第61話:アンナの試練

「フェムー! さっすがー!」

「フェムちゃん、おめでとう! すごいです!」

「わっ……おねえちゃ……あわわっ……」


 呆然とした魔王から合格を言い渡されて戻ってきたフェムがサンとフィーアに揉みくちゃにされる。


 困っているような口調とは裏腹に顔は嬉しそうな笑顔を浮かべている。


「アンナ、次はお前だな」


 フレイが一人だけ離れたところで壁に背を預けていたアンナへと声をかける。

 彼女はこれまで姉妹たちの輪に一切加わることなく、ただ一人で瞑想しながら自分の出番を待っていた。


「ああ、そうだな。何、心配は無用だ……君のクビはもう繋がっている」


 アンナは自信に満ちた口調でフレイへとそう告げながら、視線は父親の方を見据える。


 その瞳には一切の憂慮は無い。万が一にも自分が落第は無いと考えているのが誰の目から見ても明らかだった。


 事実としてこの長女はそれが慢心に成りえない実力を備えていた。


「別にそういうことじゃないんだが……まあ、気をつけろよ」

「分かっている。問題はない」


 アンナが壁から背を離して父親から声がかかる前に場内へと歩み出る。


 しかし、フレイだけはそんなアンナの姿に言葉では言い表せない妙な不安を抱いていた。


「次は……アンナ! 出てこい! お前で最後だ!」


 そして、魔王から最後の挑戦者の名前が告げられる。


 アンナは栄光への道を進んでいるかのような堂々とした歩調で父親の元へと向かう。


 その頭の中には、将来部下となる者たちの前で敬愛する父親から最大級の祝福を受ける自分の姿を既に思い描いていた。



**********



 アンナは魔王ハザールの第一子としてこの世に生を受けた。


 竜人族において最も誉れ高き役割である巫女の子として生まれ落ちた彼女は、当然のように母親の跡目を継ぐことを期待された。

 だが周囲の期待に反して彼女は物心ついた時には母親ではなく王である父親に憧れるようになっていた。


 圧倒的な武力とカリスマ性によって魔族を支配する父親。


 幼い頃からその背中をただ一心に追い続けた彼女は、両親の才能を十二分に継いでいた事もあり、周囲の期待を裏切った事さえも黙らせる程の実力を得るまでに至った。


 しかし、脇目も振らずに目標までの最短を距離を進む彼女は遅れて生まれてきた腹違いの妹たちさえもたった一つしかない椅子を争う競合者であると認識していた。


 そして、今日に至るまで姉としての役割を果たすことは一切なかった。



**********



 父親の眼前でこれまで鍛え続けてきたものの成果を披露出来る機会。


 それを目前にしてアンナは、言葉では言い表すことが出来ない高揚感に包まれていた。


 一方、魔王は複雑な感情を目に浮かべたまま長女を見下ろす。


 その感情の正体に気づくことがないまま、アンナは所定の位置へと辿り着く。


「よう、後はお前だけだな。アンナ」

「はい、私も父上の為に必ずや合格してみせます」

「そうか……だが試験の前に一つ、お前に聞いておきてぇ事がある」

「はい! 何なりとお聞き下さい!」


 父親に対して、その場で跪きそうな程の忠誠を見せるアンナ。


 場内は他の姉妹たちと変わらない歓声で湧いている。


 だが、姉妹たちの声援はなく、ただフレイだけがその背中を不安げに見守っている。


「前の四人……妹たちが合格してったのを見て、お前はどう思った?」

「は……? 妹たち……ですか?」

「そうだ、三ヶ月前と比べて随分と成長したあいつらを見て、何も思わなかったか?」

「成長……」


 父親からの質問に対して、アンナは少し考え込むような仕草を見せる。


「同じ頂きを目指す競合者として……負けるわけにはいかないと、より一層身が引き締まりました」


 それから、まるで他人事のように今思いついたような言葉が紡ぎ出された。


「そうかい……お前は変わんねぇな……。いや、なんも変わらなかったか……」


 魔王は残念そうにそう呟きながら椅子からゆっくりと立ち上がる。


 続けて装飾のついた大仰な服を取り払っていき、隣にいるアンナの母親へと手渡していく。


 そうして以前にフレイと対峙した時と同じ格好になると準備運動のように首を数度鳴らした。


「ち、父上……? な、何をされて……」


 幼い頃から憧れた父の、これから戦いに臨むかのような姿を見てアンナは困惑する。


 魔王は返答の代わりに軽く前方へと跳び、アンナと同じ地平へと降り立った。


 その光景に会場全体から、娘たちに向けられたものよりも遥かに大きな歓声が上がる。


「お前の試験の相手は……この俺だ」


 目の前で大きな動揺を見せている娘に対して魔王が告げる。


「えっ? は? ち、父上が……? ご、御冗談です……よね……?」


 想像していた栄光とは真逆の出来事を前に呆然とするアンナ。


「いーや、本気だ。お前の相手は俺だ」


 魔王は無情に同じ言葉を繰り返す。


 手加減をするつもりなどは一切なく、本気で娘と戦おうとしている。

 言葉に含まれた迫力がその事実を場内にいる全員に理解させた。


「どうした? さっきまでの威勢の良さはどこにいった?」

「だ、だって……父上が相手なんて……」


 じりじりと歩いて娘との距離を詰めていく魔王に、アンナは怯えながら後ずさる。


 父親だけの背だけを追い、幼い頃から積み上げてきた矜持が一歩下がる度に引き裂かれていく。


「必ず合格するんだろ? ほら、かかってこい!」

「む、無理です……」

「何が無理なんだ? お前が積み上げて来たもんを俺に見せてみな」

「勝てるわけが……」


 挑発するような言動を魔王が繰り返す。

 それでもアンナは前に踏み出ることはなく、じりじりと後ずさり続ける。


 すぐにその背中は行き止まりである魔法障壁にぶつかった。


「もう……何やってんのよ……」


 無言で事の成り行きをじっと見ていたイスナが嘆息を吐き出す。

 その反対側では、アンナの母親も娘の醜態を見て椅子に座ったまま頭を抱えている。


「どうした? 諦めんのか?」


 まるで肉食獣が小動物を追い詰めるようにじわじわと迫っていく魔王。


 妹たちは、障壁を背にして子供のように震えている長女を見て言葉を失っている。


「ふ、不公平です……私だって、他の者と同じ試験ならば……」


 アンナは苦し紛れに、普段の振る舞いとは真逆の情けない言葉を紡ぐ。


「合格できたって……?」


 アンナが眼前に迫りくる父親へと向かって、震えながら首を小さく縦に振る。

 それを見た魔王は歩みを止め、大きな溜息をついた。


「現実としてお前に与えられた試練はこれだ。変えようはないし、変えるつもりもねぇ。お前は俺と戦うしかねーんだよ」

「父上と……戦うしか……」


 しかし、再三の言葉を受けてもアンナはただ子供のように震えながら、力なく障壁に背を預けている。

 その手が腰に携えた剣へと添えられることはない。


「そうか……なら仕方ねぇな……」


 完全に戦意を喪失している娘に対して、魔王は遂に諦念の表情を浮かべる。


「お前は不合か――」


 そして、不合格を告げようとした時――


「待った!!」


 静寂の場内に、耳をつんざくような叫び声が響いた。


「あ、えっと……いや……待ってください」


 場内の注目が叫び声の主、フレイへと一瞬にして集まる。


「なんだ、てめぇ……」


 いきなり横槍を入れられた魔王が不機嫌そうにフレイを睨みつける。


「その子に不合格を言い渡すのは、待ってくれませんか?」


 待機場所から場内へと一歩進み出たフレイは臆すること無く、毅然とした態度で魔王へと請う。


「待てだぁ? なんだ、そんなにてめぇのクビが大事か? なら安心しな。先の四人の分でお前の働きは十分だ」

「いや、そうじゃな……そうではありません」

「なら何だ? あの時が続きがやりてぇって言うんなら受けて立つぜ?」

「そうでもありません……ただ、アンナにもう一度だけ機会を与えてやって欲しいだけです」

「あ? 機会だ? さっきも言ったが、試験の内容を変えるつもりはねぇし、このザマなら何度やっても同じ……無駄だ」


 眼前にいる娘を既に見限っている言葉を魔王が口にする。


 寄る辺を完全に失ったアンナの身体は障壁を滑るように地面へ落ちていく。


「いえ、与えて欲しいのは……この子が成長するための機会です」


 フレイが更に二人へと近寄りながら透明な障壁越しに魔王と向かい合う。


 目の前にいる男を敵に回せば、周囲にいる数千にも及ぶ魔族をも敵に回すことになる。

 そう考えながらもフレイは恐れず、真っ直ぐに魔王の目を見据える。


「アンナが貴方の期待通りに成長出来なかったのは、全て教育係である俺の責任です。その子の責任ではありません」

「フレイ……?」


 地面にへたり込むアンナが自分を救おうとしてくれているフレイへ潤んだ瞳を向ける。


「全部てめぇの責任だと……? なら、やっぱりこいつの代わりにてめぇから先に俺とやるか?」

「俺はそれでも構いません……が、もし俺が勝ったらアンナにもう一度機会を与えてもらえますか?」


 フレイが腰に差した剣を手を添えて、冗談の色を一切含んでいない口調で更に踏み出す。


 主に向かって不敬とも取れるその対応に、観客席からは非難の声が浴びせられる。


「はっはっは! 言うじゃねぇか! おもしれぇ! そのクソ度胸に免じて……話くらいは聞いてやろうじゃねぇか!」


 魔王は殺気を隠すことなく、アンナから離れてフレイの方へと一歩ずつ近寄っていく。

 観客席の魔族たちは、ヒリついた空気の中で呼吸の仕方も忘れたかのように固まる。


「ありがとうございます。みんな、すまないな……合格のお祝いは少し延期だ」


 振り返ったフレイが不安げに事態を見守っている四人へと向かって謝罪する。


 それでも彼の行動に異議を唱えようとする者は一人もいなかった。


「ヘマした時の覚悟は……当然、出来てんだろうな?」

「もちろん出来ていますが、失敗するつもりもありません」


 脅すような口調の魔王に一切怖気づくことなく、フレイは再び真っ向から向き合う。


「なら、言ってみな……てめぇの考えってやつをな」


 フレイは眼前にいる男にだけ聞こえるように自身の案を告げる。


 彼が選んだのは、人間界で開催されるある催しに彼女を参加させる事であった。

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