130.お経のサウンドロップ③(怖さレベル:★★☆)

(……終わった)


おれは、あーあ、ともはやあきらめの気持ちで、

つぶっていた目を開いて、カーテンのすき間から外の様子を伺いました。


「お前、それ……」

「これ、やっぱそうだよな……?」


二人は、小さな物体を手に持って、

なにやらヒソヒソと声を潜めています。


ついに、サウンドロップが見つかってしまった。

タコ糸もついていることだし、イタズラとバレてしまうだろう。


おれはググっと奥歯をかみしめて、

勢いのまま、窓を閉めてしまおうとした、その時でした。


「これ、さ……数珠、だよな……?」


そういって、男子学生が震える声を上げたのは。


おれは、カーテンのすき間からそっと外の様子を伺いました。


自販機の明かりのわずかに届く場所で、

学生が、指先でつまむようになにかを持っています。


それは、うっすらと光を反射する、黒いガラス玉でした。


(え……??)


あんなもの、この辺に落ちていたか?


おれは、自分の存在に気づかれるかも、という恐怖を忘れ、

前のめりになって、彼らの持つ数珠に見入りました。


おぼろげな自販機の光に照らされたそれは、

今が遅い時間ということも相まって、

非常にまがまがしく、怪しく輝いているようにも見えます。


「おーい、なんか見つけたのか?」


と、残っていた他の学生たちも、

わらわらと二人のところへやってきました。


「うっわ、なにそれ、数珠?」

「気持ち悪……っ! さっきのお経、もしかしてそれ……??」


しかし、他の学生たちも、さすがに不気味に感じたようで、

男子学生のそばからザザッと離れました。


「オイ、そんなもん、どっか放っとけよ」

「あ、ああ……そうだな」


学生の誰かに言われて、見つけた男子学生は、

黒い数珠をポンッと地面に放り捨てました。


すると、その瞬間です。


『……観自在菩薩(かんじざいぼさつ)……行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)……』


あの、お経の声が流れ始めたんです。


『……照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)……』


サウンドロップのあの電子っぽい、

ノイズ混じりで聞き取りにくい、読経の声。


ボタンは押していない。

タコ糸だってちぎれてしまっている。


誰も。

誰も、あのサウンドロップに触れてはいないはずなのに――。


「おいっ、やっぱり、さっきの数珠って……」

「や、やべぇよここ……に、逃げろ!!」


学生たちは、繰り返されるお経の声に完全にビビッてしまい、

残っていたメンバーも全員、ウサギのように素早く逃亡していきました。


――シン


音は消え、学生たちもいなくなり、

自販機の前は、なんの物音もなくなりました。


夜の沈黙に支配される空間に、

おれは恐る恐る、緊張しきった体の力を抜きました。


(……た、助かった?)


おれのサウンドロップのイタズラは、バレずに済みました。


それだけ考えれば、非常に御の字。

思っていた以上に、いい結果になりました。


(でも、さっきの数珠とか……勝手に音が鳴ったのは気になるけど……)


半開きになっている窓から、チラチラと外を眺めました。


あの読経の声は、あまりにもタイミングが良すぎです。


でも、外には学生たち以外に誰もいなかったはず。

きっと、なにかのキッカケで誤作動した。ただ、それだけのことなのでしょう。


(……アレ、取りに行った方がいいんだろうけど)


切れたタコ糸の先を眺めて、

おれは窓の下からソロソロと部屋の中心の方へ戻りました。


別に、急いで取りに行く必要はない。

今のところ、雨が降る予報もないし。


もう後は眠るだけ。


わざわざ、外に出て草むらをかき分ける、

なんて真夜中にするもんじゃない。


そう、自分に何度も言い聞かせました。


でも、オレの頭の片隅には、

あの男子学生たちが見つけてしまった数珠の影がチラつきます。








アパートの外に、数珠。

もしかして、なにかの呪いのアイテム?


だとしたら、それを放置しておくのはよくないんじゃないか、と。


おれが、どうするべきかうんうん悩んでいる、と。


ヒュッーーコツンッ


「……痛ッ」


おれの腕に、なにか固いものがぶつかってきたんです。


「痛ってぇ、なんだよ一体……え?」


まさか、開けっ放しの窓から、虫でも飛び込んできたか?


おれはぶつかった箇所をさすりつつ、

なにかが落ちた床に視線を向けました。


「……は、あ……?」


サウンドロップ。

それは、あの、サウンドロップだったんです。


「……な、なん、で……?」


誰も。

誰も、もう、外にはいないのに。


おれが身動きできずに硬直していると、


『……観自在菩薩(かんじざいぼさつ)……』


ひとりでに、また、読経が始まったんです。


スイッチなんて押していないのに。

人の気配なんて、ないのに。


『……行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)……照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)……』


音は、止まりません。

普段だったら、ワンフレーズなってそのまま終了。


そこで終わり。

ボタンを押さないと、流れないはずなのに。


『……観自在菩薩(かんじざいぼさつ)……行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)……』


そして、そこから夜が明けるまで。


電池が終わり、かすれた音が完全にしなくなるまでの数時間、

おれの部屋の中で、えんえんとお経は流れ続けたのです。





……え? そのサウンドロップはどうしたのかって?

速攻、翌日捨てましたよ。


家にもおいてきたくなかったし、

ちょうど翌日ゴミ出しだってんで、即、ね。


まぁ……もしかして、あの時みたいに戻ってくるんじゃないか、

ってちょっと考えもしたんですけど。


幸い、あれ以来窓から投げ込まれるなんてこともありません。

きっと、無事に焼却処分されてくれたんでしょう。


ああ、学生たちの方はどうなったか、ですか?


なんでも、あの一件がずいぶん効いたみたいで、

自販機前でたむろすることはなくなったようですよ。


え? ああ、なんで伝聞っぽい言い方かというと、

実はおれ……あのアパートから、引っ越したんですよ、すぐ。


そりゃあ、朝方までずーっと読経を聞き続けた記憶がよみがえって、

あの部屋で暮らし続けてると、

ノイローゼでおかしくなりそうだった、ってのがひとつ。


もう一つは……ええ、実はおれ、見ちまったんですよ。

おれの部屋に、あの夜、サウンドロップがぶつかってきたとき。


おれがぶつけた腕をおさえて、

落ちたサウンドロップを見つける直前、

カーテンの向こう側に、サッと消えていく影があったのを。


一本の、白い腕。

それも、坊主の袈裟をまとった、ごつごつとした男の腕でした。


ほんの一瞬だったけど、あれは絶対に見間違いじゃありません。


だって、あのサウンドロップの読経に混じって、

まったく違う、誰か別の男の声も、聞こえてきたんですから。


……あんなもんが近くにいるアパートなんて、

もう、おれは暮らしていくことなんてできませんね。


長い話を聞いてくださって、ありがとうございました。

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