133.マクラが合わない話③(怖さレベル:★★☆)

オレは跳びあがって、部屋の電気を点けました。


パチン、と軽快な音とともに、白い光が部屋の中を照らし出します。


明るくなったにも関わらず、熟睡中の古暮は夢の中。


起こそうかと思ったものの、

時計の時刻が深夜一時を指しているのを見て、

オレはそーっと忍び足で、キッチンにある殺虫スプレーをとりに向かいました。


「…………」


1DKの台所から、部屋の中を見回します。


ガサゴソ音はわずかにするものの、

なにかが動いたり、視界を横切ったりする影はありません。


オレは両手に殺虫スプレーを一本ずつ持つと、

ガサゴソ音の音源と思われる、ソファのそばに近づきました。


カーペットの上で眠っていて、

もし顔にでも飛んでこられたらたまりません。


いや、うっかり口でも開けていて、中に入ってきたら――?


オレは自分の悪い想像にブルッと身震いして、

キョロキョロと壁や床、テーブルの上下を探りました。


ガサッ……ゴソッ……


(近い……よな?)


姿は見えずとも、音はしています。

オレは殺虫スプレーを、眠っていたソファの下へと向けました。


ヤツらが入りこむとすれば、やりここが怪しい。


オレはカーペットの上に敷いていた毛布とマクラをテーブルの上に載せて、

ソファの脇にしゃがみこみました。


「よし、これで……ん?」


ガサッ……ガサッ……


身をかがめてソファの下へ殺虫スプレーを向けたとき、

なんだか、妙な違和感を覚えました。


ゴソッ……ガサッ……


まだ、物音は続いています。

でも、なんだか、おかしい。


オレはスプレーを構えつつ考え込み、

「あっ」と気づきました。


(音が小さくてわかりにくいけど……これ、後ろから音がしてねぇか?)


ガサッ……ゴソッ……


小さな生き物が狭いところをゴソゴソと這うような、

やけに耳につく、その不快な音。


それは、目の前のソファの下――ではなく、

オレの真後ろ。それも、ものすごく近くから聞こえたんです。


「……は?」


しゃがみこんだオレの、すぐ後ろ。


そこには、床があり、カーペットがあり、

少し奥へ押しやられたテーブルがあります。


そして、その上には、たった今移動させたばかりの、

毛布とマクラが――。


「う、わッ」


オレはとっさに、殺虫スプレーを

毛布とマクラに向かってプシューッと噴射しました。


だって、虫が!!

オレが使っていた毛布にくっついていたかも、なんて!


オレはものすごく念入りに、何度も何度も、

毛布に向かってスプレーを激射し続けました。


数分間もかけ続ければ、スプレーの中身はあっという間に空になり、

プスッ、とマヌケな音とともにスプレーのハンドルが動かなくなりました。


「ハァ……ここまですりゃあ、大丈夫だろ……」


使っていた寝具に『アレ』がいた、

という不快感は残っていたものの、

気づけばあのガサゴソ音もすっかり止んでいます。


ただ、そのせいで部屋の中に殺虫スプレーの臭いが充満し始めてしまいました。


オレは鼻をつまみつつ、例の虫の死骸を片付けようと、

毛布を二本の指でつまみ、ぱたぱたと振りました。


「……あれ?」


しかし、テーブルの上にはなにも落ちてきません。

何度もパタパタと念入りに振っても、なにもなし。


「逃げられたか……?」


アレだけの勢いで噴射していたし、電気もバッチリつけていたから、

とびだしていったら気づきそうなものです。


オレは眉をひそめつつ、毛布をソファの上に放りだして、

キョロキョロと周囲を見回しました。


――すると、その時。


ガサッ……ゴソッ……


再び、あの音がしました。


ごそごそ、もぞもぞと不快な音。

その音のする方を探って――オレは、ゾッと血の気が引きました。


だって、音は。

音は――まだテーブルに置いたままの、例のマクラからしたんです。


「オイ……ウソだろ……」


オレの脳内に、イヤな想像が浮かびました。


もしかして。


今まで虫の音だと思っていたコレは、

怪奇現象、つまり幽霊とかお化けの類じゃないか、と。


だって、こんなに殺虫スプレーをバカバカ噴射されて、

まだ生きている虫がいるでしょうか。


例えば、髪の毛とか。

人間の指だとか、そういうモノなんじゃないか。


このマクラ、古暮が不用品を譲ってもらったと言っていたけれど、

もしかして、なにかいわくつきのシロモノだったんじゃないか。


それを、引っ越すからいらないと、体よく押し付けられたんじゃないか――。


オレは金縛りにでもあったかのように、その場で棒立ちになりました。


幽霊、お化け、バケモノ。


想像していなかった事態に、オレはブルブルと唇を震わせました。


一度怖い、と思ってしまうと、

ぼんやりと白い蛍光灯が照らすこの部屋自体が、

なんだか不気味に感じてきます。


――オレだけが、起きている。真夜中に、ひとりで。

両手にからっぽのスプレーをもって、ガサゴソ音のするマクラを背後に。


オレは、おそるおそる、振り返りました。


そこには、さっきとなにも変わらず、マクラが置かれています。


いや、違う。

マクラは、ほんのわずかに、右、左、と震えていました。


ガサッ……ゴソッ……


小さな、小さな音を立てながら、右に左に、と。


「……っ!?」


一瞬。ほんの一瞬。


蛍光灯の白い光と、枕と黄色い生地の間。


その細いスキマから、黒い、ものすごく細くて黒いなにかが、

ニュッ、と突き出してきた、ような――。

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