06話

 白衣の人がアナログの鍵を開け暗証番号を入力し、カードキーを通すとカチリ、とロックの外れる音がした。

「さあ、どうぞ」

 促され、ドアの先へ足を踏み入れる。と、厳重なロックからは想像もつかないほど自然光に溢れた明るい一室だった。

 部屋を前に、変な錯覚に陥り足を止める。

「翠葉ちゃん、どうかした?」

「あ、いえ――なんだか見たことがある気がして……」

「デジャヴ?」

「そういうわけでは……」

「ま、入って入って」

 私は白衣の人に背中を押されるまま部屋に入り、ダイニングテーブルのスツールに座らされた。

 じっくりと部屋を見回す。

 何もかもが同じなわけではない。けれども、部屋の雰囲気が自宅の自室に似ている。

 違うことといえば、ベッドとクローゼットがないことと、床から天井までの本棚に引き戸がついていないこと。

 逆に、この部屋にあって私の部屋にないものは、大きなパソコンデスクとダイニングセット。

 部屋の片隅に視線を移せば、白い布張りのソファに楕円形のローテーブルがある。

 あれはどう見ても私の部屋にあるものと同じもの。

 こんな偶然ってあるの……?

 白衣の人は、手際よくお茶の用意をして戻ってきた。

「じゃあ、まずは自己紹介。僕は藤宮秋斗ふじみやあきと。この図書室の司書と、この棟全体の管理をしています。蒼樹は二個下の後輩なんだ」

 白衣を着た司書さんは、穏やかな笑顔を見せた。

 蒼兄のふたつ上ということは、二十五歳……? 誕生日が来たら二十六歳になるのかな?

 司書さんを見ていて、「あれ?」と思う。

 誰かに似ているとは思うものの、誰に似ているのかがわからない。

 真っ直ぐな目と、笑ったときの人懐っこさが誰かに似ているのだけど……。

 考えていると、ふたりの視線に気づきはっとする。

「一年B組、御園生翠葉です。兄がいつもお世話になっています」

 勢いよく椅子から立ち上がり、頭を下げたらくらっとした。

 目の前のテーブルに手を添え、身体を支える。

 いけない――動作はゆっくり、動作はゆっくり……。

 呪文のように心の中で唱えていると、先ほど聞いた低い声と、麗しい顔の持ち主が自己紹介を始めた。

「二年A組、藤宮司ふじみやつかさ。――御園生さんはよくここに来るから知ってるだけ」

 そんな挨拶を聞いていると、大好きな蒼兄の声が割り込んだ。

「ずいぶん素っ気無いな。一緒に徹夜で仕事片付けた仲だろ?」

 蒼兄は厳重なドアに寄りかかっていた。

「蒼兄っ!」

「いつからそこに……」

「蒼樹、もう終わったの?」

 各自思い思いの言葉を発する。

 蒼兄は脇に抱えていたファイルをカウンターに置くと、数歩で部屋を横切り私のもとまで来てくれた。

「翠葉、今日はどうだった?」

「どうもこうも、今日は入学式だけだよ?」

「そっか、そうだった。ところで翠葉、座ったらどうだろう?」

「はい」

 そこにクスクスと笑いながら、司書さんが新しいカップを持ってくる。

「今淹れたばかりだから、蒼樹も飲んでいきなよ」

「ありがとうございます」

「お茶の一杯二杯で蒼樹って優秀な手足が手に入るなら、いくらでも?」

「はは……要領の良さは相変わらずですね。今朝頼まれた資料、カウンターに置いておきました。全部持ってきたつもりですけど、足りないものがあれば言ってください」

「悪いね」

 司書さんはにこりと笑った。

 それらのやり取りから仲の良さがうかがえる。

 蒼兄が家族以外の人と話しているところを見るのは初めてで、なんだかそわそわしてしまう。

 新鮮な思いでカップを口に運ぶと、慣れ親しんだ香りが鼻腔をくすぐる。

「これ……」

「ん? あぁ、このお茶ね。今朝、蒼樹に渡されたんだ」

 司書さんが見覚えのある缶を手に持ち見せてくれる。

「学校の自販機に入ってるもので、翠葉が飲めるの水しかないからな」

 蒼兄が苦笑を浮かべた。

「カフェインが入ってるものや味の濃いものが飲めないんだってね? そこの棚に並んでる缶は全部翠葉ちゃんのお茶だから、いつでも飲みにおいで」

 司書さんは簡易キッチン脇にあるカップボードを指差した。

「……秋兄あきにい、何か忘れてない?」

「何が?」

 ん……? 今、先輩、司書さんのことを「あきにい」って呼ばなかった……? 私の聞き間違い?

「ここ、関係者以外立ち入り禁止」

「つまり、関係者なら問題ないわけでしょ?」

「あぁ、そういうこと……。基準値に問題は?」

「司、彼女は外部生だよ? 素材はいいはず。それを使いこなせないのなら、お前の力不足だな」

「ふーん……」

 先輩から険呑な視線を向けられる。

 気のせいだろうか。妙な居心地の悪さを感じる。

 そんな空気を読んでか読まずか、蒼兄が暢気に話し始めた。

「翠葉のセールスポイントは計算力かな? 正確だし速いよ? それは俺が保証する。物事は系統だてて教えればそのまま覚えられる。苦手なのは暗記。ほかは……そうだな、パソコンの入力もミスタッチなしでいける。書式や文例があれば応用させるのは得意」

「……なるほど、ならすぐにでも使えそうだ」

 先輩が不適な笑みを浮かべて私を見た。

 私は堪えきれずに蒼兄に訊く。

「これ……なんの話?」

 辛うじて苦笑を貼り付けている私に対し、蒼兄は満面の笑み。そして、後ろからは司書さんの軽い一言。

「それはね、翠葉ちゃんを生徒会役員に引きずり込もうって話だよ」

 一瞬にして頭が真っ白になった。

「……今、誰を何に引きずり込むって言いました?」

 頭がショート寸前。いや、もうショートしているのかもしれない。

「御園生さん、本当に使えるの? 今、秋兄かなりストレートに答えたと思うけど……」

「現状を理解できないんじゃなくて、したくないだけだと思う。……大丈夫じゃない?」

 蒼兄、待って……。

 そうは思うものの、私はほかのことが気になって仕方ない。

「あの、『あきにい』って……?」

 私は現実逃避をするように、さっきから気になっていた先輩の司書さんを呼ぶ呼称を解決することにした。

「……この話の続きでなんでそっち」

 理解できないって目で先輩に見られたので、「気になるからです」と心の中で答える。

「あぁ、僕と司は従兄弟なんだ。因みに、僕の弟は海斗っていうんだけど、翠葉ちゃんと同じクラスじゃない?」

 あ――

「答辞の人……?」

「くっ、そうそう。答辞の人が僕の弟」

 一気に謎がふたつ解けた。司書さんは答辞の人に似ていたのだ。

 ふたりとも顔の彫り深ーい……。

「でもって、この学園には司のお姉さんもいるんだ」

「え? 藤宮先輩のお姉さんもいらっしゃるんですか?」

 訊くと、何やら不穏な言葉の数々が聞こえてくる。

「秋兄、さっき集計したこのデータ。指一本で消去できるけど?」

 発信源は、カウンターにあるノートパソコンで作業をしていた藤宮先輩。

 それはもう、泣く子も黙りそうな笑顔を貼り付けて、右手をヒラヒラさせていた。

「んー、それはちょっと困るかな……。けどその集計、またやらされるのは司だと思うけど?」

 困ると言いつつ、全然困っているふうではない司書さん。

「……仕方ない。じゃあ、みなとちゃんに関しては、出逢ってからのお楽しみってことで」

 司書さんも蒼兄も面白そうに笑っているけれど、ただひとり、藤宮先輩だけが不機嫌そうな面持ちだった。

 それにしても、従兄弟や兄弟が同じ学校にいるなんてすごい偶然ね? 確率にしたらどのくらいだろう?

 考えていると、司書さんに話しかけられる。

「ここの建物、図書棟なんて言われているけど、実際には生徒が使える図書室じゃないんだ。設立当初は図書室として使われていたらしいんだけどね。今ではこの学園の生徒が使う図書館は、高等部と大学の間にある梅林館ばいりんかん

 そう言うと、テーブルの上に学園全体地図と、この校舎のつくりが描かれているものを広げてくれた。

「この棟の主な機能は、高等部の重要書類管理。三階がそうなんだけど、この部屋の奥にある階段からしか上がれないつくりになってるんだ。で、このフロア、二階は三つの部屋に分かれていて、一番奥には職員が普段必要とする資料庫がある。こちら側からも行けるけど、普段は鍵がかけてあって、一階の職員室からしか上がれないつくりになってる。その隣には不特定多数の生徒が入る梅林館では扱えない、貴重な蔵書が置いてある書庫。そしてその隣が、さっきこの部屋に入ってくるときに通った部屋。あそこは過去に生徒会で扱った書類なんかが置いてある。室内には放送機能も備わっているから、生徒会室として使われてる。面白いくらいに一般生徒が入ってくる理由がない場所。それがこの図書室」

 あのシャワーブースみたいなのは簡易放送室だったのね。

 外観はほかの校舎と変らないのに、長い廊下がないのも、この部屋へ入るのに厳重なセキュリティが敷かれているのも、不思議に思ったそれぞれにはきちんとした理由があった。

 謎が解けてスッキリしていると、司書さんと目が合う。すると、にこやかな笑みが一層深まった。

 どうもこの笑顔にはいやな予感しかしない。

 そう思ったとき、

「だから、生徒会役員になっちゃおうね」

 さらっと言われた。

 いやな予感が当たったところで嬉しくもなんともない。

「い、いやです。……というか無理なので、辞退させてください」

 私は引きつり笑いで即答した。

 だって、できるわけがない。

 生徒会ってそれなりに忙しいのだろうし、もし体調でも崩して誰かに迷惑かけることになったら……?

 ――無理。

 そんなプレッシャーには耐えられそうにない。そもそも部活だって入らなくちゃいけないわけで……。

「じゃあ、翠葉。学校終わったらどこで待ってるつもり?」

「え? 部活にも入らなくちゃいけないみたいだし、部活が終わったら図書館で待ってるよ? 図書館の方が大学にも近いのでしょう?」

 蒼兄が血相を変え、ブンブンと首を振る。そして、神妙な面持ちで話しだした。

「実はな、翠葉……あそこは悪いムシがいっぱいいるんだ。翠葉はムシが嫌いだろ? やめておいたほうがいいと思う……」

「……そんなに虫がたくさんいるの? それはちょっといやかな……」

 この学園の図書館は大きく蔵書数が多いことで有名なのだけど、虫だけは天と地がひっくり返っても好きになれそうにはない。とくに飛行物体なんて脅威だ。

 リアルに昆虫を想像していると、肩を震わせて笑う司書さんと呆れた顔をした先輩が目に入った。

「くっ……確かに、性質の悪いムシがいっぱいいるな」

「御園生さん、相変わらずですね……」

 ふたりの視線を蒼兄は苦笑で受け流す。

「ま、どこに行ってもムシはいるんだけど……それならここが一番いいんじゃないかな? 万が一、悪いムシが入ってきても僕が捻り潰してあげるよ」

 それは頼もしい限りだけど……。

「でも、生徒会役員はちょっと……」

 小声で反論してみる。

「なんで? 生徒会ってそんなにいやかな? 結構楽しいと思うよ?」

 司書さんからもっともな疑問を投げかけられ、私は説明する言葉が見つからなくて言葉に詰まる。

 困り果てて蒼兄を見ると、蒼兄は軽くため息をついて、頭をポンポンとしてくれた。

「……不安なのは体調?」

 思いがけないことを訊かれた。

 反射的に声の主を見ると、カウンターから窓際に移った藤宮先輩だった。

 先輩は窓枠に寄りかかってこっちを見ている。

 咄嗟に俯いてしまったけれど、確認しなくちゃいけないことがあった。

 視界に入った蒼兄の袖口をぎゅっと掴む。

「なんで? ……蒼兄、なんで知っているの?」

 なんで先輩が私の身体のことを知っているのか、と訊きたかった。

 答えを急かすように蒼兄の顔を見る。と、そこには蒼兄がめったに見せない不機嫌な顔があった。視線の先は藤宮先輩。

 私の視線に気づくと、蒼兄は私に視線を戻し困った人の顔になる。

 沈黙を破ったのは司書さんのため息。

「翠葉ちゃん、翠葉ちゃんの身体のことは、蒼樹が話したくて話したわけじゃないんだ」

 どういう、意味……?

 私は、自分で思っているよりも遙かに気が動転していた。

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