第51話:有害図書

 尊厳をかなぐり捨てて、イスナに自分の武器が何なのかを気付かせる為の一言を放った。


「な、何を言ってるのよ……いきなり……」


 しかし、当の本人には上手く届かなかったのか若干引き気味で困惑している。


 直に言われたのは流石のイスナと言えども恥ずかしかったらしい。


 いつもは見せびらかすようにしているその胸元を腕で守るように隠している。


「分からないのか?」

「分かるわけないじゃない。い、いきなり胸が大きいのが才能……とか言われても……」

「そうか、じゃあ少しいい方を変える。お前が姉妹で一番……いや、同年代でお前より色気がある女性は見たことがない!」


 肩に手を置いたまま、再びその深緑の瞳をしっかりと見つめて告げる。


 出るところは出て、締まるところはしっかりと締まっているまるで神か悪魔が作った彫像のように均衡の取れた身体だけじゃない。

 母親譲りなのか、所作の一つ一つに天性のものとしか思えない魔性がある。


 その色気は二十歳にも満たない少女のそれではない。


「そ、それって……もしかして……誘ってる……の?」


 困惑していたかと思えば、今度は顔を赤面させてそう尋ねてくる。


 そんな振る舞いにさえ、並の男なら理性を消失させてしまいそうな艶やかさを有している。


「違う」

「じゃあ何なのよ!」

「その色気こそがお前の類まれなる才能って事だ」

「やだ! そんな才能やだ! 私もあの子たちみたいなのがいーい!」


 再び駄々をこね始める。

 だが、どれだけ言ってもそれは無い物ねだりだ。


「イスナ、お前は夢魔の血を半分引いてるよな?」


 肩に手を置いたまま、今度は諭すような口調で優しく語りかけてやる。


「それがどうしたのよ。ぐすん……」

「夢魔の人間界での別名は知ってるか……?」


 別名というよりも人間界ではそっちの呼称の方が有名かもしれない。


「知らないわよ……。ぐすん……」

「淫魔だ」

「そんなのやだぁああああ!!!」


 再び暴れだし、両手で俺の身体をぽかぽかと打ってくる。


 広場で訓練している姉妹たちが一体何事かと、こちらに視線を向けてくるが大丈夫だから続けろと手振りを送る。


「いいか、いん……夢魔が使う精神干渉の魔法において相手の本能を刺激するのは重要だ。つまりお前の色気ってのはとてつもなく大きな武器になる」


 夢魔が標的、特に異性から生命力を奪う際にはほぼ決まって対象の情欲に付け入る。


 それは生物にとって最も根源の欲望の一つであり、付け入る隙が大きいからに他ならない。


「そんな、はしたないのやだ。ぐすん……」


 普段から肩と胸元を大きく露出した服を着ている癖に今になって乙女のような恥じらいを見せているイスナ。

 そういう見た目とのギャップがこれまた男心をくすぐると分かっていなさそうだ。


「イスナ、夢魔の特性と合わされば色仕掛けも立派な戦闘術だ。サンの体術やフェムの魔法にも一切劣らない」

「そうなの……?」

「間違いない。俺が保証する」

「だったら……」


 泣き止んだかと思えば、今度はもじもじと恥ずかしそうに両手の指先を遊ばせ始める。


「なんだ?」

「貴方が手取り足取りで色々教えてくれるなら……私も頑張るけど……」

「それはダメだ」

「なんでよぉっ!」

「いや、それは倫理的に当然だろ」


 一考もせずに即答する。

 教え子に手を出すのは当然ダメだ。


 それこそ件の不適切な指導に他ならない。


「じゃあどうやって学べばいいのよ! い、色仕掛けなんて言われてもどうすればいいのか分かんないわよ!」


 再びぽかぽかと俺の身体を叩きながら喚き始める。


 あの母親に学べと言っても聞き入れてくれなさそうだ。


 やむを得ない。ここは奴を頼るしかないな……。


「よし、それならついてこい」

「へ? ついて?」

「いいからこっちだ」


 その手を掴んで、屋敷の中へと引っ張っていく。


 目的地はあいつの部屋だ。

 あいつなら間違いなく参考になる教材を持っているはず。


「ちょ、ちょっと……どこ行くの?」

「着けば分かる」


 イスナの手を握ったまま、屋敷の奥へ奥へと歩いていく。

 緊張しているのか、その柔らかい手から少し汗が滲んできている。


「こ、こんな奥まで連れてきて……。一体何を……はっ!? 口ではああ言ってたけど……も、もしかして……誰も使ってない部屋に私を連れ込んで……。えへ、えへへ……」


 怒ったり泣いたりしたかと思えば今度はニヤケだす。


 しかし申し訳ないが、こいつが考えているような事は断じて起こらない。


 そうこうしている内に、目的の部屋へと辿り着く。


「あれ……ここって……」

「おーい、居るかー?」


 入り口の扉を叩きながら、中へと向かって呼びかける。

 この時間ならちょうど朝の掃除を終えて、少し休憩しているはずだ。


「ういうい~。何ですか~?」

「俺だ。朝早くに悪いな」


 扉を開けて出てきた桃色の体毛と猫のような耳を持つ獣人メイドのリノに挨拶する。


「あれ? フレイ様? どうしたんですか?」

「ちょっと頼みたい事があってな」

「もしかして……夜這いならぬ朝這いというやつですか!? ダメ! ダメですよ! いくら私の尻尾がどこから生えているか気になって眠れなかったとしても! 今ちょっと汗臭いですし、心の準備もまだですし、それに私にはお姉さまが――」


 何を勘違いしたのか、いきなり一人の世界に入ってぺちゃくちゃと話し始める。


「落ち着け。誰もお前には興味ないから安心しろ」

「ひどっ! で、何の用事ですか? お掃除のご依頼ですか?」


 独り言が収まったかと思えば、今度は意外と落ち着いた対応をしてきて調子が狂う。


「いや、イスナの事でな」

「……ちょっと、リノのところで一体何をするのよ」

「いいから、待ってろ」

「あれ? イスナ様も居たんすね? おはようございまーす」

「え、ええ……。お、おはよう」


 リノの挨拶に対して、イスナは少し吃りながら返す。

 そのまま若干だが俺の後ろに隠れるように移動した。


 もしかしたらリノの事が少し苦手なのだろうか。

 確かに性格的には相性が悪そうな感じはするが……。


「そんで、頼み事って何ですかー?」

「ああ、イスナにだな――」


 リノにだけ聞こえるように、耳元で要件を伝える。

 イスナに色仕掛けの方法を教える為の教材として、お前の持っているブツが必要だと。


「そ、そんなブツなんて……わ、私は持ってないですよ……? 健全な乙女なので……そんないかがわしいものは……」

「いいからさっさと出せ」

「モッテナイ、ワタシシラナイ」


 目を泳がしながら、カタコトで喋り始める。


 嘘が下手にも程がある。


 初めて会った時の会話の内容からそうだとは思っていたが、予想通りこいつは例のブツを持っている。それも大量にだ。


「安心しろ、ここで出せばロゼには黙っておいてやる」

「ほ、本当ですか……?」

「ああ、そんなつまらない嘘はつかない」


 取引を持ちかける。

 拒否して痛い目を見るのは向こうだけだ。

 主導権は俺の側にある。


「わ、分かりました。じゃあ入ってくださいな……」


 あっさりと取引は成立した。


 指示通りに大人しく黙っているイスナを率いてリノの部屋に入る。


 室内はその主から受ける印象とは対照的に、物が少なく小綺麗に片付けられている。

 意外だと思ったが、そういえばこいつは掃除婦だからむしろ当然か。


「じゃあ早速ブツを出してもらおうか……」

「分かりましたよ……。もう、強引なんですから……」


 リノが地面に膝をついて、猫のような尻尾と体毛の生えた足をもぞもぞさせながらベッドの下を探り始める。


「ん、っしょ……っと」


 大きめの収納箱を引きずり出された。


「どういう奴がご所望ですか……? 流行りの脳が壊れる系っすか?」

「……いや、普通のでいい」


 なんだよ脳が壊れる系って……。

 ちょっと気になるじゃないか。


「普通の……普通の……なかなか難しい選択ですねぇ……」

「それと女性向けので頼む」

「ういうい、了解でーす」

「ねえ……何の話してるの? ブツって何?」


 流石に黙って待っていられなくなったのか、イスナが怪訝な表情を浮かべながら尋ねてくる。


「まあ……、見れば分かる」


 ひと目見ればそれが何なのかは分かる。


「普通で……女性向け……。そんじゃあ……、これですね」


 そう言ってリノは収納箱の中から一冊の本を取り出す。

 その表紙には怪しい書体でデカデカと『真冬の夜の淫魔』と書かれている。


「はい! イスナ様、どうぞお納めください!」


 リノは人懐っこい笑顔を浮かべて明らかに不健全なそれをイスナに手渡した。


「どうぞって、何これ……本?」


 イスナは怪しみながらもその本を受け取って中を開く。


 ぺらぺらとページを捲って、その中身を確認していくと――


 ぼっと火が点いたようにいきなり顔が真っ赤になった。


「な、なっ、ななっ! 何なのよこれ!」


 アンナの髪の色並に顔を真赤にしながら慌てふためくイスナ。


「何ってご所望のエロい本ですけど」


 対して、それがどうしたかと言わんばかりのケロっとした表情で返すリノ。


「そんなもの所望してないわよ!」

「でもフレイ様が出せって……。もしかしてそういうプレイですか? なかなか拗らせてますねぇ……」

「違う。断じて違う」


 そんな倒錯した趣味はない。


「な、何なのよ……これは……」


 イスナは僅かな怒気を含んだ戸惑いを見せながらも、チラチラと本の方に何度も視線を落としている。


 多感な年頃とは言え、興味津々なのを全く隠しきれていない。


「お前はそれで人の情欲を学ぶんだ」

「じょ、情欲……?」

「そうだ。情欲だ」

「フレイ様、真面目な顔してとんでもない事を言ってますね」


 リノが横から茶々を入れてくるが俺は大真面目だ。


 男女のあれとかそれに関する機微が赤裸々に描かれている小説。


 本来なら間違いなく教育の場において不適切なものだが、ウブな夢魔への指導用としては最適な教材のはずだ。


 時には規範から逸脱する柔軟性も教育にはまた大事である。


「だって、こんなの……こんなのって……」


 イスナはわなわなと打ち震えながらそれを読み進めている。

 どんな感情を抱いているのか定かではないが、黒い尻尾は過去最高に荒ぶっている。


「ね、ねぇ……リノ……これってどういう意味なの?」


 イスナは視線は本に固定したまま、リノに向かってちょいちょいと手招きをする。


「ん~、どれですか~?」

「この、これ……この……ってのは何なの?」

「あー、それはですねー。ごにょごにょをごにょごにょでごにょんで、ごにょらせる事ですよ」


 リノがイスナの耳元で俺には聞こえない程の音量で何かを説明している。

 一体何を説明しているのか気になるが、ここは本人の名誉の為にも聞かないでおいてやろう。


「そ、そんなことしちゃうの!?」

「もちのろんですよ」

「じゃ、じゃあ……これは……?」

「それは……男性がごにょごにょして、女性のごにょごにょをごにょっちゃうやつですね」

「う、嘘でしょ……?」

「こんなのまだまだ入門編っすよー」

「し、信じられない……こんな世界があったなんて……」


 目の前でイスナとリノが二人して興奮気味に尻尾をぶんぶんと振りながら楽しそうに会話を繰り広げている。

 当初イスナはリノを苦手そうにしていたと思ったが、実は意外と馬が合うのかもしれない。


「じゃあ、俺は戻るから後は任せたぞ」

「え? あ、了解でーす。イスナ様、こっちはどうですか?」

「ど、どれ!?」

「このシリーズなんですけどー……」


 出て行こうとする俺に全く気づかないくらい夢中になっているイスナを置いて、そっと部屋から退出する。


 そのまま、いい指導をした後の爽やかな気分を感じながら広場へと戻った。

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