ちょっと休日(流血描写アリ)
ガーグランツに占領された国で暗殺者として仕え、三年が経った。
仕えるべき王の首をすげ替えられて反抗する諸侯らも、三年間、続けざまに身内の不審死が知らされれば大人しくなる。
東の有力諸侯の監視任務も終わり、待機期間というものをもらった。
フェイバーに師事し、暗殺者として徴用されるようになってからは休みらしい休みなどなかったから、何をしたものかと思案する。
ただ空いていたというだけで私の部屋になっていた厩近くの小屋は世界観的に当然だが、布をかけて寝具にした寝藁と、机・椅子代わりの木箱くらいしか物がない。手持ち無沙汰に暗器類を分解して磨いていたが、それもすぐに終わってしまった。手際のいいやり方が身につきすぎている。
ふと顔をあげるとかつての厩番が置いておいたのか、藁に混じって亜麻の束が干してあるのに気づいた。村にいたときはいつもこれを叩いて梳いて紡いでいたのを思い出す。
丁度いい暇つぶしを見つけた私は下女たちの部屋から道具をくすねて木箱に座り直した。母さんと毎夜そうしていたように、亜麻の束を糸に変えていこう。
「……母さん」
土よりも血に汚れた手で、ただの娘のように亜麻を梳く。十八歳の私は未だ独り身だ。小春の生きていた時代、令和の日本ならそれが健全なのだけれど、この世界で農民の娘が十八まで未通なのはよほどの事故物件である。こんなところに来ていなければ、今頃子供でも身ごもっていたかもしれない。
丁寧に梳いた亜麻は美しい金髪を束ねたように見える。柔らかな繊維に手をくぐらせ、同じ亜麻色をしていたティルの髪を思い出した。ある時ふっと村に現れた少年とその叔父、彼らは今どうしているのだろう。
麦の狩り方も知らなかったあの少年が放っておけなくて、私はいつも声をかけていた。
麦の袋を一つずつ一生懸命担いでいた彼は国がこうなっている中で無事にやっているのだろうか。
あんなに弱かったのに、村外れまで私にお別れを言うためだけに走ってきた彼は、祖国に仇なす者に加担した私を見て何を言うだろう。
糸車に亜麻をかける手が気がつけば震えている。
「あ、ああ……」
咽頭が潰れるような感覚、今は誰ともまともに話せはしないだろう。
「っ……は……ぁっ……」
落ち着こうとして深く吸い込んだ息も震えている。手元でカラカラ音を立てて回る糸車も霞んできた。手だけが機械的に作業を続け、頭はぼうっと現実から乖離していく。
「いるな?マデリ……マデリン?」
膝にかかったエプロンがぼたぼた落ちる水で濡れている。今顔を上げても師の顔にはうまく焦点があわないだろう。
「……今日は、何を?」
「………」
潰れそうな声でなんとか指示をあおいだが、師の返事がない。顔をあげると、師の姿が消えていた。幻聴だったのかと戸の方を見ていたら、水盆を抱えた師が入ってきた。
そぐわない姿に面食らっていると、私の目の前でしゃがんだ師が濡らした布を私の頬から目に当てがいはじめる。
「え、え?」
「目が、腫れて……」
「あの…」
「……」
師匠は大真面目に私の涙を濡らした布で受け止めていた。その姿の滑稽さについ力が抜けてしまう。
「ふ、ふふっ……」
「何がおかしい」
「師がそんなことをするのが、珍しくって」
「目を腫らすのを黙って見ていればよかったのか」
「ありがとう、ございます」
「………」
師が困ったように布を絞りながら私の顔をうかがってくる。弟子が泣いているだけなのだから、放っておけばいいのに。この人は元来世話好きなのかもしれない。
「丁稚の小娘に優しいんですね」
「…俺は弟子の扱いも小娘の扱いも知らん。王、いやかつては王家傍流の貴族でしかなかった我が君が拾っただけの盗人だ」
「かつての貴方は…」
「俺が引き受け、育てたのはお前がはじめてだ。お前は、俺の…」
衣擦れの音がして、師が立ち上がったと気づいた。彼の顔を見上げるとがさがさした手がそっと私の髪を梳く。
「………俺が来れば泣き止むのか?」
「そういう、わけじゃ…」
「俺以外の前でも涙を見せたのか」
彼の声が底冷えしたものに変わる。
人前で強い感情を晒すなんて、王の黒い手としてそんな下手は踏めない。
それだけはしていないと首を振ると、師の眼差しが穏やかさを取り戻した。
「なら、いい」
紡いだ糸を縒りに視線を下げた瞬間、あばら家の戸を引く音がした。
「師弟で仲のいいことね。あんたたち、今すぐ出ておいで」
不機嫌そうな顔で腕を組んだ女が戸口に経っていた。精緻な刺繍入りのローブと、その上から王国の紋章入りのサーコートを纏った姿は、この干し草にまみれたあばら家が城のうちだったと思い出させた。
濃く紅をさした女の唇が小さく開いて、苛立たしげに首をかしげると、艷やかなブルネットがさらりと首元から胸へ降りる。
この女はガーグランツ王が召し抱える精鋭の一人、馬上から魔導で戦線を一掃する移動砲台だ。出自は不明だが、王に取り立てられて将軍の立場をもらっており、王への忠誠心はフェイバーに勝るとも劣らない。
そんな立場の者がこんな小屋に何をと目をぱちくりさせていると、彼女はため息をついて「ゴミ処理屋」と言葉を続けた。
「城下町を傭兵くずれが荒らしてるの。とっとと消しにおいき」
「それは憲兵の仕事では?」
「きれいなお顔のお師匠にかわいがってもらって浮かれてるみたいねえ、おチビ」
「っ…」
「あんたの仕事の食い残しよ。あんたが消した貴族の私兵が主を失って荒れてんのさ。面倒をおこさないためのゴミ処理係が聞いて呆れる話さね」
「った、直ちに」
「お待ち。小娘が単騎で大の男ども相手取んのは
「はいっ!」
「俺も行こう」
「弟子の分まで責任とるのねえ、面倒見がいい。褒めてあげましょう」
「……行くぞ、マデリン」
騒々しい方へと城下町を分け入っていくと、荒っぽい傭兵の集団が飯屋を占拠していた。
「冗談じゃあねえ、領主サマを返せねえなら給金を返せ。それもできねえなら首をおいていきやがれってんだ」
「良かろう」
「っ?!」
少年に扮して店の扉を蹴り開けた私の後ろに、兵士のなりで兜に顔を隠した師匠が続き、男らを挑発する。
「我らが王は力さえ示せばその御下へ取り立てよう。我らが王国に落とされたこの公国の者であっても、だ」
「力を示せ?はははははっ!ひょろひょろの兵隊とちびのチクり係が俺たちを測りにきてくれたわけか?ん?」
師が私に目配せする。
もとはといえば私の仕事だ。片付けるのは、私でなくては。
「ふぅっ……!」
剣を振り下ろすように体重移動し、気絶させないよう首領格の胃のあたりに肘を入れる。
目を見開き、二歩下がって男は胃液を吐き出した。
「ガキ、がっ……!お前らかかれ!俺達はこの腕一本で貴族に召し抱えられてた傭兵団だ!王国のチビにナメられてんじゃねえぞ!」
やはり彼が団長だったようだ。
男の怒号を合図に私達は通りへ出る。
広い場所で武器を使わせ、それを王国の紋章を纏う私達で叩きのめし、城下の民衆に今一度王国の力を教え込むのだ。
剣を構えて突貫してきた男の突きを半身で躱し、脇で肘を挟むように剣をさばきつつ、彼の突進の勢いをそのまま抜いたナイフで喉笛に返す。
そのまま首を貫かれた遺体の胸を蹴り、ナイフを抜きながら距離をとった。
「なっ……くそっ、仇は取る!」
絶命していく仲間を蹴りつけられて体制を崩しかけた傭兵が乱暴に遺体を押しのけ、剣を構え直す。彼がそのまま私を袈裟斬りに切りつけようと振り上げてくるのをとらえ、私は足を開き、すり足一歩で懐に入る。
「なっ……!」
そして右腕を上げてがら空きになった脇にナイフを入れ、動脈まで切りつけた。
「っ、あぁああぁぁっ!」
顔を上げると私を狙撃で仕留めようと木製の弩を構える女が見えた。
「安価で軽いボウガン…手製の狩猟用か」
「死ねェッ!」
すぐさま彼女に突進すると見せかけ、横っ飛びに逃げて狙いをずらす。石畳に粗雑な短矢がぶつかった音がした。
「逃さねえぞガキ!」
団長が呼吸を回復したようだ。好都合、団員たちを引き連れて広場までついてきてもらおう。通りに出て二十歩というのはスタミナのない私には優しい距離だ。
「こっちを、見てみろよッ…!」
足の遅い私の目の前に先回りして躍り出たのは斧持ちの巨漢だった。走った勢いを殺さずそのまま横薙ぎに戦斧をぶん回して私の胴体を絶ちにくる。が、
「鉄製の戦斧、重いでしょ」
チビにはチビのやりかたがある。
「なっ、消え…」
私も急に止まったりはできない。ので、真正面から抜けることにした。幸い、目の前の巨漢の長い足は、重い得物を振り回すためにしっかりと開かれている。
「ぐぁっ…!」
股下をくぐり、男のくるぶしにナイフを突き立て、抜きながら立ち上がる。
広場には傭兵団と私、通りにはおっかなびっくり覗く野次馬たち。
指示通りにこなせそうだ。
「ふんっ!」
私の頭に後ろから振り下ろされようとしている武器の風圧を感じ、背で体当りする。目の前でそいつの腕と斧が振り下ろされるのを確認しながら脇腹にナイフを突き立て、相手ごと体を反転させた。
「がっ……ふっ………」
「待てっ!ボウガンやめっ……」
「くそっ、ガキが!!」
背負った肉の盾に矢が刺さる音がして、続けざまに罵倒が聞こえる。読みは当たったらしい。盾にした団員を突き飛ばし、次の矢をつがえるボウガン持ちへ今度こそ肉薄する。
「死っ、んどけっ…!」
「嫌」
彼女がボウガンを私に向けたのとナイフが彼女の眼球を貫通したのは同時だった。
ナイフを少し上向きに押し込み、脳を破壊してから抜く。
彼女の心拍とともに吹き出す鮮血を浴びる前に体を反転させ、彼女を守ろうと私に剣を振り上げた団員の親指をナイフの柄で殴り砕いた。
「リジー!!!っ……ぐっ……ぁぁぁぁあぁっ!!」
次の相手は、と振り返ると、兵士に扮する師匠が一人の鳩尾へ槍をぐりぐりと突き入れ立たせているのが見えた。
「……不採用」
「が、はっ……」
形の良い唇が相手の顔に近づき微かに動いたかと思うと、相手は口から槍の穂先を出して絶命した。
「てめぇっ!」
師に激昂した斧持ちが迫る。とっさに前に出ようとすると、なだめるような師の視線が私にかちあった。
「ひゅぅっ……」
息が漏れる音が聞こえ、見やれば斧持ちの喉はぱっくりと割れていた。
師を案ずるなどおこがましいことだった。
命じられたとおり私に仕事をさせるために控えているだけで、その気ならとっくの昔に全員を殺し終えていたはずだ。
至らなさを反省し、私は自分を取り囲む傭兵らに向き合った。
「は、ぁっ……はぁっ、はぁっ……」
「よくやった」
平静を装って厩まで歩いた私を師の言葉がねぎらってくれる。
私が歩くだけの体力をぎりぎり残せるくらいの塩梅を見極めて、師もごろつきと化していた傭兵らを殺していってくれた。
──私が私にできる最大限の働きをできるように。
──あるいはそれ自体を私の鍛錬にするように。
「帰路の体力のみ残してナイフで二十六人か。武器の分析はできても、扱うのは未だ無理か?」
「見ての通り、です」
師は穏やかに、諭すような目を私に向ける。
「お前は殺し合いに向いていない」
「……」
「武器は物理的に殺しを効率化させるだけではないんだ、マデリン。これは、殺した感覚を手から離す」
「はい」
「今日だって泣いていたようなお前に、殺しの感覚は耐え難いだろう」
そのとおりだ。
だがそれで、武器の扱いの不得手さで任を解かれるならどんなにいいか。
半端者でも、フェイバーの技術を学んだ私を解放するとなればそれは私の死という形でしか許されない。
「いいえ、耐えます」
理由の一つは無論、私の命のために。そして、
「なればこそ、私の忠誠を我らが王に示せることでしょう」
もう一つは、師のために。
師は少し目を細めて「励め」と呟き、厩を去った。
城の厩舎を抜け、下男らの宿舎へ向かう。俺の初めての弟子、何も持たない盗人だった俺が育てた、俺を慕う、俺の唯一の価値といえる少女。
「…俺はどうして、この他に彼女を守り続けるすべをもたないのか」
彼女を俺のもとに置き続けるには、殺させ続けるしかない。
せめてその殺しの感覚だけでも彼女からは遠ざけてやりたかった。
そのための武器の指導だ。
彼女の本領は素手の戦闘で最大限に発揮される。
俺の知らない技術だが、後の先を取り、相手の力を利用するものだ。
そういった戦闘技術自体は覚えがないわけではない。
だが、彼女のそれはただのカウンターにとどまらない。
彼女は「合気」と呼んでいたが、相手の力を魔導ではなく技術のみで操るものだ。
相手の武器で相手を殺す、相手の立ち位置を変えて盾として使い続ける…そんな戦い方をも可能にする白兵戦、乱戦の技術だった。
俺が彼女に武器をもたせ続けるのは、彼女が殺しすぎないようにするため。
これ以上、彼女の利用価値を見いだされないようにするためだ。
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