第九話 賭け

前回のあらすじ


筋肉ダルマを腕相撲で制した二人。

なんだかんだ文明的ではない。










 《決闘屋》というのはなにもシャルロ・ベアウモントが自分から名乗り始めたものではない。

 貴族の決闘を代理でこなしては名をはせたからだともいうし、喧嘩の売り買いの弾みが実に軽くてすぐに剣を抜くからだともいう。


 ただ確かな事として、シャルロの血の気の多さはある程度冒険屋をやっている者たちにとっては周知の事実であったし、そしてこと剣技において並ぶものなしというその実力たるや、言うまでもなく知れ渡っているのである。

 それこそ、話の真贋どころか存在の有無さえも曖昧な所であった森の魔女の伝説などに比べれば、余程身近な脅威なのであった。


 そのシャルロが満面の笑みで腰のものに手をやり、しかももう片方の手には火酒の酒杯まで携えてあるとなれば、命知らずの冒険屋たちもお行儀よく座りなおすほかになかった。

 誰だって猛犬注意の看板を見たら迂回するし、火傷することがわかって火箸を握りしめたりはしない。


 《決闘屋》シャルロ・ベアウモントというのは、そういうものなのだった。


「ちぇっ、なんだい、意気地なしどもめ」

「ま、ま、ま、飲めよ」

「やあ、気が利くね」


 ムスコロがすっと横から酒を注ぎ足してやり、それでようやくシャルロは腰を下ろした。

 冒険屋たちの間に、どこかホッとした空気が流れるのも、致し方ない。


 冒険屋どもは荒れたテーブルや椅子を片付け、腕相撲に使われた酒樽が回収され、酒場は再びもとの賑わいを、やや大人しいながらも取り戻したのだった。


 《優雅な戦象エレガンタ・エレファント冒険屋事務所》のアフリコとヒンドの二人も、一連の騒ぎですっかり酔いがさめてしまったらしく、何とも居心地悪げに肩を揺らした。


「まあ、てめえから言い出して負けちまったんだから、仕方ねえ」

「あ、兄貴」

「俺も負けちまったんだ、なんにも言いやしねえよ」


 むくつけき男どもは新しく酒を頼み、そして意外なことに紙月たちに頭を下げたのだった。


「騒がせてすまねえな」

「いいってことよ」

「体のいい話だが、あんたらが本当に穴守に挑むなら、エブロの兄貴の敵を討ってくれ。頼む」

「死んだのか」

「いや。ただ、恐ろしい力でぶん殴られたらしく、総鉄の戦槌ごと骨をへし折られちまって、しばらくは身動きもとれねえんだ」

「ふーむ。まあいいよ。頼まれた」

「助かる」

「でも賭け金は忘れるなよ」


 涼しい顔でしれっと言ってのけた紙月に、酒場の連中はどっと沸いた。


「兄貴にゃ悪いが、勝って欲しいやら負けて欲しいやらだぜ」


 苦笑いを浮かべながら去っていく二人を見送り、紙月は麦酒エーロを一口舐めて唇を湿らせ、煎り豆をバリバリと齧るムスコロに釘を刺した。


「お前もこれに懲りたら、あんまり酒の勢いで大きなこと言うなよ」

「へえ、面目ねえ」


 思えば初対面の失敗も酒が入っていた時のことであるから、いい加減懲りればいいものをと思うのだが、酒に強いというのは冒険屋たちの間ではある種のステータスのようで、酒を飲まないというのは格好の悪いことであるらしい。


「なあムスコロ。酒の強い弱いなんてのは、これは腕っぷしの強い弱いとは関係のないことなんだ」

「そうは言いやすがね」

「世の中には酒精が体に合わず、死ぬ奴だっている。格好つけるために飲みたいなら、高い酒を少し飲め。そして格好つけて飲め」

「はあ」

「世の中、牛乳飲むだけでも格好いいやつだっているんだぞ」

「やってみやす」


 ムスコロはカウンターで五角貨クヴィナンを一枚滑らせて、こう注文した。


「よく冷えた乳をくれ。緑檬リメオを一絞り」

「馬鹿かおめえ」

「釣りは要らん」

「まあいいけどよ」


 注文通りの品を受け取り、まず香りを楽しみ、それから一口。深く息を吸い、細く息を吐きながら、口内と鼻腔とで香りを転がす。


「ありがとよ」


 そうして戻ってきたムスコロは、白く塗れた口ひげを拭った。


「どうでした」

「お前黙ってればダンディだよな」

「はあ」

「格好いいってことだよ」


 よくはわかっていないようだったが、しかし安酒で悪酔いするのも馬鹿らしいと、ムスコロはこのやり方を気に入ったらしかった。


「しかしムスコロ、お前にはいいことを教えてもらったよ」

「なんです?」

「賭け事ってのは儲かるんだな」

「なんですって?」


 紙月が壁を差すと、そこには賭けの配当表が張ってある。

 何の賭けかと言えば、森の魔女対穴守の勝敗をかけた配当表である。


 単純な勝ち、負け、また引き分けの外に、全員が生きて帰るとか、何人だけ生きて帰るとか、怪我の程度だとか、なかなか細かく分けてある。

 先ほどのアフリコとヒンドとの腕相撲の結果を見て多少変動はあったようだが、やはり勝ちの目に賭けるものは少なく、精々、全員生還する、といった程度である。


 舐められていると言えば舐められていると言っていいが、何しろ熟練の冒険屋たちがそろって敗退しているので、妥当と言えば妥当の具合である。

 そして舐められている方が紙月としては具合がいい。


「紙月、僕、賭け事は良くないと思う」

「まあそう言うなよ。第一結果がわかり切ってるんだから賭けにならないし」

「紙月は楽天的過ぎるよ」

「人生は楽しまないとな」

「もう」

「ま、まさか姐さん」

「おう」


 紙月はインベントリから重たげな革袋を取り出した。資産を小分けにしたその一つである。


「それ全部賭けたら怒るよ」

「かたいなあ。わかったよ、一枚、一枚だけ」

「もう、仕方がないなあ」


 一枚は一枚でも、九角貨ナウアンの銀のきらめきが、酒場をどよめかせたのだった。










用語解説


緑檬リメオ

 柑橘類の一種。緑色の皮の鮮やかな果実で、酸味に富む。

 ライム。このやりとりは某氏の某作品を参考にいたしました。


九角貨ナウアン

 帝国で一般に流通する硬貨で最も高額なもの。

 銀貨。日本円に換算すると大体一枚で十万円くらい。

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