123.井戸の怪異①(怖さレベル:★★☆)
『30代男性・瀧本さん(仮)』
怖い話の定番といえば、忘れてはならないものがありますよね。
水にかかわっていて、薄暗く、冷たい石造り。
今は使われている場所はそうみかけない、
かつて一世を風靡した大ヒット作にも登場した、あれ。
ええ……井戸、ですよ、井戸。
今の若い世代じゃ、実物を見たこともない、
なんて人はザラにいるんじゃないでしょうか。
かく言う俺だって、ずーっと小さい頃から都会生活で、
井戸なんて一昔のモン、くらいの認識しかありませんでした。
そりゃあ、ホラーの定番としてテレビで見たり、
なにかの教科書で存在くらいは知っていましたけど。
しかしまぁ、何の巡り合わせやら、
いい歳になってからソイツに巡りあうなんて、思ってもいませんでしたよ。
あれは丁度転職したての頃でした。
新しく入った会社は、いわゆるワンマン経営の中小企業で、
そういうところにありがちな入社直後のスパルタ塾、
みたいなモンがあったんです。
あの頃は、今よりそういうモノに厳しくなくて、
パワハラ・モラハラ当たり前、みたいな研修、
ザラにあったんですよね。
同時期に入社した中途の同期一人と、
新入社員六名を含めた八人で、
山の方の合宿所を借りての研修が行われることになりました。
その施設はゆうに築六十年は超えているだろうとわかるほど、
かなり古ぼけていました。
壁にはあちこちに枯れた薄茶のツタがからみ、
トイレは屋外にしかないうえ、水流でない汲み取り式……
いわゆる、ボットン便所。
学生時代、帰宅部かつスパルタ教育を受けてきた覚えもない俺にとっては、
正直、この時点でものすごくイヤでイヤでたまりませんでした。
しかし、転職活動に苦心して、ようやく入社にこぎつけたのに、
研修がイヤだからといってすぐに辞めるわけにもいきません。
結局当日までぐだぐだ悩んだものの、
なんとか気持ちを奮い立たせ、その合宿所に足を踏み入れました。
「……しんどい」
一日目を終えて部屋に戻り、全身疲労に苛まれて、
おれは畳の上に大の字に寝転がりました。
先輩方からもキツイキツイとは聞いていたものの、
仏道で行う座禅から始まり、社訓の唱和暗記の繰り返し。
山中を走り回る特訓など、肉体的にも精神的にも予想以上の苦しみで、
他の四人も布団を引く前からそれぞれ畳の上に転がっています。
寝室は、とうぜん個室ではなく大広間での雑魚寝スタイル。
しばらく一休みした俺が、
さっさと寝ようと布団を敷き始めようと立ち上がった時、
丁度、開きっぱなしの窓に視線が向きました。
「……あれ?」
うす暗い、室内からの明かりがギリギリ届くか届かないかという位置に、
石造りの大きな置物が見えたのです。
「どした?」
同じ転職組の同期が、
俺の反応を気にして視線の先を覗きました。
「お……あれ、古井戸じゃないか」
「ふる…井戸?」
よくよく見てみれば、確かに造りは円柱型で、う
っすら灰色がかっています。
しかし、その上には木の板らしきもので覆われており、
今は使用されていないようでした。
「えっ、なんですか!? 井戸!?」
と、俺たちの後ろから、
若い新卒三人がワラワラと集ってきます。
「今は使われてなさそうだけどね」
同期が気をきかせて少し後ろにズレて、
彼らに窓の前を譲りました。
「えっ、お、俺、井戸って初めて見ました!」
「マジかよお前。うち、ジイちゃん家にあったわ」
などと、さっきまでの疲労困憊姿はいったいなんだったのかと思えるほど
元気な彼らに苦笑いしつつ、俺と同期の二人は布団を敷き始めました。
しかし、彼らは疲れて逆にテンションが上がってしまったのか、
井戸を前にまだギャアギャアとはしゃいでいます。
「ほらほら、早く寝とかねぇと、明日もキツいぞ」
と俺が声をかけてようやく、彼らも自分たちの布団にとりかかる始末。
普段の就寝時間に比べればかなり早い時刻ではありましたが、
俺はそのまま、すっかり朝まで眠りこけてしまいました。
「……あ~しんどかった」
それから、四日間が経過しました。
いくらまだ若いとはいえ、
肉体的にも精神的にも追い込まれる研修は地獄そのもの。
当初の絶対に根を上げるものかという誓いはすでにグラついて、
崩壊寸前まできていました。
八人いたメンバーのうち、三人の新卒は耐え切れずに去ってしまって、
残ったのは転職組の自分と同期、そして井戸で盛り上がっていた三人の新人だけ。
幸いなのは、その地獄の研修が今日でようやく終わりなこと。
明日には自宅に戻ってゆっくり休める。
そう思うと、あれほど苦しかった研修も妙な達成感が残ります。
「長かったなぁ~……一生で一番長い五日間だったわ」
同期も、敷かれた布団の上で両手両足をのばして大の字になっています。
「これに耐えられたんだから、これからなんにでも持ちこたえられるなぁ」
「いや~……むしろ問題はこれからじゃねぇかなぁ」
と、転職組の二人でごろごろと互いをねぎらっていると、
「……よし! じゃ、最終日を記念して、合宿所の肝試しでも行きましょうか!」
と、不意に新人たちがそんなことを言い出しました。
「き、肝試しって……まだ、指導員がるはずだぞ?」
さんざんしごき倒さした悪魔たちも、
今日一日、別室で休んでいるはずです。
ウロウロと夜中探索しているところを見つかりでもしたら……
想像するだけで恐ろしい。
「えっ、ビビってるんですか!?
それこそバレないようにこっそり行くんでしょう!」
三人のうちの一人にあざけるように笑われて、内心イラっと思いつつ、
「この五日間の疲れがたまってるだろ?
明日帰ってゆっくりするためにも、早く寝た方がいいんじゃないか」
「小学生じゃあるまいし。こんな田舎に来られるなんてまずないですよ」
そうまで言われてしまえば、年上という立場上、
引き下がるわけにもいきません。
俺が売り言葉に買い言葉で、彼らにのっかろうとした時、
「それこそ小学生じゃあるまいし、肝試しなんてやめとけって。
せっかくの内定が取り消されてもしらねぇぞ」
と、こちらの肩をおさえつつ、
同期がたしなめるように声をかけてきました。
「……ヘッ」
三人は気分を害したように舌打ちすると、
敷いた布団そのままに部屋を出て行ってしまいました。
「……悪いな」
「いや……根性があり過ぎるってのも考えモンだな」
俺が誤ると、同期は苦笑しつつポン、とねぎらうように背を叩きました。
「せっかく今日まで無事にすごせたんだ。
俺たちはちゃんと止めようとしたんだし、もう放っとこーぜ」
「……そーだな」
あきれ果てている彼の言葉に頷いて、
俺たちは静かに床につきました。
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