……モブ令嬢なのでお気になさらず

「お嬢さん、あちらで踊りませんか?」

「……」


 華やかなパーティ会場。

 わたくしはモブらしく壁際に寄り、背景のように黙ってほほえんでいます。


「……なんだ、モブか」


 わかってもらえたようです。

 声をかけてきたイケメン男性が、すっと表情をなくして去って行きました。

 彼はメインキャラなので、わたくしのようなモブを相手にしてはいけません。


 ここは乙女ゲームの中の世界。

 肺炎をこじらせて命を落としたわたくしは、気がつくと転生していました。

 かなりやり込んだゲームなので、すぐに自分がどのキャラクターに転生したのか悟りました。


「わたくしは、モブ令嬢」


 声に出して確認します。

 忘れてはいけません。


 この乙女ゲーにかぎらず、モブキャラとメインキャラとの間には、深くて絶望的な溝が存在しています。

 メインにはキャラクターとしての役割がありますが、モブにはそれがないのです。

 モブはただのにぎやかし。

 いるだけの存在と言っても過言ではないでしょう。


 パーティ会場にいても、食事に手を出すのは我慢すべきです。

 さっきからお腹が鳴って仕方がないのですが、立食形式の大皿には近づいていません。

 生ハムが気になって気になってよだれが垂れそう……。


 でも、下手にテーブルに近づいて、メインの方々の気を引くと大変です。

 キャラが立つような行動はモブとして厳禁。

 生ハムにがっつく姿が目立てば、『生ハム令嬢』としてキャラが立ってしまうかもしれません。


 わたくしは、モブ令嬢。

 背景として、主人公たちの様子を見守るだけ。


「そろそろパーティの目的が明かされるころだな」

「そうね、王子様が壇上で何か発表するみたい」


 主人公の女性と、取り巻きのイケメンたちがわいわい喋っています。

 それぞれの手には料理の乗った皿が――


「ああ、生ハム!」

「?」


 チーズの添えられた生ハムを見て、思わず声を上げてしまいました。

 主人公が一瞬だけこちらを見ましたが、すぐに会話に戻りました。

 危ない危ない……。


 モブはモブらしく振る舞わなくては。


「あら? 王子様が誰か探しているみたい」


 壇上の王子が、きょろきょろと辺りを見渡しています。

 わたくしは背景なのでじっと見守ります。


 そのとき――

 主人公の女性が、ふと気づいたように、


「……そういえば、誰か足りなくない?」


 さすがの主人公力とでも言いましょうか。

 彼女がひと声上げただけで、周りのイケメンたちが一斉に慌てはじめました。


「誰かいないらしい」

「王子もそれで困ってるんじゃないか?」

「誰だ? 誰がいない?」


 彼らには、わかりはしないでしょう。


 わたくしは転生してからずっと、モブとして息をひそめてきたのですから。

 本来はメインキャラなので、場面には引きずられて強制的に同席させられます。

 でも一切目立つことなく、発言することなく、完全にモブを演じきってきました。


 こうして、わたくしが担うはずだったメインキャラは、設定だけを残してモブ化しました。

 もとになった乙女ゲーに存在するキャラが、この世界にはいないのです。


 わたくしはモブ令嬢。

 背景のひとつですが、やり込んだ乙女ゲーにおける、このパーティの目的はよく知っています。


 これは婚約破棄パーティ。

 壇上の王子は婚約者であるわたくしに罪をかぶせ、追放するつもりです。


 でも彼は、婚約者がわたくしであることすら認識できていないでしょう。

 ずっと、ずーっとモブ令嬢として隠れてきましたから。


「王子様、婚約者を探してるみたいだけど」

「あのかた、婚約なんてしてたか?」

「うーん、してたはずなのに相手が誰だったか思い出せないの」


 結果は上々。

 わたくしは主人公たちのやり取りを見て、安堵しました。


 その瞬間――


 大きな音で、お腹が鳴りました。


「しまった……!」


 こんな音を鳴らすモブはいません。

 これではキャラが立ちすぎてしまいます。

 モブ令嬢ではなく、『空腹令嬢』としてキャラ立ちし、王子の目に留まりかねません。


「お嬢さん、どうされましたか?」

「……!」


 背後からかけられた声で心臓が飛び出るかと思いました。

 見ると、お皿を手にした男性がわたくしの顔を心配そうに覗いています。


 イケメン?


 いいえ。

 とくにそういうわけでもなく……普通です。


「お、お腹が空いてしまいましたの」

「ほほう。ではこれをお食べください。まだ口をつけておりませんので」


 差し出されたお皿には、サラダと豆料理と薄いローストビーフがすこしずつ盛られています。

 主人公たちのように、「これが好き!」と主張するものが一切ない、普通のお皿。


 この人、モブです!


「ありがとうございます。いただきますわ」

「どうぞ」


 下心のなさそうな受け答えが本当に好ましく感じられました。

 好感度を上げるためでもなく、他のメインキャラを出し抜くためでもない、普通の接し方。


 これが本当の親切というものです。

 わたくしは心から感動し、


「あの、もしよかったら、婚約していただけませんこと?」

「そういうことは、もうすこしお互いを知ってからにしましょう」


 なんて普通!

 でも、ものすごく正しい返答だとわたくしは思いました。


 これを正しいと感じるわたくしは、モブ令嬢。


「はい。よろしくお願いいたします」


 そう答えるわたくしの声は、もうメインキャラたちの耳には届きませんでした。

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