ハトにパンを
月澄狸
ハトのためならクルックー
──俺は……ハトにパンをやることが好きだ。
確かなものなど何一つないこの世の中で、俺は一つだけ強い確信を持っていた。ハトにパンを与えることが、俺が天から与えられた使命であると。
別に俺は動物の保護団体の者とかではない。
人類にハトの重要性とありがたみを再確認させたいわけでもない。
俺は小さい頃からただひたすらに、ハトという存在に惹きつけられていたのだ。
あのどこを見ているんだか分からない、キョロキョロと揺れ動く、水飲み鳥のような虚ろな視線。
小さな頭についた小さな口で、地面をつついている姿。
クックゥ、クックゥと常に発せられる意味不明な鳴き声。
定期的に、集団で一斉に飛び立つ姿。
ハトが羽ばたきながら俺の頭上を通過するときに聞こえる、「ククククク……」というような……いや、本当は文字で表すことなどできない……あの声。
それらすべてが、言い表しようのない魅力を放っている。
駅でも公園でも空き地でも、そしてテレビに映る映像にまで、ハトは存在する。
気づけばそこにいる……。
亡霊のような淡さを感じさせつつ圧倒的な存在感を放っており、ハトを目にした者は俺でなくても大抵何かしらの反応をしてしまうものなのだ。
幼子や小学生はハトを見るとキャッキャと追い回し、成人女性は不快そうにハトを避け、自転車に乗った人はわざわざハトのいる方向へ向かって自転車を走らせ突っ切る。
そんな彼らに対し、ハトの行動はいつだって同じだ。
人間と一定の距離感を保っているときは頭を前後に揺らしつつ悠長に歩き回り、人間に注目されたり向かってこられたりすると背筋を伸ばし、空を見上げつつ小刻みにキョロキョロと首を動かし、そして一瞬グッと踏み込んで飛び立つのだ。
そして人間が去って静けさが戻った頃に、彼らは再び舞い降りてくるのだろう。あんなに人間に追われているくせに、人間のことを本気で脅威とは感じていないらしい。ひょっとして、人間はハトの餌場提供者だと認識されてナメられているのだろうか? まぁ、ハトに何と思われているのかは我々人間には知る由もないのだからどうでもいい。
何を考えているか分からずとも、俺はハトのことがたまらなく愛おしい。あの虚ろな瞳を、羽の並びを、ピンク色の足を、爪先を、同じように見えて違う一羽一羽の模様を、時間の許す限り眺め続けたい。
──それを可能にするのがパンである。
ハトへのこの執着心は果たして愛情と呼べるものなのか? それとも人間の奥底に潜む狩猟本能がねじ曲がって表れたものなのだろうか?
それも俺には分からないが、何が分かっていようといなかろうと、確かなことが一つある。
それは「パンをまけばヤツらは寄ってくる」ということだ。
俺のハトぽっぽタイムのやり方はこうだ。
人間が立ち上がったときの身長はハトからすればかなり高いものだろうから、まずベンチに座って身を低くする。そして、乱暴にパンを放ろうとするとハトが驚いてのけぞり、近づいて来にくくなるため、必要最低限の動きでパンをまく。どちらかといえば、ちぎって落とすように。
結果、パンはあまり遠くへは飛ばず、俺の足元に集中してばらまかれることになる。するとハトは、見ず知らずの人間の足元にあるパンを食べていいものかどうかと戸惑い、エサと俺の顔を交互に見つめてくる。
このときの、こちらの様子を伺うような視線にたまらなくゾクゾクするのだ。
パンの切れ目が縁の切れ目。そんなことは知っている。しかしその、吹けば飛ぶような薄っぺらい関係もまた心地いい。
そしてパンをやる瞬間、俺だけに向けられた彼らの視線を見て俺は、まるで彼らの弱みでも握ったかのような気分になるのだ。
優越感だか何だか分からないが、虐待しているわけではないのだからこのくらいの感情は持ってもいいだろう。誰に明かすわけでもない秘密の、俺とハトだけのハートのやりとりだ。
さぁ、いても立ってもいられない。
この話はもうおしまいだ。
パンを、パンを、まきにいこうではないか。
俺は雄々しく立ち上がった。
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