136.理科室の人体模型・裏②(怖さレベル:★★★)

しかし、目下の通信簿、そしてこれからの人生を

天秤にかければ、どっちが優先されるかの結果は明白でした。


「先生! お願いします!!」

「ははっ、そうだろ。じゃ、準備室でな」


あっけなく、オレの意思はこれからの進路へと傾きました。


職員室に行って準備してくる、という先生と別れ、

おれは置き勉で積んでいた宿題と教科書をカバンに押し込め、

先にひとりで理科準備室の方へと向かったんです。




「失礼しまー……あれっ??」


いつものノリで理科室から準備室へ入ろうとすれば、

ガチッ、とノブが回りきらずに引っ掛かりました。


(先生、カギ閉めたままかぁ)


オレは仕方なしに、

理科室の実験机にカバンを置いて座りました。


ぼーっと窓の外を眺めていても手持ちぶさたで、

ゲームでもしようかな、なんて携帯を取り出すと、


「……お?」


ピコッ、とメッセージが入ってきました。


『熱下がったわ』という簡潔なひとことは、

佐々川からのようです。


(ったく……大丈夫かよ、あいつ)


『了解』とひとこと返し、なんの気なしに、


『先生、いつもと変わんねぇわ。昨日のなんだったんだろーな』


と、追加で送りました。


(お、見たな)


すぐに既読がつき、返信がきました。


『わけわかんねぇけど、気持ち悪かったな、昨日の。今日はサッサと帰れよ』


(あー……そのつもりだったんだけどなぁ)


オレはダラーッとつくえの上で両腕を伸ばしながら、


『課題がやべぇんだわ。やってから帰る』

『ためとくからだ、バカ。教室か? 風邪ひくなよ』

『これから準備室で個人レッスンだよ。先生まだきてねぇけど』


順調にやりとりしていたメッセージが、

そこでパタリと途切れました。


既読はついているものの、返事が返ってこないんです。


(あいつ、寝ちまったか? ま、いいか)


液晶の時計を見れば、なんだかんだ十分くらい経っています。


なかなか先生が来ないなぁ、と、

ぼんやりと準備室につづく扉に目を向けたとき。


「……ん、あ?」


プーン、と、妙な臭いが漂ってきました。


例えるなら、しめった土の香りをもっと熟成させたような、

濃くジットリとした、頭が重くなるような臭い。


(なんだ? 実験の残り香かなんかか……?)


とっさに席から立ち上がり、

臭いの元がどこかをキョロキョロと見回して確認します。


理科室内で煙が出ていたり、液体がこぼれている様子はありません。


棚もキチンと施錠されているようだし、

特に臭いのもととなるようなものは見当たらないようでした。


(んん? ……なんか、また濃くなってきた、けど)


この臭気を逃がそうと、鼻をぎゅっと片手で押さえつつ、

窓ガラスを開けて風を取り入れました。


「ふーっ……なんの臭いなんだよ、コレ」


耐え切れないほど臭いわけでもないんですが、

良い匂い、とはとても言えません。


そして、窓際で深呼吸して嗅覚をリセットしているオレの耳に、

ふと、妙な音が届きました。


コト……カタッ……


「……ん?」


なにかくぐもったような、小さな音です。

固いものが小刻みに動いたような、妙な音。


再び理科室内をキョロキョロと見回しましたが、

音の元になりそうなモノは見当たりません。


窓を開けたせいで、入ってきた風が悪さしてる?


そう思ったものの、風もそんなに強くもないし、

見た限りでは転がっている物体もありませんでした。


コト……カタン……


しかし、なにかしらの音はまだ続いています。


(オイオイ……まさか)


思わず、視線がすぅっと理科準備室へと向かいました。


誰もいないはずの、その扉の向こう。

この不思議な音は、もしかしてそこから。


(いやいや……あり得ない、よな?)


妙な臭いに、妙な物音。


こっちの理科室に原因がないとすれば、

考えられる可能性とすれば、そっちしかない。


でも、まさか。

施錠されているはずの準備室に、人?


オレはおっかなびっくり、一歩一歩、

そうっと例の扉の前に近づきました。


(うっわ……クッサ!!)


両手で鼻と口を覆い、思わず眉をしかめました。


あのイヤな臭い――濃い土か泥のような臭いは、

間違いなく、この中から漂ってきていました。


(先生……なんか、変な実験したんじゃないだろうな……)


今日の理科の授業で使ったなにかをそのままにしている、とか。

うっかり調合でも失敗して、ゴミを置き去りにしている、とか。


そう、ありえそうな方向にむりやり考えてみたものの、

オレの脳裏にくっきりと浮かんでいるのは、昨日のおかしな人体模型の姿でした。


まさか、アレが。

いやでも、そんなわけが。


オレは息を止めて、ジリジリと準備室の扉から後ずさっていると。


ギッ、ガチッ


「え……?」


目の前のノブがゆっくりと回り、また、戻りました。


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