第六話 夜景を見下ろす露天風呂
前回のあらすじ
低温のミストサウナを楽しんだ三人。
サウナは気持ちの良いものかもしれないけれど、危険も潜んでいるので気を付けよう。
「さあって、お次はここだ!」
「ここって……ここぉ?」
意気揚々と告げるウラノに、紙月はいぶかしげにそこを見上げた。
のけぞるように見上げた先は、十階建ての城の如き建築物であった。というか城であった。
基本的に高くても三階建て、上流階級の住まう中央地区でさえ五階建て程度の建築物しか見当たらない帝都において、規格外の高層建築と言っていい。
しかも高いだけでなく幅もあり、その立地している土地自体も広い。なにしろ正面玄関にたどり着くまでに立派な庭園があり、馬車が行き来するロータリーがあり、そしてそのすべてに煌々とした街灯がともっているのだ。
「そう! こここそが帝都観光御用達!
御用達、と言っても主な客層は十分な資金を持つ上層階級ということになるだろう。
あるいは市民が何年か金をためて、ようやく楽しめるような高級ホテル。
帝都郊外の小高い丘の上に建てられた、ちょっとした城塞めいて堅牢で重厚、それでいて優美な佇まいは、その景観を拝みに来て帰るだけという観光ツアーもあるほどだという。
「実際、元は戦争のために作られた砦の一つだったらしいよ。帝都が主戦場になった際に、これを助けるための拠点ってわけ」
「聖王国との戦争ってことか」
「まあ阿呆な領主との小競り合いもなかったわけじゃないらしいけど…………いまは帝都まで攻め込まれるようなことはまずないから、維持のための資金集めもあって旅籠として開業したんだってさ」
立地が立地なだけに交通の便はよろしくはないのだが、定期便がそれなりの頻度で行き来しているので、思い付きで行動していてもタイミングさえ合えばアクセスするのは難しくはない。
ただし、ここに踏み入るにはそれ相応の予算が必要なので、当然のようにドレスコードがある。といっても、みすぼらしくなければいいという程度で、かっちりと着込んでいなくても怒られたりはしない。ただしたまに貴族がしれっときていたりもするので、迂闊な行動は控えた方がいいだろう。
三人はいかにもといった跳ね橋を渡り、映画の中でしか見たことがないような重厚な扉を抜けていく。
真っ赤なじゅうたんが引かれ、色とりどりのタペストリーが壁にかけられていてなんとも豪華であるが、これらはそもそも冷たい石造りの建築物において、断熱材として用いられたのが始まりだという。実用品なのだ。
ちょっと気後れしそうなほどに華美なフロントカウンターで、ウラノがこなれた態度で受付を進めていく。
「三人で、入浴だけお願いするよ。入浴道具は要らない。お酒は……シヅキはいるかい?」
「いや、今日はやめておくよ。次もあるんだろ?」
「わかった。じゃあオレだけで」
提示された金額はちょっとぎょっとするほどだった。
驚きの料金、
その
しかしそれも、ブランドというものの価値を考えれば妥当なのかもしれない。
そこにふらっとやってきて入浴だけでもさせてくれるというのだから、安いほうかもしれない。
驚いている間にウラノが財布を出してさっさと支払おうとするので、紙月が腕を引いてとめた。
「待て待て待て」
「気にするなよ、いまは懐があったかいんだ」
「いやいや、ちゃんと出すよ」
「そうだよ。お金まで出してもらっちゃ悪いもん」
「悪いこたないよ」
「そりゃ気前はいいかもしれないけどな、ちゃんと払って、気兼ねなく一緒に楽しんだ方がもっといいだろうよ」
「へえ……いいね」
ウラノはにっかりと笑い、三人はそれぞれの財布から銀貨を支払った。
コンシェルジュの案内で浴場に向かいながら、紙月はしかしお高いなとつぶやいた。
紙月の認識で言えば、普段利用する安風呂屋は銭湯のようなもので、大体ワンコインくらいかなという印象だ。五百円くらい。
スーパー銭湯だと1000円くらい、健康ランドで2000円くらいだろうか。紙月の感覚で言えば、
「まあ高級旅籠だし、そんな旅籠の温泉だから、公衆衛生法の免税対象外なのさ」
「あー……普通の風呂屋は免税とかされてるんだったか」
「そうそう、それで安いのさ。安いけれど、最低限の設備はないといけない。それでいて、集客を目的としてあれこれすると今度は免税対象外。免税はあくまでも公衆衛生のためだからね」
「こういうところは娯楽とかそういう軸になるわけだな」
「へえ……勉強になるね」
ふたりが興味深そうにうなずくのに、ウラノも興が乗ったようだった。
「ここは天然の温泉……っていっても、風呂の神官が引いたやつらしいけど、とにかく温泉が湧いててね。泉質は、なんだったかな、まあいい感じのやつさ。でもただの温泉ってわけじゃない。それが売りじゃあないんだ」
「温泉だけじゃない……ってことは、さっき言ってた酒とかか?」
「ああ、追加料金でお酒も頼めるよ。でもそれはあくまで追加だからね。貸し出しの入浴道具とか館内着とかもいいのを使ってるけど、そんなのは高級旅籠じゃ仕様のうちだよね」
コンシェルジュが部屋に入るのについていくと、なんだか随分狭い部屋だった。小部屋どころか十人も入れないように見える。そもそも行き止まりでどこにもつながっていない。奥に窓があるのに、その先は真っ暗だ。
しかしどこかでこんなものを見たことがあるな、と思っていると、コンシェルジュが壁面のパネルを操作し、がこん、と部屋が揺れた。
「あれ、これって?」
「
「おや、
部屋ではなく、それはエレベーターの
音も揺れも少なく、かごはするすると上昇していき、やがて真っ暗だった窓に夜景が映りこんだ。帝都の夜景だ。いまは夜であるからその街灯りが見えるばかりであったが、それでもなかなかの景色と言っていい。
すくなくとも、このエレベーターに乗るためだけに無駄に階を移動する観光客もいるのだった。
帝国にはエレベーターがないわけではなかったが、その絶対数は少ない。そもそも必要とするような高層建築が少ないのである。
例えば港町では、船の荷積みや荷下ろしにエレベーターのようなものが用いられるが、それはまた毛色が違う。またそれなりの階数の建物では荷物を運ぶための専用の小さな昇降機もあるが、これには人が乗り込むことはできない。
それなりに複雑な機構であり、大掛かりな施工が必要となるエレベーターは、まだまだ希少で物珍しい乗り物なのだった。
そしてエレベーターがたどりついたのは最上階のそのうえ、屋上であった。
長椅子や寝椅子などが並び、簡単な飲み物や軽食等も用意してくれるらしいラウンジを抜けて、脱衣所の扉を開けてみれば、そこには星々に見下ろされるようにして大理石をふんだんに使用した浴場が広がっていた。屋上に設けられた露天風呂なのであった。
「おお! 高層露天風呂、ってことか!?」
「すごいだろう? ほら、ふたりともこっちにおいでよ」
「うわあ……これって、帝都を見下ろしてるんだ!」
「はあ……百万ドルの夜景ってやつかね……」
屋上の縁には落下防止のためもあってか、板ガラスと金枠によって仕切りが設けられているのだが、そのおかげで風も当たらず、安心して景色を見下ろすことができた。
三人が並んでそこに立って見ると、眼下に帝都全域を見下ろす広大なパノラマが展開した。
「帝都は眠らない町ともいわれるからね。昼に見下ろす景色も雄大なものだけど、この夜景には銀貨分の価値は十分にあるだろう?」
「ああ、ほんとにな!」
「すごいねえ……まるで星空みたいだ!」
現代日本の夜景と比べれば、それは寂しいものであったかもしれない。しかし夜のとばりに浮かぶ灯りの一つ一つが、帝都に生きる人々のその営みのあかしなのだった。
平民たちはこの景色に帝都の雄大さ、帝国の偉大さを感じて感銘を抱き、貴族らでさえもこの眠らない町の恐るべき財力と権力におののき、迂闊な考えなどひっこめることもあるという。
「ほら、向こうに見えるひときわ明るく巨大な建物が、宮殿さ」
「おお…………どっからどこまで?」
「それらしいのはみんなそうだよ」
「ひょええ……」
防犯的に大丈夫なのかと思いもするが、宮殿の姿さえもここから拝めるのだった。
とはいえ宮殿は大きく、その敷地面積は広大であり、関連施設や省庁も付近にあるので厳密にどこからどこまでというのは難しいところであったが。
どこか中世ヨーロッパの城のような面影を残しながらも、現代風──というよりは未来風に洗練された一連の建築物群は、帝都でもかなり初期に建造されたのだという。
この荘厳なる宮殿と、眠らない帝都の夜景を、三人はしばしのあいだただ感嘆だけを胸に見つめ続けていたのだった。
全裸で。
一応腰にタオルは巻いていたが。
「そしてここでの一番の楽しみは、こうさ」
「なぜタオルを外す……!?」
「帝都を見下ろす大絶景。その雄大な景色を見ながら、いわば街に対して裸の自分で向き合う。これが一番きもちいもとい爽快なものさ」
「ううん……? なんだか、言い切られるとそんな気がしてくる……かな……?」
「まあ向こうから見えるわけじゃないだろうけどよォ」
堂々と《
そのあまりにも堂々とした態度はいっそ清々しささえ感じさせた。
風にぶらりぶらりと揺れる《
柔らかさと強さ、しなやかさと鋭さとを兼ね備えたその背中は、ある種の美術彫刻のような美しささえ持ってそこにあった。
なんというか、さわやかなヤツ、とでもいうのだろうか。
奇妙な話だが……。
まあ……だからと言って二人がそれを真似するわけではなかったが。
そのすがすがしさも寒さには勝てず、三人は適当なところで切り上げると、夜景の見えるあたりに陣取って浴槽に肩まで浸かった。湯はわずかに赤褐色に濁り、独特の硫黄臭がするが、それがまた温泉に浸かっているのだという感じがして、よい。
肩まですっかり温めて、しかし頭の方はあくまで冷たい夜気に晒されている。これこそ露天風呂の醍醐味と言っていい。自然の風が時折湯面を撫でていき、見下ろせば帝都の夜景が、見上げればそれにも勝る満天の星空と月が広がっている。それもまた風情。
そんな風情ある露天風呂で、ウラノは堂々と
「くっ……ちょっとうらやましい!」
「ふふん……なにしろこれは一杯
「
「普段なら絶対頼まないけど、誕生日だったからね! 懐もあったかいし!」
厳密には少し前だったらしいが、ウラノに言わせれば祝い事はなんどやってもいいのだ。なんだったら二人にかこつけて飲んでいるといってもいい。
「そういやぁ、未来も誕生日そろそろじゃなかったか?」
「そう言う紙月もそろそろだよね」
「お! ふたりも誕生日なのかい?」
「おう。未来は4月1日だったな」
「紙月は26日だったね」
未来は早生まれであり、六年生ではあるが年度も終わりになってようやく12歳になる。
紙月は次の誕生日で23歳だ。
ふたりとも誕生日にそこまでのこだわりはないのだが、《エンズビル・オンライン》では登録しておいた誕生日当日には特別なログインボーナスが、前後一週間は経験値ボーナスなどの特典もあって、互いにそれを教え合い、覚えているのだった。
「いいねえ、誕生日祝いっていうのは、祝うのも祝われるのもいいもんだよ」
「ままだちょっと先だけどな」
「先でもいいさ! オレはそのころには帝都を出てるし、せっかくだ! 今日の観光案内はキミたちの誕生日祝いってことで、盛大にやらせてもらうよ!」
ウラノはそう言って上機嫌に杯を空け、追加でもう一杯、そして二人にはノンアルコールの飲み物を用意して、月明かりの下ささやかに乾杯を交わすのだった。
「誕生日おめでとう!
「ああ、
「
用語解説
・《
帝都郊外に所在する高級旅籠。ここ自体が観光名所でもある。
小高い丘の上に建てられた城塞を旅籠として改装したもので、最大の見どころは屋上に設置された露天風呂。また最上階のスイートルームには夜景の見える部屋風呂が用意されている。
実は現在も軍事施設としての機能は健在であり、定期点検も欠かしていない。有事にはここに立てこもることも可能である。
・
帝国に流通する硬貨の一つで、名前の通り丸みを帯びた五角形をしている。
同じく
帝国の通貨は額の小さい順に、銅貨である
つまり一
金貨は主に恩賞や贈答用で、その重量や芸術性で価値が決まる。
どうせ大して出てこない設定なので覚えてもこれと言って得はない。
・
エレベーター。内部の機構を問わず、昇降に用いられる機械全般を指す。
・
野暮な話ではあるが、入浴中の飲酒は危険なので、読者諸氏には慎重に慎重を重ねていただきたい。
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