第3話改
(どう見ても、そんなに
心なしか目を細めた皓に気づいた様子もなく、理音は未だ訝しげに皓を見ている。
隙は、ない。
厄介だと、思う。敵に回したくない類の少女だ。そう、少女であることを活かしている、武器として。よく言う「涙は女の武器」と似たようなものなのかもしれない。少女であることで、彼女の隙はなくなる。
理音に伸ばしかけた腕を引っ込めて、皓は曖昧に笑う。
「……なんなんですか、さっきから」
理音が口を尖らせる。血を拭き取った左手は、手刀の形に構えられていた。無意識にしろ、物騒だと皓は思う。
左手に気づかない者たちが、倒れていくのだろう。少女に魅入られたまま。
「うん? 理音ちゃんがかわいいなぁ、と思って」
「…………前々から思ってたんですけど、誤魔化すの、下手ですよね?」
「え? そう?」
そうですよ、と呆れた様子で答えを返し、理音は立ち上がる。どうやらもう、回復してしまったらしかった。よろけることもなく、会釈をする。ありがとうございました、の形に口を動かして、そのくせ声は出したくないらしい。
嫌われちゃったかな、とうそぶいて部屋の入口を空ける。するりと隣をすり抜けて、理音は部屋から出て行った。
開け放した障子の向こうを見れば、日は暮れてしまったようだった。太陽の名残を山の端に漂わせ、空は薄闇に包まれている。
玄関の戸の閉まる音がしてから少しして、障子の前を、少女が過る。
「気をつけてね」
部屋の中から声をかけると、振り向いて、理音は顰め面をした。
* * *
ざらりとした感触で半ば閉ざしていた意識に干渉してくる何者かの気配を感じて、皓は手を止める。ゆるやかに波打つ気配は、ざらりとした感触をまとわりつかせて、皓から離れていく。残されたのは、不快感と、
(
まだ見ぬ、歪められた存在の予感。
おかされた。
パンドラの箱。昔々、あるところに存在した『開けてはならない箱』のことだ。とある人が好奇心からその箱を開けると、あらゆる罪悪・災禍が抜け出て、世界は不幸に見舞われるようになり、希望だけが箱の底に残ったという。
そのとき溢れた罪悪・災禍たちが形を為したものを『妖』と呼ぶ。
半妖たちは、彼らに蝕まれ、彼らを喰らう。そう、約束された。誰に? きっと神に。
神はなかなかいい趣味をしている。
皓は思う。蝕まれるのは一瞬のことなのに、喰らうのにはとても手間がかかる。不公平だ。おまけに、半妖からは妖を『視』ることができない。『主』の力がなくては、半妖は無力なのだ。どうしようもなく。
どこまで侵されたのだろうかと頭に手をやってみても、わかる筈もない。そろそろ沸騰していたお湯の火を止め、皓は包丁を取り出した。まな板には、熟したトマトがある。
みずみずしい赤に、刃をあてる。銀の刃には、熟れた赤が映っていた。
蠢く銀に、蝕まれながら。
「目を侵したのか」
皓を、そして、世界を。
赤を蝕む包丁をまな板の上に置いて、皓は胸に左手を当てた。
届くだろうか。
わからない。けれど、きっと届くはずだ。
真名がなくとも、波動は同じだったのだから。
「古の
耳を打つのは、痛いほどの静寂。
まな板の上に置いた包丁は、形を変えてきていた。
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