13話「ぼやける背中」






   13話「ぼやける背中」





 夕食が終わった後の事。



 「希海。………私、ちょっと出掛けてきていいかな」

 「ん?何処に行くんだ?」

 「………公園。沼の公園だよ」

 「あぁ………邪魔にならなら俺も一緒に行ってもいいか?」

 「うん。もちろん」



 希海は心配だからと言っていた。

 けれど、彼もその場所に行きたいのだろう。希海だって、昔から璃真と近くに居たのだから。


 すっかり夜になった道を2人で歩く。

 彼が何か呪文を唱えていたけれど、言葉を覚え始めたばかりの空澄にはまだ意味はわからない。けれど、それもきっと空澄を悪いものから守るものなのだろうと思った。


 ゆっくりと言葉もなく歩く。けれど、今はそれが心地よかった。



 公園に到着し、沼まで下がる。もうすでに進入禁止の黄色のテープは張られていなかった。


 璃真の白骨の遺体が何処で見つかったのはわならない。けれど、沼の端の方にベンチが置いてあるスペースがあった。ベンチの横に立ち、空澄は沼を見つめた。希海もそれにならい同じように沼へと目を向ける。そして、2人で手を合わせ、目を瞑り祈りを捧げた。


 それは、璃真なのかもしれないし、別の誰かなのかはわからない。けれど、こうしてここに来て冥福を祈らないといけない気がしていた。

 璃真だと信じられない。けれど、もし誰か別の誰かだとしたら、今誰にも気づかれずにいるかもしれないのだ。

 そう思ったら、居てもたってもいられなかったのだ。

 空澄は短い時間だが、心の中で祈った。安らかにお休みください、と。






 「………今さらだけど、ここで助けてくれて、ありがとう。希海」



 沼からの帰り道。

 希海は今更だが、希海にお礼を言った。あの時は何が起こったのかもわからず、そして希海が誰だかもわからなかったので、ちゃんと言葉にできてないと思ったのだ。

 横で歩いていた希海は、「何だ、今さら」と笑っていたけれど、空澄はその後も彼に言葉は伝え続けた。



 「だって、溺れかけて死にそうになって………苦しくて、仕方がなくかったの。そこで呪文を唱えたら、風が自分を包んでて……突然、いろんな事が起こってパニックになってしまってたから。希海が居てくれてとても嬉しかったんだよ」

 「空澄を助けるのが、俺の仕事だから。そんなに気にしなくていい」

 「………うん、ありがとう」



 希海は尚美の使い魔。尚美に命じられて、希海を守る事になったのだ。それは希海から話しを聞いていた。

 そのはずなのに、希海の言葉を聞いて、何故だか胸が痛くなった。



 「璃真の事、好きだった?」

 「どうしたの、急に………」

 「幼馴染みで一緒に住んでたのに付き合ってなかったみたいだから。空澄はあいつの事好きだったのかって思って」



 突然の恋愛話に驚き、空澄は目を大きくしながら、彼を見る。希海は、いつもと変わらない表情で、彼がその質問をしてきた意味はわからなかった。



 「………好きだったのかは、わからないんだ。幼馴染みとして大切だったし、人としても尊敬してた。けど、璃真と恋人になる事は想像したことなかったの。だから、恋愛対象としての好きはなかったのかもしれない。………けど、大切だったのは確かだよ」

 「そうだろうな。あんなにいつも一緒に居て、すごく楽しそうに暮らしたんだからな。………羨ましかったよ」

 「そっか………鴉でもしゃべれたら気づいてあげられたのになー」

 「何だよそれ」



 空澄の言葉に、希海は声を上げて笑った。

 そして、もう1度空澄の顔を覗き込んだ。



 「………空澄は我慢してないか?あんな急な事があったのに、しっかりしすぎてないか心配になる」

 「…………そんな事ないよ……とっても落ち込んでる。……けど、確かに必死に普通通りにしようって思っているかもしれない」



 普段通りに過ごさないと泣いてばかりで、壊れてしまう。そんな気がしていたのだ。それを知らないうちに、自分でコントロールしていたのだろう。

 それに、あの白骨が璃真のものではないと思いたいのだ。

 だからこそ、今はまだ泣けないのかもしれない。



 「璃真が本当に死んでしまったってわかったら………また、泣いちゃうかもしれないな。私、泣き虫だから」

 「知ってる」

 「え………」

 「友達に自分の気持ちを伝えたくても上手く伝わらなくて、昼休みに屋上でこっそり泣いてたのも。恋人に酷いこと言われても我慢して帰り道で一人で泣いたり。璃真が事故に遭って入院した時も寂しくて泣いてた」

 「ど、どうして………」



 知ってるの?、と聞こうとして、空澄はハッとした。彼は鴉の海なのだ。子どもの頃から誰にも言えない事を聞いてもらったり、一人で歩いている時は彼が空から見守っていてくれていた。

 希海は、誰も知らない空澄の本音を知っている唯一の存在なのかもしれない。


 そう思うと少し恥ずかしくなってしまう。

 けれど、彼は空澄をバカにする様子ももなく、ただただ優しく微笑んでいた。



 「空澄がどんな気持ちだったのかとか、どんな事をしてきたのかも知ってる。だから、泣き虫なのも知ってる。………けど、それは頑張ったから泣くんだろう?大切な人がいるから泣いてたんだろ?………泣きたいとき泣かないとダメだぞ」

 「希海………」


 

 彼の言葉がとても優しくて、鼻の奥がツンッとして、瞳も熱くなってしまった。

 今、泣いてしまったら希海にまた「本当に泣き虫だな」と言われてしまう。

 けれど、彼はそんな事は言わなかった。


 空澄の右手を優しく取り、「泣くなら家に帰ってからな」と言うと、手を繋いだままゆっくりと歩き出したのだ。



 夜の景色に紛れてしまう程黒い、彼の背中をジッと見つめる。泣きそうになった目を片方の手で擦り、鼻をすすりながら手を繋いで歩く。

 それは、小さい兄妹が慰められながら歩いているようだなと思い、空澄は苦笑してしまう。


 けれど、希海の「泣き顔を見ないように」というお心遣いと、手から感じられるぬくもりに安心したからか、涙はもう出てこなくなっていたのだった。




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