野くんは顔をくしゃっくしゃにして笑った。

 そのふたりを見て安心する。いつものふたりだ、と。

「翠葉も今日は疲れたんじゃないか?」

 顔色をうかがうように蒼兄に覗き込まれ、

「うん。でもね、とっても楽しかったの!」

「この学校のイベントはどれも楽しめるよ。何かしら変な伝統があるから」

 その言葉に反応したのは海斗くんだった。

「そうですね。何かしらありますね」

「あ、そういえば……かわいい翠葉の写真とかいかがです?」

 桃華さんがデジタルカメラを片手ににこりと笑う。

「さすがは簾条さんだな」

 蒼兄は桃華さんからカメラを受け取り、かばんからノートパソコンを取り出すと、データのコピーを始めた。

「桃華さん、カメラなんて持っていたの? でも今日は、ほとんどクラスにいなかったでしょう?」

「そうね。でも写真は、私じゃなきゃ撮れないわけじゃないから」

 桃華さんはにこりと笑みを深める。と、

「それ、常にクラスの誰かが持ってた密告デジカメ」

 と佐野くんが指差す。

「ミッコクデジカメ?」

 訊き返すと、

「イベントは、思い出にも形にも残す主義なの」

 言いながら、桃華さんはきれいに微笑んだ。

 つまりはどういうことだろう……。アルバムを作る、ということ?

「翠葉……。桃華な、試合が始まる前にクラス全員にこんなメール送ってきたんだぜ」

 海斗くんがメタリックブルーのスマホを見せてくれる。



件名 :ミッション

本文 :取られる前に取りに行け。

    取られたら取り返せ。

    途中で諦めたりしたら許さないわよ?

    私、集計作業で忙しくなるから、

    しっかり写真におさめておくように。


    魔の徒競走前には翠葉を保護すること。

    飲み物の確保はこっちでするから、

    全力で中央観覧席一、二列を死守せよ。


    Do or die !


    みんなの桃華より




「簾条さん、やるね……」

 蒼兄が珍しく大笑いしていた。

「ふふふ、このくらい朝飯前です」

 桃華さんはあくまでも可憐に笑う。

 これは……みんなが攻めの姿勢を崩せないわけだよね。点を採られたら、意地になって食らいつくのもわかる気がする。

「あ、蒼樹さん。ご存知でしょうけど、後日、校内展示でかなりの枚数、翠葉の写真が出回ると思いますよ?」

 ……え? それはなんの話?

 どうして私の写真が出回るの……?

「あぁ……かなり色んなところで撮られてたからなぁ……」

 桜の木の根元に座り込む海斗くんが、思い出したかのように言う。

「そっか、その伝統もまだ残ってるんだ? すっかり忘れてたよ」

 蒼兄は頭を抱え込んでしまう。

「……何?」

 不安になってたずねると、

「んー……なんていうか、いわば校内写真コンテストみたいなもの?」

 言いながら、飛鳥ちゃんが首を傾げる。

「大雑把に説明すると……全校生徒の撮った写真が後日生徒会にガンガン送られてくるんだ。で、生徒会がその写真をより分けて、厳選された写真が食堂にずらっと貼られる。それを全校生徒の人気投票にかける。ひとつは写真として完成度の高いものを選んで、もうひとつは写真に写っている人間の人気投票みたいなもの」

 海斗くんが詳しく教えてくれたけれど、人気投票って何……?

 説明のすべてを呑み込めずにいると、桃華さんが補足説明をしてくれた。

「それで選ばれた男子は王子って呼ばれるし、女子は姫って呼ばれるわ。ふたりは文化祭や体育祭で、その年毎に決まった催しをすることになっているの。たとえば劇の主演とか写真撮影会とか。ほかには校内デート権のくじ引きとかもあったわね」

 劇の主演!? 写真撮影会っ!? 校内デート権っ!?

 なんか想像したくもないイベントだ。でも、私が人気投票で一番になるなんてあり得ない。

 そう思えば、そこまで焦る必要はない気がした。なのに、

「司にでも言って手を回したいところだけど、そこは難しいかなぁ……」

 蒼兄が思案顔で口にする。

「蒼兄、心配する必要なんて――」

「ない」と言おうとしたら、桃華さんに遮られた。

「あら、もう最低限の手は打ってきましたけど?」

 桃華さんが満面の笑みで蒼兄を見上げる。

「え?」

 蒼兄が桃華さんの顔をまじまじと見つめると、余裕たっぷりの笑みが返された。

「クラス委員の特権と申しましょうか――全学年全クラスのクラス委員を味方につけたので、全校生徒のデジカメの中身の検分くらいなんてことありません。それはもう、きれいにスマホの中までチェック済みです」

 言いながら、品よくにっこりと微笑んだ。

「あぁ……確かに、それだけの働きはしたな。俺、初めて買収っていう取引を目の当たりにしたわ」

 佐野くんは桃華さんから目を逸らし、そんな言葉を漏らす。

 いったい桃華さんは何をしたのだろう。

「翠葉、安心して? そんな極悪なことはしてないから。集計作業を少し引き受ける代わりに、クラスメイトのデジカメ画像の検分をお願いしただけ。ついでに、念書の回収もね」

 ……労働力を提供する代わりにこれをやってください、って立派な買収じゃ……。

「画像の処分はさせていないし、校内コンテストの制限もかけてはいない。でも、二次配布等の悪用はしないって念書、今日だけでも半数は回収済みよ。がんばったでしょう?」

 桃華さんはあくまでもかわいらしく笑う。

 佐野くんがスポーツバッグからバサ、と紙の束を出し、

「念書、現物っす」

 と蒼兄に見せる。

「念書は集まりしだい生徒会に一任されるので、何か違反があれば、すぐに停学申請されます」

 佐野くんが付け足すと、

「簾条さん……君だけは敵に回したくないと、今切に思った」

 珍しく、蒼兄の笑顔が固まる。

 いや、誰もが唖然とすることをサラ、とやってのけたというのが正しいのだと思う。

「あらやだ……。蒼樹さんと結託することはあっても、敵になる予定はないんですけど?」

 桃華さんは「心外だわ」と言った顔をする。

「ただ、写真部だけは正式に動いている部なので、あそこだけは私ではどうにもできませんけど……」

「あぁ……でも、今の写真部を仕切ってるのって現生徒会長でしょう? それなら下手なことする人間はいないんじゃないかな」

 気づけば蒼兄に笑顔が戻っていた。

 図書室で会ったとき、ふたりが「気が合いそう」と言った意味が少しわかった気がする。

 それに、桃華さんは学年の女帝でおさまる器ではない気がしてきた。将来の夢に、「世界征服」を掲げていても納得できてしまうかも……。

 とはいえ、これだけのことをしなくちゃいけない状況って、どんな状況……?

 校内写真コンテストというものの規模がわからないだけに、いまいちピンとはこないけれど……。それもそのうちわかるのかな……。

 私は不安を拭うことができないうちに、みんなと別れた。

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