彼と彼女の計画 4

 文化祭から一週間ほど過ぎたある日。

 ローゼンベルク侯爵家の当主、グレイブは頭を抱えていた。愛娘であるソフィアに関する、頭の痛い報告が年々増えていることが原因だ。


 事の発端はおよそ六年前。

 専属執事のセドリックが、自分の息子をソフィアの専属執事見習いとして推薦したことだ。


 当時は、六歳の子供に専属執事の仕事を果たせるとは夢にも思っていなかった。冷静沈着なセドリックにも親としての情があったのだな――くらいに思っていた。


 だが、娘にはいつも寂しい思いをさせている。セドリックが推薦するくらいなのだから、最低限の礼儀はわきまえているはずだし、遊び相手くらいにはなるだろう。

 それが、シリルを専属執事見習いとして認めた理由だった。


 だが、それが最初の思い違いだった。

 シリルは年相応に優秀な子供などではなかったのだ。


 六歳で専属執事見習いになってほどなく、彼はメイドが横領している証拠を暴き出した。しかもそのメイドは、裏で愛娘に嫌がらせを行っていたのだという。


 だが、メイドは外面が良く、その所業は誰にも知られていなかった。

 もしも娘の訴えを聞き入れてメイドを解雇したのなら、他の使用人達からは横暴だと、グレイブ自身や娘が批難されていただろうと、セドリックは報告している。


 ゆえに、シリルの目的が娘の敵を排除することだったのは想像に難くない。

 だが、シリルが動いたのは、ソフィアがメイドに嫌がらせを受ける前だ。まるでメイドが娘に嫌がらせをする未来を知っていたかのようだ。

 どう考えても普通の子供とは思えない。


 調査はセドリックの名の下に行われたため、真実を知る者は少ない。

 ソフィアがシリルに相談。それを受けたシリルがセドリックに相談して、セドリックの主導で粛正が行われたと思われている。


 だが、当主であるグレイブは真実を知っている。

 疑問に思って調べれば、恐ろしい速度で様々な知識を身に付けていることが分かる。しかも、他の誰もが知らないような知識まで持ち合わせていた。


 シリルは明らかに異常だった。

 しかも、その異常が娘にまで伝染した。侯爵家の娘としては平凡だったはずのソフィアが、いつの間にか才女へと成長していたのだ。


 人には才能というものがある。それが生まれもって存在するものなのか、成長の過程で身につくものなのかは分からないが、確実に個人差というものはある。

 ゆえに、平凡なはずの娘が、わずかな期間で複数の才能を開花させるなどあり得ない。様々な可能性を検証したが、原因はシリルの教育としか思えなかった。


 だが、それは決して悪いことではない。

 シリルの執事としての才能、教育係としての才能、新しい物を作り出す才能。そのどれを取っても捨てがたい。その恩恵を手放すという選択はあり得なかった。


 だが――その頃から娘は変わり始めた。

 将来の夢はお父さんのお嫁さんと可愛いことを言っていた娘が、将来の夢はシリルのお嫁さんと言うようになったのだ。

 そのときの衝撃は酷く、セドリックを呼び出してやけ酒に付き合わせたほどであった。


 もっとも、父親と結婚するのと同じくらい、執事と結婚するのは非現実的だ。その辺り、シリルは身の程をわきまえていたので、グレイブは特に心配していなかった。


 ――だが、娘が十歳になったころに変化が訪れた。第一王子のパーティーに参加することになったソフィアが、シリルをパートナーに選ぶと言い出したのだ。


 身内以外をパートナーに選ぶと言うことは、婚約者候補だと見做される。ゆえに無理だと説得するが、ソフィアはかたくなにシリルをパートナーにすると譲らない。


 子供の淡い想いならともかく、十歳になって本気で結婚を望んでいるのは問題だ。そう考えたグレイブは、身分違いを理由に諦めなさいと諭した。


 聞き分けの良い子供ならそこで諦めただろう。

 そうでないのなら、納得できないと駄々をこねたかも知れない。


 だが、ソフィアはそのどちらでもなかった。まるでその言葉を待っていたかのように、「では、身分が釣り合えば諦めなくて良いのですね?」と微笑んだのだ。


 誘導されたと感じたのは勘違いではなかった。ソフィアは即座に、シリルを上位貴族にする計画を口にする。その話を聞き終えたグレイブは目眩を覚えた。


 娘が現実の見えていない子供だったから――ではない。いくつもの事態を想定した複数のプランは、実現可能なレベルに練り上がっていたのだ。


 ただ、シリルが貴族になれるかどうかと、シリルを婚約者に選ぶかは別問題。侯爵家の当主であるグレイブが、そのようなすり替えに騙されるはずがなかった。


 けれど、娘の話はそれで終わりではなかった。

 ソフィアは既にシリルから様々な知識を学んでいることを打ち明ける。その中には、他の誰も知らないような、価値の高い情報がいくつもあるという。

 その一つとして示された、紅茶の淹れ方は画期的だった。

 しかも、それらの技術は秘匿していて、ソフィアとシリルしか知らない。だから、自分をどこかに嫁がせる――つまり、情報を流出させることはマイナスだと訴えたのだ。


 戦慄せずにはいられなかった。

 希少性の高い知識。それを持つのは幼い二人だけ。つまり、二人を領地に留めることが出来れば、ローゼンベルク侯爵家にとって大きな利益となる。

 娘はそれを理解した上で、様々な知識を身に付けていたのだ。


 この時点で、稀少な知識を持つ娘を嫁がせるという選択はなくなる。

 入り婿を選ぶのなら、家柄よりも能力の方が重要になってくる。シリルが上位貴族の地位を手に入れれば十分に対象になる。

 侯爵家の当主が、たった十歳の娘に理詰めで説得されてしまったのだ。


 娘に対して甘く接したことは否めないが、それを差し引いても異常。その異常を生み出す二人を一緒にすることが、侯爵家の利に繋がると判断した。

 ゆえに、グレイブは娘の計画に乗ることにした。


 重要なのは、シリルに貴族位を得させること。いくつか方法はあるが、可能な限りシリルの地位をたしかなものにするのが娘のためだ。

 出来るだけ有力な貴族の協力を得て隠し子として公表してもらい、その後でローゼンベルク侯爵家に入り婿として迎えることが理想。


 この時点で、グレイブは娘を当主にする可能性まで考えた。少なくとも、娘やシリルを他領に出すという考えは欠片も持っていなかった。


 だが――ここからが事態は急展開を迎える。

 シリルをパートナーとして出席したパーティーで、娘はお忍びの王子を虜にした。にもかかわらず、娘は王子をほっぽり出してシリルの後を追い掛けた。


 ここで一つ問題が浮かび上がる。

 グレイブは当初、娘がシリルをパートナーに選んだ背景には、シリルの意思があると思っていた。つまり、娘の行動の裏にはシリルがいると思っていたのだ。


 けれど、シリルの行動はどう考えても、王子と娘をくっつけようとしていた。ここに来て、シリルはソフィアの計画をなにも知らないという可能性が浮かび上がる。


 執事として忠実であると思う反面、娘が可愛くないのかと腹立たしい。そして、さきの計画を考えたのが、ソフィア一人だという事実に気付いて戦慄する。


 もはや、娘を他所に嫁がせる訳にはいかない。どんな苦難に見舞われようと、ソフィアとシリルをローゼンベルク侯爵領に留めなければいけない。

 だというのに、娘が活躍すればするほど、ソフィアを嫁にと望む声は増えていく。


 入学試験をトップで合格して学年の主席となった娘は、あっという間に一大派閥を作り上げ、その親たちがいる社交界にまで影響力を伸ばし始める。


 同時に、グレイブが裏で娘の手を引いているという噂が広がっていた。

 シリルが黒幕だと、グレイブが思ったのと同じ理由だろう。娘の異常性を知らなければ無理もない誤解だが、今後のために正す必要がある。


 そんな中で発生した、国王陛下からの呼び出し。

 何事かと戦慄させられたが、報告を読めば仕方のない事情があったことが分かる。根回しもしっかりしているようだし、自分達で解決するようにと指示を出した。


 娘であれば間違いなく自力で解決出来ると確信を持った上で、単独で解決することで、グレイブ黒幕説を一掃しようとした結果である。


 結果、グレイブ黒幕説は隅に追いやられた。

 娘の報告でも丸く収まったと聞いて安心していたのだが……とあるパーティーで国王に会ったときにこう言われた。

 おまえの娘に喧嘩を売られたぞ――と。


 そんなことは聞いていない! と、娘に向かって叫びたい気分だった。なんでも、王子との婚姻をほのめかした王妃に、神々を敵に回してもお断りだと断言したらしい。

 我が娘ながら恐ろしすぎると戦慄したものだ。


 だが、問題はそこではなかった。

 その結果、ソフィアを気に入った王妃が、シリルを養子にしようとしているらしい。


「なにがどうなったらそうなるのか誰か説明してくれ!」


 屋敷に戻ったグレイブは天に向かって叫んだ。

 王妃が暴走するかも知れないから注意しろと国王に警告されたのだが、なにをどう注意すれば良いのかがさっぱりと分からない。

 と言うか、警告するくらいなら、自分で手綱を握っておけと言いたい。

 そんな風に愚痴ったりしたが、それで問題が解決する訳ではない。


 もともと、シリルをどこかの家の養子に出す予定だった。それが王家でも問題はない。問題なのは、王妃がソフィアを気に入っているが故の行動、ということだ。

 つまり王妃の目的はグレイブと同じ、シリルとソフィアを取り込むことだ。彼女はおそらく、ソフィアやシリルの特異性に気付いているのだろう。


 王家の養子になった時点で、シリルは間違いなく戻ってこない。そうなれば、必然的にソフィアはシリルの元に嫁ぐと言い出すだろう。


 ここで、王族に取り込まれるような功績を挙げさせる訳にはいかないが、貴族位を得られるような功績は挙げさせなくてはいけないという矛盾が生じる。


 解決策も皆無ではないが、対策を立てているあいだにも、アルフォース殿下と庶民派の仲を取り持つなどの功績を挙げていく。

 苦肉の策として、シリルにはあまり目立ちすぎるなと忠告した。

 シリルに功績を挙げさせて貴族位を与える。そんな約束を交わしたソフィアに対して裏切り行為とも受け取られかねない一言。

 だが、それは英断だと言わざるを得ない。


 王弟の娘が魔力過給症で死ぬ運命だった。

 それをシリルの知識が救ったのだ。


 その技術は、既に報告を受けて知っていた。知った上で、シリルを名誉貴族に押し上げる功績とするために、グレイブが伏せていた切り札だった。

 だが、その技術が王弟の娘を救った。


 シリルがソフィアに功績を譲らなければ詰んでいた。

 その功績から貴族位、後ろ盾には王妃がなっていただろう。そうなれば当然、ソフィアは喜んでシリルの元へ嫁いでいくに決まっている。

 グレイブの判断は間違いなく英断だった。

 だが――


 ここで少し話は変わるが、グレイブの妻は基本的には温厚な性格だ。けれど、逆鱗に触れると苛烈になり、容赦なく敵を打ちのめそうとする。

 ソフィアは、そんな妻に良く似ているのだ。


 そのソフィアとの約束に反し、シリルに目立つなと忠告した。その選択は必要なことだったと、グレイブはいまでも心から信じている。


 だが、しかし、グレイブはいま、娘に面会を求められている。

 タイミングやその他の情報から考えて、用件は疑いようがない。娘との約束に反して、シリルに目立ちすぎるなと忠告したことがバレたのだ。


 シリルが批難されただけで、王子の前で取り巻きを一蹴して、一族を纏めて破滅へと追いやった。そんな娘が、自分の父の裏切り行為を知った。

 どのような手段に出てくるのか、グレイブには想像も出来ない。


 ――果たして、俺はこの窮地を切り抜けることが出来るのだろうか?


 ノックの音を聞いたグレイブはゴクリと生唾を飲み込んだ。



      ◆◆◆



 文化祭から一週間ほどが過ぎた。

 魔力の放出を自在に使いこなせるようになるまでは数ヶ月を要するが、少しでも放出できるようになれば魔力の飽和で身体がダメージを受けることはなくなる。

 ゆえに、フォルはあっという間に容態を安定させた。翌日には元気になっていて、二日目からは、フォルとアルフォース殿下による、光と闇のエスプレッシーヴォが公演されたほどだ。


 そんな訳で、ソフィアお嬢様と俺が主役の戯曲は幻の公演と呼ばれるようになる。しばらくの間は、どちらの組の公演が良かったかと議論されたようだ。


 平民が王子や侯爵令嬢を差し置いてと噂する者もいたようだが、ソフィアお嬢様やアルフォース殿下が認めていることから、それらの声はすぐに消えていった。

 選民派の勢力が弱まっている証拠だろう。


 そんな訳で、今年の最優秀賞は、生徒会の演じる光と闇のエスプレッシーヴォに決定した。

 トロフィーに刻まれた名前は、フォルが代表。アルフォース殿下、ソフィアお嬢様、アリシアと続いて、俺やイザベラの名前まで載っている。


 分不相応――などとは言わない。これは、ソフィアお嬢様達が貴族としての誇りを失わず、そのうえで平民達に寄り添う姿勢を見せた成長の証だ。

 そこに自分の名前が載っていることを光栄に思う。


 そうして、再び平和な日常を取り戻したかに見えたある日の昼下がり。

 廊下を歩いていると、どこからともなく鼻歌が聞こえてきた。鼻歌自体は滅多に聞くことがないが、その透明感のある声には聞き覚えがある。

 声の方に歩を向けると、足取りの軽いソフィアお嬢様と出くわした。やはり、鼻歌を歌っていたのはソフィアお嬢様だったようだ。

 彼女は鼻歌を止めると、無邪気な笑顔を浮かべた。


「ご機嫌よう、シリル。今日はとても良い天気ですね」

「……外は雨だったはずですが、ソフィアお嬢様はご機嫌ですね」

「交渉が上手くいったのです」

「……交渉、ですか?」


 誰と、なにを交渉したのだろうかと首を傾げる。

 ソフィアお嬢様がここまで浮かれているのは珍しい。ソフィアお嬢様が歩いてきた方にはグレイブ様の執務室があるはずだが……なにかあったのだろうか?


「実は国王陛下の身内が集まるパーティーに招待されたのです」

「それは……おめでとうございます」


 考えられるのは、フォルを救った一件に対する感謝の印だろう。

 フォルシーニア殿下が魔力過給症であることは隠されていた。隠されていた以上、公式にはフォルシーニア殿下は最初から健康だったと言うことになる。

 ゆえに、王族の身内パーティーに招くという形で感謝を示した訳だ。


「招待されたのは、わたくしとシリル。シリルは、わたくしのパートナーとして出席してくださいね。お父様には、もう許可を取ってありますから」


 一瞬なにを言われているか理解できなかった。

 だがすぐに、先ほどお嬢様が口にした交渉による結果だと理解する。


 正直、グレイブ様は俺に目立ちすぎるなと言っていたくらいなので、そのようなことを認めるとは思っていなかった。なにか、心境の変化でもあったのだろうか?

 その辺りは分からないが、グレイブ様の許可が出ているのなら否はない。かしこまりましたと、お嬢様のパートナーとして出席する約束をする。


「ところでシリル。わたくし、あなたに聞きたいことがあるんです。わたくしが女王になるのと、領主になるの、もしくは普通の女の子になるの、どれが良いと思いますか?」


 いきなり過ぎて質問の意図が読み取れない。

 貴族的な言い回し、だろうか?

 たとえば心の有り様。貴族としての振る舞い方。アルフォース殿下の取り巻きを叱りつけたときのお嬢様はまさに女王のようだったが……領主は分からないな。

 普通の女の子というのも良く分からないが、一般的な貴族令嬢のことだろうか?


 それともまさか、そのままの意味で聞いている、とか?

 いや、ソフィアお嬢様が王位の簒奪を考えているとは思えない。もしかして、養子の話でもあったのか? 養子だとしても、王族にはなっても女王にはならないと思うのだが……

 分からないが、答えについては迷う必要がない。


「ソフィアお嬢様がどのような道を選ぼうと、私はどこまででも付いてまいります。ですから、お嬢様の望む道を選んでください」

「ありがとう、シリル。あなたならそう言ってくれると思っていました。今後の選択の参考にさせていただきますね」

「今後の参考……ソフィアお嬢様はなにを企んでいらっしゃるのですか?」


 俺の問い掛けに、ソフィアお嬢様は無邪気な少女のように微笑んで応じる。そうして、艶やかな唇に指先を添え、そこから頬へと指先を滑らせ――


「――イジワルなシリルには内緒です」


 ソフィアお嬢様はイタズラっ子のように微笑んだ。

 

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