薄命世代

赤狐

序幕

形骸

 ――踏切の音が聞こえる。

 そっと、線路の先に視線を移した。


 黄と黒の遮断機が、ゆっくりと細長い腕を下ろしている。掠れた二つの赤いランプが交互に点滅し、甲高い警告音を響かせていた。

 僕はその光景を、駅構内に佇みながら、茫漠と眺める。


 足は、白線の外側。

 遮蔽物がなにもないため、冬の寒風が直に吹き付ける。ダッフルコートの襟を、片手で掴んで合わせた。


 周囲に人はいない。

 寂れたこの駅よりも、急行電車が停まる隣の駅の方がよく利用されることは、以前から知っていた。

 これからすることは最低限、人には見られたくないし、この駅を通り過ぎる急行電車でなければ意味がない。


 朝方の空は、足下のコンクリートのように色褪せていた。霞がかった雲に遮られ、白い太陽がさらにその光を失っている。

 退廃的な空を見上げていると、思考が意識の底に沈んでいくのを感じた。


 どうして、こうなってしまったんだろう。


 ダッフルコートのポケットには、黒く煤けた御守りがあった。袋の内側には、家族との写真が織り込まれている。

 両親のことを思うと、申し訳ない気持ちで一杯になった。


 幼い頃から大切に育ててくれた、父と母。

 これからさらに、迷惑をかけることになるだろう。最大の親不孝をしてしまうだろう。

 両親を悲しませてしまうと思うと、胸が塞がるような想いだった。


 駅全体に、汽笛の音が響く。

 音の発信源へと、視線を向けた。

 点灯を繰り返す遮断機のさらに奥から、銀塗の巨体が近づいてきていた。僕との距離を縮めるにつれて、速度を増していく。

 雑音混じりのアナウンスが、もう間もなくだと宣告をする。


 気が付けば、すべてが手遅れだった。

 立ち直る機会さえも、奪われていた。


 轟音が、ホームの先端に差し掛かった。

 車体の側面に引かれた紫のラインも、フロントガラス越しの運転士の顔も、はっきりと見て取れる。

 鋼鉄の死神は、滞りのない死を与えてくれるだろう。


 恨みはあった。でも、晴らそうとは考えなかった。

 確かに救われた、そのわずかなひとときがあったのは事実だから。

 だからこそ、遺書は残さなかった。これが僕にできる、唯一の抵抗だった。


 瞼を閉じて、ゆっくりと冷気を吸った。目を開いて、震える息を吐き出す。 

 そして、眼下に敷かれたレールを見据えた。


 そのまま、一歩を踏み込む。

 なにもない空間に、右足が吸い込まれていく。

 重心を、さらに前へ。自然と体が前傾して、身が引くような寒さを覚えた。

 勢いに任せて、右足をそのまま沈める。全身が倒れ込み、まもなくホームから両足が完全に離れた。


 永遠の跳躍。

 瞬間、世界が静止した。


 ブレーキ音の絶叫も、冬の風の吐息も、すべてが掻き消された。

 視界が魚眼レンズのように歪曲して吹き飛び、雪の白さに染まる。その静謐せいひつさは、網膜から眼球の裏側、脳髄、心の奥底にまで沁み渡る。

 驚くほどまでに冷たくて、清々しい奔流が、全身を纏っていた。


 これで、救われる。

 そんな陳腐な感情は、微塵も湧かなかった。

 死の間際でさえ、この死すらも餌食になるだろうという、失意の虚無感に埋め尽くされていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る