第31話:魔法のお手本

「いいぞ、サン。随分良くなってきたな」

「そうね、流石は貴方の指導だわ」


 サンの身体の使い方は朝練を始めた当初と比べて、見違える程に良くなっている。


 人体の構造や武術に関する理解度が遥かに向上した証拠だ。


「フィーアもいいぞ。その調子だ」

「あの子も顔つきが変わったわね。貴方って本当に素晴らしいわ」


 フィーアは相変わらずよく出来ているとは言い難いが、何をするにしても自信がなくビクビクとしていた様子は少しずつ軽減されつつある。


 朝練の確かな手応えを感じながら、左腕を包み込む温かい体温についてはなるべく意識しないように努める。


「ねぇ、フレイ」


 サンが鍛錬を止めて、訝しげな表情で俺に話しかけてくる。


「どうした?」

「それ……イスナ姉ぇだよね?」


 その怪訝な表情を更に色濃くして、俺の腕に抱きついているイスナを指差す。


 結局、一晩経ってもイスナが元に戻らなかった。


 それが俺にとって喜ばしい出来事なのかは複雑な心境だが、この場にイスナの姿がある光景が実現出来ているのだけは確かだ。


「私以外の何かに見えるのかしら?」


 イスナは俺の腕に抱きつきながら、これまでと変わらない口調で妹に接している。


「見た目はイスナ姉ぇにしか見えないけど……」

「けど?」

「あんなにフレイの事を嫌ってたのに、どうしちゃったの? 何か変な物でも食べたの?」


 同じく俺の事を最初は嫌っていたサンをしてもこの変わり様は流石に異常らしい。


 言葉では言い表しづらい不可解な表情を浮かべている。


「そうね。強いて言うなら真理という名の果実を食べたわね」

「何それ……美味しいの?」

「ええ、この世のものとは思えない程に甘美だったわ……。また……何度でも味わいたい程に……」


 イスナは酔いしれるような声でそう言いながら、自分の首筋にまだ残っている痣を指先で撫でている。


 腕からイスナの僅かな体の震えが伝わってくる。


 一体何を想像しているのかは分からないが、あまり良い予感はしない。


「ふーん……」

「で、でも……イスナ姉さんと先生が仲良くなってくれたのは……い、いい事ですよね?」


 同じく困惑しているフィーアも会話に加わってくる。


 確かに、蛇蝎のごとく俺を嫌っていたあのイスナが素直に何でも聞いてくれるようになった点だけを切り取れば良いことだ。


「いっつもご飯の時に、人間のくせにー人間のくせにーって言ってたのにね」

「……あんまり昔の事を言わないでよね」


 イスナがそう言って、ジトっとした目つきでサンを睨む。


「昔って……ほんの二日前の事じゃん」

「昔は昔よ。それを言うなら、あんただって最初はそうだったでしょ」

「むっ……。それはそうだけど、でもイスナ姉ぇ程じゃなかったし……」

「何よ、その目は……」

「二人共やめろ。喧嘩するな」


 不毛な言い争いは始めた二人を諌める。


 せっかく俺の事を認めてくれたというのに姉妹仲が険悪になってしまったら元も子もない。


「「はーい……」」


 二人の返事が重なる。


「それとイスナ……。そろそろ離れてくれ。これだと何も出来ない」

「えー……」

「えーじゃない」


 少し強めの口調で言うと、イスナは不満げな顔をしながらも俺から離れる。


「それで……お前に少し頼みたい事がある」

「え!? 何!? なになに!?」


 そう告げるとしょんぼりとしていたイスナは一瞬にして元気を取り戻す。


 黒い尻尾を左右にぶんぶんと振りながら、俺の服を手で引っ張るその様はまるで散歩を察した犬のようだ。


「落ち着け……。サンをそろそろ次の段階に進ませようと思ってな」

「え!? 何!? 次の段階って何!?」


 それを聞いたサンもその手を止めて、俺の方へと駆け寄ってくる。


 大きな犬が二匹に増えた。


「お前も落ち着け……。次は体術に魔法も組み合わせていく段階だ」

「えぇ……、魔法やだぁ……」


 魔法という単語を聞いた途端、サンはイスナとは逆に表情を心躍るものから気乗りしないものへと一瞬で変貌させる。


 魔法が苦手という情報は事前に知っていたがそこまでか……。


 エルフという種族は本来魔法が得意な種族のはずだが、サンは例外らしい。


「苦手な事から逃げてたらいつまでも強くなれないぞ」

「うー……」

「それで、私は何をすればいいのかしら?」


 口を尖らせるサンを尻目にイスナが尋ねてくる。


「サンに簡単な魔法の実演をしてもらおうと思ってな」

「実演? それは構わないけど、私より貴方の方が魔法に関しては……」


 あの時の事を思い出しているのか、少し戸惑うような口調でイスナがそう言った。


「いや、単純な実力はともかく俺の魔法は正直自己流でかなり雑だからな。基本的な事を説明するにはお前の魔法の方が綺麗で向いている」


 イスナの魔法は教科書に載せても良いくらいに基本に忠実だ。


「綺麗だなんて……そんな……。えへ、えへへ……。でも貴方がそこまで言うなら……」


 俺に褒められた事がそんなに嬉しいのか、イスナは照れくさそうに両頬に手を当てている。


「じゃあ早速頼む」

「はーい」


 気分の良さそうな返事をして準備を始めるイスナ。


 広場を見渡して、ちょうど良さそうな対象を探す。


「あの木だな。あれに向かって、そうだな……三つ繋いだくらいの魔法を撃ってみてくれ」

「分かったわ」

「あのー……先生? 私も見ていていいですか?」


 イスナに指示を出していると横からフィーアが尋ねてきた。


「ああ、もちろん」


 フィーアに魔法を交えた体術はまだ無理だが、単に魔法の手本として見てもらう分には問題ない。


「なんだか妙に緊張するわね……」


 サンとフィーア、そして俺に見守られながらイスナが魔法の実演を始める。


「昨日の授業で説明した魔法の行使に関する工程を覚えているな?」


 見物している二人に質問すると、フィーアは小さく頷き、サンはわざとらしく視線を逸らす。


「まずは魔素の認識だ。大気中にある魔素の存在を感じるんだ」


 覚えていなさそうなサンの為に、イスナの魔法に合わせて一から説明を始める。


 認識と言っても、目や耳などの感覚器官を使うわけではない。

 強いて言うなら第六感とでも言うべき感覚を使ってそれの存在を認識する。

 最初は難しいが、一度でも出来れば後は意識する必要すらなくなる工程だ。


 この時点ではイスナに外見的な変化は特に無い。


「次に魔素の受容だ。魔素を自分の身体に取り込む」


 感覚的には取り込むというよりも、そこに存在する魔素と器となる自身の身体との境界線を無くすという表現の方が近いかもしれない。

 しかし、いきなり詰め込みすぎると混乱してしまうかもしれないのでここはそういう表現に留める。


 ここでどの程度の魔力を受容出来るかどうかが魔法の規模に関わってくる。

 一度にどれだけを取り込めるかというのは、潜水する際の肺活量に例えるのが近いだろうか。


 この時点でイスナを中心とした魔素の流れ、大気の渦のようなものが出来始める。


「次は一番大事だと言った付与と連結だ。取り込んだ魔素に属性を与え、繋ぎ合わせていく」

「イグニ・サジタ・フーガ」


 イスナが三つの呪言を詠唱すると、突き出した手のひらの前方にそれを示す魔法陣が現れる。


「うぅ~……難しそ~」


 サンがそれを見て苦悶の声を上げている。


 だが期限まではもう二ヶ月と半月程しかない。


 その短期間で今イスナが行使している規模の魔法くらいは覚えてもらう必要がある。


「最後に増幅と放出だ」


 自身の生命力を媒体にして体内で生成した魔力を増幅する。


 この時点でイスナを中心とした大気の流れが最大になり、長く綺麗な深緑色の髪の毛が大きくはためいている。


 直後、完成した魔法が放出される。


 イスナの前方に現れた魔法陣が輝き、そこから炎の矢が一本だけ射出される。


 行使されたのは、あの時見た魔法の簡易版だ。


 射出された炎の矢は目標である木へと向かって一直線に飛翔する。


 そして目標までの距離が10メルトル程まで迫った時――


 木の裏側にある茂みが揺れ、その中から一つの影が木の前方へと躍り出てくる。


「え!?」


 イスナが喫驚の声を上げる。


 ローブに包まれたその小さな影も一瞬遅れて自分に向かって飛翔してきている炎の矢に気がつく。


「フェム!!」


 とっさに脚部に魔素を集めて、木の前で呆然と突っ立っている五女へと向かって駆け出す。


 目標の周辺に生物の気配はなかったはずなのにどうして。

 いや今はそんな事を考えている場合ではない。


 地面を蹴り、全力で駆ける。


 フェムの居る場所までの距離はまだ30メルトルはある。


 矢とフェムの距離はもう5メルトルもない。


 間に合わない。


 最悪の事態が脳裏に浮かぶ。


 その身体へと向かって手を伸ばすが、到底届く距離ではない。


 矢がフェムの目前まで到達する。


 その瞬間――


 魔法の矢が何の前触れもなく、まるで蒸発したように跡形もなく消え去った。

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