20話

 翌日学校へ行くと、昇降口で何人かの人に声をかけられた。

 同じ下駄箱を使っているのだから、クラスメイトなのだろう。

「御園生さん、おはよ! 身体はもう大丈夫なの?」

「飛鳥がうざいくらいに寂しがってたから覚悟したほうがいいよ~」

 次々と声をかけられ、びっくりしすぎて何ひとつまともに返事ができなかった。

「もう大丈夫」と一言答えられたらよかったのに……。

 あまりにも慣れないことに戸惑った。

「大丈夫?」

 顔を覗き込まれ、コクコクと首を縦に振る。

「もしかして喉風邪でまだ声が出ないとか?」

 今度はブンブンと首を横に振る。

「……まだクラスメイトってわかってなかったりするかな?」

 訊かれてドキリとした。けれど、

「入学して数日だもんね」

「私たちは中等部からの持ち上がり組だから外部生を覚えればいいだけだけど、御園生さんは違うもんね」

「私、七倉香乃子ななくらかのこ。海斗くんの前の席だよ」

「私は有田希和ありたきわ。廊下側の一番前の席」

 ふたりに自己紹介をされて、私はようやく声を発することができた。

「御園生翠葉です……」

「「知ってるよ!」」

 ふたりはクスクスと笑いながら教室へ向かって歩きだした。


 教室に入ると、飛鳥ちゃんが猛ダッシュで寄ってくる。

「すーいーはーっっっ! 大丈夫? もう平気?」

 私の周りをくるくる回り、最後には「充ー電っ」と抱きしめられた。

 桃華さんのメッセージを思い出し、思わず笑みが零れる。

「飛鳥ちゃん、昨日はノートありがとう」

「なんてことないよ! あ、でも海斗のノートは役に立たなかったでしょ?」

 言われると同時、後ろに気配を感じた。

「誰のノートが役に立たないってー?」

 絶妙なタイミングで海斗くんが現れる。

「海斗のノート以外ないじゃない」

 と、そのまた後ろから声が割り込んだ。海斗くんの後ろから現れたのは、涼しい顔をした桃華さん。

「そこ、邪魔なんだけど」

 またしても違う声。桃華さんの後ろから現れたのは、短髪の男子――もうひとりのクラス委員、佐野くんだった。

 あ、四人揃ってるっ。

「あのっ、飛鳥ちゃん、海斗くん、桃華さん、佐野くん、昨日はノートをどうもありがとうっ。メッセージもとても嬉しかったです」

 言うと、佐野くんと海斗くんがおかしそうに笑いだす。

 私、何かおかしいことを言っただろうか。それとも、イントネーションがおかしかったりしたかな……。

 不安に思っていると、

「翠葉、必死すぎ」

 顔をくしゃくしゃにして笑う海斗くんに言われた。

「とりあえずさ、ここ出入り口だから場所を移そう」

 佐野くんの提案で、私たちは窓際へと場所を移した。

 席に着くなり、

「翠葉が休むと飛鳥がうるさいからさ、休むときくらい連絡してやってよ」

 海斗くんが自分のスマホを指差して言う。

「あ……でも、私連絡先知らない」

「うん、だからさ、まずは電話番号とアドレス教えてよ」

 慌ててスマホを取り出し、四人と電話番号やメールアドレスの交換を済ませた。

「翠葉、これ昨日の英語のノート」

 桃華さんが差し出したプリントはノートのコピーらしく、芸術的にきれいな筆記体が並んでいた。

「なんだよ。英語なら俺がノートとったじゃん」

「海斗のノートはほかの人が見てもわからないのよ。いい加減に学びなさい。普段からノートをとる癖がないから、人に見せられるものが書けないのよ」

 桃華さんは相変わらず容赦がない。けれども、ノートを普段からとらないってどういうことだろう。海斗くんはとても成績がいい人のはずで……。

 不思議に思っていると、飛鳥ちゃんが答えをくれた。

「海斗はね、授業を聞いただけで全部吸収しちゃうんだよ」

 なんて羨ましい……。

「ノートとるよりも、授業聞いてるほうがわかるじゃん」

 それは記憶力がいい、ということになるのだろうか。それとも理解力……?

 どちらにしても、すごいことだと思う。

「でも……ノート提出があるでしょう?」

 恐る恐る訊いてみると、

「あー、それはそれ。授業とは関係なく作ってる。だからちゃんとノートはあるよ」

 にこりと笑った海斗くんに、もう何も言うまいと口を噤んだ。

「御園生は課題進んでる?」

 佐野くんが私だけに訊いているところを見ると、授業云々の話ではないのだろう。

「未履修分野の課題?」

「そう」

「まだ、全然だよ。本当にあれを二ヶ月で終えられるのかが今から不安」

「やっぱり? 俺もなんだ。ま、お互いがんばろうな」

 そんな会話をしていれば川岸先生が入ってきて、いつもと変わらない一日が始まる。


 授業が始まった日にも感じたことだけど、この学校の生徒はとても勉強熱心だと思う。

 授業と授業の間の休み時間に騒いでいる人がいない。ホームルームが終わると、自然とスイッチが入ったかのように勉強モードになる。

 その切り替えの早さは見事としか言いようがなかった。

 だいたいの人が、次の授業の予習をしている。

 たとえるなら、公立の中学で言うところのテスト期間のような教室風景。

 そもそもの原因は、授業始めにある小テストのせいかもしれない。小テストとは言えど、きちんと成績に反映されるというのだから、必死にもなる。

 私も周りに習って、休み時間は次の授業の予習や小テスト対策の勉強をするようになった。


 午前四時間の授業が終わるとお昼休み。

 机に出していた教科書をしまっていると、ポケットの中でスマホが震えた。

 ディスプレイには、蒼兄の名前が表示される。

「もしもし?」

『今からそっちに向かう。十分くらい時間かかるから、少ししてから出ておいで』

「うん、わかった」

 電話を切ると、

「今日も桜香苑に行く?」

 飛鳥ちゃんと桃華さんに訊かれた。

「あ、ごめんね。今日は蒼兄がこっちに来てくれて、秋斗さんのところへ行くことになってるの」

 答えた瞬間、飛鳥ちゃんの目が輝く。

「それってお供していいのかなっ!? あのインテリお兄さんも一緒なんでしょうっ!? これ以上ないくらいの目の保養じゃないっ」

 飛鳥ちゃんが身を乗り出した分、私は身を引く。

 ……どうしよう。これはなんと答えたらいいものか――

「飛鳥、翠葉困ってるじゃない。……何かあるから行くんでしょ?」

 桃華さんが助け舟を出してくれたけど、海斗くんはお弁当を片手に行く気満々で席を立った。

「別にいーんじゃね? 秋兄は気にしないだろ? 俺も行こっかな」

 別にだめというわけではなくて、私の気持ち的な問題だ。一昨日のことを知られたくないという、一方的な私の問題。

「翠葉、いやだったらちゃんと自分で断りなさいよ?」

 桃華さんに言われてさらに困る。

「いやというか……いやじゃないというか……――もし良ければみんなで……」

 都合が悪い理由を話すことができず、私は了承の言葉を口にしていた。

 自分の首を絞めるとは、こういうことを言うのだろう。

 四人揃って教室を出て、テラスを歩きながら考える。

 確か、図書室は入れる人と入れない人がいるはず。

 私はそれをクリアすべく蒼兄と待ち合わせをしたわけだけど、このメンバーで押しかけていいのかはわかりかねる。

 混みあうテラスを突っ切り図書棟にたどり着くと、すでに蒼兄が待っていた。

「蒼兄、友達も一緒なの……」

 不安な思いで蒼兄を見上げると、

「こっちは問題ないよ」

「こっち」とは何を指すのだろう。

 図書室のこと? それとも、「自分は問題ないけど?」という意味?

「兄の蒼樹です。翠葉がいつも世話になってる、かな?」

 蒼兄は三人に視線を配りながら話す。

「簾条さんと会うのは三度目だね」

「自分、秋兄の弟の海斗です」

「初めまして。俺は秋斗先輩の後輩にあたるんだ。もう八年の付き合いになるんだけど」

「八年っていったら秋兄は高校生……? って、蒼樹さんも藤宮の出身なんですか?」

「そう、高等部から藤宮なんだ。そっちの子は?」

 飛鳥ちゃんに目を向けると、

「クラスメイトの立花飛鳥です! お兄さんかっこいいですねっ」

 舞い上がったままの飛鳥ちゃんが奇妙な挨拶を終えた。

「格好いい、かな?」

 蒼兄は頭を掻きながら、「ありがとう」と答えた。

「じゃ、とりあえず図書室に入ろうか」

 蒼兄のカードキーで中に入り、少し待っているように言われる。

 蒼兄がカウンター内のインターホンを押すとドアが開き、秋斗さんが出てきた。

「あれ? 聞いてたよりも大人数?」

「えぇ、少し増えたみたいです」

「海斗はともかく、かわいいお客さんならいつでも大歓迎だよ」

 何事もないかのように笑顔で答えるのだから、飛鳥ちゃんがキャーキャー騒ぐのも仕方がない気がした。

「翠葉、秋斗先生に話があるなら先に話してきちゃったら? 私たちこっちで待ってるわよ?」

 桃華さんが気を利かせてくれたのに、私は悩む。

 別に隠すことではない。知られたくないと思うのは私の弱さで――

「翠葉ちゃん、どうかした?」

 秋斗さんに声をかけられたとき、蒼兄はカウンター脇に立って、見守るように私を見ていた。

「あの……一昨日はお世話になりました。本当にすみませんでした」

 迷惑をかけた、と口にするとまた何か言われてしまいそうだったから、その言葉だけは避けた。

「どういたしまして。かわいい子の介抱ならいつでも大歓迎だよ」

 秋斗さんは話が重くならないように軽く返事をしてくれる。

「一昨日、何かあったんだ?」

 海斗くんが秋斗さんに訊くと、秋斗さんは「どうする?」というような視線を私に向けた。

 ……大丈夫。話しても、大丈夫――

「あのね、一昨日……八限が終わってから具合が悪くなって、秋斗さんに病院へ連れて行ってもらったの」

 床一点を見て話すと、

「あー、そうだったんだ?」

「お昼過ぎには具合悪そうだったもんね? 体育もレポートだったし」

 飛鳥ちゃんの言葉にチクリと胸が痛む。

 体育を休んだのは具合が悪かったからじゃない。私はこれからも体育の授業に参加することはないし、ずっとレポートだ。

「翠葉のことだからがんばりすぎて無理したんじゃないの?」

 桃華さんの言葉にもなんて答えようか悩んでしまう。

 無理をしたつもりはなくて、ただ色々見誤ってしまっただけで……。

「用ってそれだけ?」

 それまでいなかった人の声が割り込む。

 声の方、図書室の入り口に目をやると、藤宮先輩が立っていた。

 黒髪の奥に涼やかな目があり、メガネが顔立ちをよりシャープに見せる。

 違う、見惚れている場合じゃなくて――

「藤宮先輩、一昨日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。それから、保健室まで連れて行ってくれてありがとうございました」

 頭を下げると、

「別に……。あの場で何もしなかったらあとで御園生さんに何を言われるかわかったものじゃないし。……でも、少し太ったほうがいいんじゃない? 軽すぎ……」

 瞬時にお姫様抱っこされたことを思い出し、顔が熱くなる。

 やだ……今、絶対に顔が赤い。

 赤面を見られるのが恥ずかしくて、下げた頭を上げられなくなってしまった。

「なんで氷の女王様が翠葉の体重の軽さなんて知っているのかしら?」

 鋭い桃華さんの切り込みに、心臓がドキリとする。

「保健室に運んだのが俺だから」

 藤宮先輩は淡々と事実を述べた。

「ふーん……。普段は極力女子に関わらないフジミヤセンパイが、ねぇ?」

 棘のある話し方をする桃華さんに、恐る恐る顔を上げると、ふたりは笑顔の応酬を始めていた。

「見解の相違があるようだけど、俺はそんなふうに言われるほど女子を蔑ろにした覚えはないし、病人を見て見ぬふりするほど非道な人間でもないつもり」

 先輩の笑顔は爽やかさを通り越し、寒気すら感じる。

 こっそりと桃華さんに視線を向けると、桃華さんは笑顔でいるものの、いつもよりも余裕がないように見えた。

 やっぱり本家本元は違うのかな?

 そんなことを考えていると、

「じゃ、用は済んだみたいだから」

 藤宮先輩はこちらを確認することなく図書室を出て行った。

「ちょっと翠葉っ」

 桃華さんがぐりんっ、とこちらを向き、

「何倒れるまで我慢してるのよっ」

 蒼兄より勢いよく叱責された。

 昨日一昨日と散々叱られたことをさらに言われるとは思っておらず、驚き慄いていると、

「きれいなお嬢さん、そのくらいにしてもらえる?」

 秋斗さんが口を挟んだ。

「翠葉ちゃん、この件に関しては色んなところで怒られてるんだ」

 傍観を決め込んでいた蒼兄がカウンター内から出てくると、桃華さんの前に立ちにっこりと笑う。

「簾条さん、君とは気が合いそうだ」

 桃華さんと蒼兄が話していると、飛鳥ちゃんがおずおずと寄ってきた。

「翠葉、具合悪いときは言ってよ。見てるだけじゃわからないこともあるから」

「……うん、努力してみる」

 私的にはがんばって口にした言葉だった。けれど、

「なんだよそれ。具合悪いの我慢できるくらいだったら、人につらいって言うのなんか努力することじゃないだろ?」

 ものすごく痛いところを海斗くんにつかれた。

「バカね、海斗。翠葉って秘密主義者だし、自分の思ってることはなかなか口にしないタイプよ?」

 蒼兄と話していたはずの桃華さんが話に加わる。

「へ? 翠葉って秘密主義者なのか? 表情に、『いや』とか『どうしよう?』とか『なんで?』とか出まくりなのに? あんま意味なくね?」

 胸がズキズキと痛む。桃華さんが言っていることも正しければ、きっと海斗くんが言っていることも間違ってはいないのだ。

 話をどう収拾したらいいのか、と考える反面、この三人は私の内面を見てくれる気がした。ちゃんと、「私」を見てくれる気がした。

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