123.井戸の怪異③(怖さレベル:★★☆)


もう一度、もう一度見てみようか。

そっと布団の端を掴んで、外の様子を伺おうとしました。


このままなんの確認もしないままでは、

とても再び眠ることなどできませんから。


深呼吸し、わずかに震えの収まった指先で、そうっと布団の端を持ち上げ――


(……ん?)


暗い。室内が真っ暗です。

常夜灯の、ほのかな明かりすらありません。


(どっ……どう、して)


停電? それにしては、やけに静かです。


……シュルッ


目の前の暗闇が、わずかに動きました。


「……え?」


シュッ……ズルッ……ズッ


もぞもぞと。

布団の隙間からの黒い室内が、ズルズルと脈動しています。


まるで、のたうちまわる蛇の表皮――

いや、しっとりと濡れた髪の毛、そのもの。


「……ぃっ!?」


俺は理解できぬまでも、

すぐに隙間を閉じようとしましたが、それよりも早く。


ズルッ、と太い髪の毛が、その隙間から差し込んで――

手首に、ぐるりと巻き付いてきました。


「っわ……わわわぁっ……」


声を殺すことも忘れ、必死に腕から振りほどこうとするものの、しっかり巻き付いたそれは、ぎりぎりと手首を締めあげてきます。


(ウソだろ……っ!?)


暗闇のなか、ずっと息を殺していたのでしょうか。獲物が、しびれを切らして様子を伺うのを待っていたのでしょうか。濡れた冷たい毛髪の感触が、ただただおぞましく染みてきます。


(ありえねぇ……俺、なにもしてねぇんだぞ!!)


恐怖が、一周回って怒りに変わっていきます。

手首にはすでにいくつもの血の筋が流れ、巻き付く量を増していました。


(クソッ……こんなワケわかんねぇもんに殺されてたまるか……っ!!)


俺は痛みと恐怖、そしてこらえようもない怒りで半狂乱に陥り、


「こんの……っ!!」


ブチブチブチッ、と手首に巻き付いた毛髪を引きちぎりました。

その瞬間、


ギョアッ


と、喉のつぶれたヒキガエルのような声とともに、


ズッ……ズズズズズッ


それはまるでひるんだかのように布団の中から逃げ去っていき、


ズルッ……ズズズッ……


濡れた音を響かせ、そのまま消えて行ってしまいました。


(……勝った、のか?)


ちぎった指先には、細い傷跡がいくつも糸のように残り、

絡みつかれた手首はしびれ、未だに感覚がありません。


しかし、あれを退散させた安堵感から、

俺はへなへなと布団に沈みました。


(もう……もう、勘弁してくれ……)


心も体もヘロヘロになった自分は、

そのままいつの間にか、気を失うように眠りに落ちていました。




翌日。


「……朝、か?」


いつもの起床時間に、パチリと目を覚ましました。


(手……あ、あの痕、残ってる……)


手首と指先のどちらにも生々しい傷跡がくっきりと残っており、

昨夜のことが現実だと知らせています。


(あ……あいつらは)


同期と例の三人はというと、いつの間に戻ってきたのやら、

四人の布団はこんもりと丸まっています。


(なんだよ……俺だけか? あんな思いしたの)


なんの落ち度もないというのに怪奇現象にあい、

俺は少々イラっとして、未だ布団にもぐったままの新人三人のうち、

一つの布団をガバッとはがしました。


「オイ、お前ら、もう朝……」


びちゃっ。


濡れた音とともに、めくった先にあったのは人ではなく――

しどどに濡れた、大量の髪の毛の束。


「ぎゃぁぁああ!!」


俺は悲鳴を上げ、その場に腰を抜かしてしまいました。


「……なんだよぉ、お前。朝っぱらから勘弁……うわっ」


と、寝ていたらしい同期がむくりと起き上がり、

俺とその布団の惨状を見て目を向いています。


「オイッ! なに騒いでるんだっ!!」


俺の悲鳴につられてか、

指導員たちがどやどやと部屋へ入ってきました。


「うわっ……なんだこれ」

「気持ち悪……っ」


と、怒鳴りこんできた彼らですら、

その布団の上の異物を見て言葉を失っています。


他の二名の布団を指導員たちがめくれば、

そちらも同様に、中にみっちりと黒い髪の毛が詰まっていました。


「おい……あいつら三人は……?」

「そういえば……」


その上、新人三人の姿が見えません。俺が慌てて、

昨夜肝試しに出ると言っていた旨を伝えると、

彼らは血相を変えて探しに行きました。


あの焦りっぷり……ただ新人が行方不明になった以上の、

なんらかの恐怖が見えました。


そして……結局彼ら三人はあの封鎖された古井戸の近くで、

仲良く気を失っているのが発見されたようです。


俺と同期は先に帰され、また聞きの話なってしまうのですが、

彼ら三人はひどく憔悴していて、事情を聞いても支離滅裂で要領を得なかったようです。


結局、せっかく合宿を耐え抜いたというのに、

そのうち二人は退職し、その後の行方はしれません。


唯一残った一人も、その日のことを尋ねても固く口を閉ざし、

話してくれませんでしたが――ようやく、あれから数年たった今、

その全容を語ってくれたのです。


ええ……俺の後に……いや、その前にまず、あの日、

トイレに出て行った、同期からの話があるようです。


引き続き、ぜひお聞きください。

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