115.夏休みのプール④(怖さレベル:★☆☆)

――子どもが、足をつかんでいる?


かけらも霊感がない自分には、

ぼんやりとすら、その姿を見ることができません。


しかし「そういうモノに気に入られる」とはどういうことなのか、

いくら心霊現象にうといとはいえ、見当はつきます。


(つっ……つれて、いかれる……?)


左足は、いまだぴったりと床にくっついたまま。


波が来ているのは足首ほどまでですが、

もしも、ある程度の深さの場所で、こうなってしまったら――?


ゾッと身を固めて、小さく呻きました。


(私はなにもしてあげられないの……だから、足をはなして……!!)


お祓いも、念仏だって唱えられない。

かわいそうだとは思うけれど、できることなんてなにもありません。


私がギュッと左足を握りつつ、必死に祈っていると、


「だれか、だれか……っ!!」

「救急車!! すぐ連絡を!!」


にわかに、波のプールの奥の方がさわがしくなってきました。


「オイオイ、なにがあったんだよ……」

「なんか、だれかが溺れたって……」

「女の子らしいぞ。今、監視員が引き上げてる……」


ザワザワと、切羽つまったざわめきが聞こえてきます。

なんというタイミングかと、私はさわぎの方へと目を向けました。


大勢の人たちが、慌てふためきながら陸上へと上がってきます。


館内放送がわんわんと鳴り響いて、プール内にいる人たちに、

陸へと上がるようにうながしていました。


(どっ……どうしよう)


浅瀬とはいえ、プールのなかで動けない状態。


館内放送はえんえんと同じ内容をくり返していて、

焦りばかりがつのっていきます。


「くっ……あれ?」


途方にくれた私が、なかばむりやり足をもちあげようとすると、

さっきまでの抵抗がウソのように、ぐわんと動きました。


勢いあまって転びそうになりながら、慌てて人のいる丘へと上がります。


(なんだったんだろう……?)


なんどか足を上下させたり、歩いてみたりしましたが、なにも問題ありません。

とりあえず状況を把握しようと、キョロキョロとあたりを見回しました。


わらわらと人が集まる陸上で、みんな、

一心に波のプールのほうを凝視しています。


係り員らしき数人が、バタバタと人らしき物体をもちあげて、

陸のほうへと連れてきました。


「……ん?」


その、青白い顔。


水に濡れていても、目を閉じていても、

どこか見覚えのある、その顔。そして、水着。


「ウソ……まさか」


生気を失ったその溺れた人物は、

見間違えようもなく、私の友だち本人だったのです。




それからがまた、大変でした。


現場で係り員が救命措置をするさなか、

私はその場につきそって、彼女の蘇生を祈りつづけました。


友だちの顔はいっそ青黒く、

変色したくちびるは、息をはきだしません。


もう、ダメかもしれない。

そんな考えすら浮かびました。


(おねがい……助かって……!)


AEDを使用するため、距離をとって見守る私の眼前。


よこたわる友だちと係り員の間に――

一瞬、光のまたたきのような白い影がよこぎりました。


(まさか……)


白い、子ども?


かつてプールでおぼれ死んだという、

友だちも話をしていた、怪談の主。


レストランでも目撃され、私の足をつかみつづけていた――。


(……ダメ!!)


白い影が、ふと彼女の顔をのぞきこむように動いたのを見て、

私がとっさに静止しようと口を開いた瞬間。


「……ガッ! ガボッ、ゴホッ!!」


彼女の口から、ふきだすように水がこぼれました。


「息を吹きかえしたぞ!!」

「救急車は、救急車はまだか!?」


係り員たちが、なおも咳き込友だちを介抱するさなか、

私は安堵と脱力で、しばらくその場から動くこともできませんでした。


その後――病院に搬送された彼女は、

全身を精密検査にかけられましたが、無事に「異常なし」と診断されました。


そうして白いベッドに横たわらされた彼女は、

すっかり良くなった顔色で、こんなことを言っていました。


「いやぁ……あん時、マジでやばかったよね。なんか、急にピーン! って

 足がつっちゃって……あそこ、けっこう水深あったでしょ? 焦っちゃってさぁ」

「浮き輪つけてたじゃん。どうして手を離しちゃったの?」

「いやー……ちっちゃい女の子が目の前にパッと現れてさ。

 貸して貸して! っていうから渡したら、そのままいなくなっちゃって。

 それで仕方なく浅瀬に戻ろうと思ったら……足がつっちゃって」


あーあ、とため息をはきだした彼女の言葉のなかに、

聞き捨てならない単語を拾いました。


「女の子……女の子が、いたの?」

「そそ。五才くらいだったかな? 赤い水着着て、かわいい子。

 まさか、あんな深いトコに入ってきちゃうなんてねぇ」

「……赤い、水着」


思い当たる、子どもが一人。

赤い帽子、赤い水着を着た、三つ編みおさげの女の子。


私にも声をかけてきた、かわいらしい子ども。

「遊んでもらおうとおもった」のに、と残念そうだった彼女は、あの後ドコへ行った――?


「で、沈んだらぜんぜん手足が動かせなくってさぁ……

 プールのゴーっていう音に気が遠くなって、気づいたら陸の上だった、ってワケ」


そう言って、苦笑いを浮かべる友だちの横で、

私はなんともいえない思いに苛まれていました。


その後、彼女はなにごともなく回復し、

今では元気に社会人をやっています。

反動として、水につかるのは苦手になってしまったようですが……。


今になって、あの体験を思い出しても……考えることがあるんです。


私の足をつかんで離さなかった白いなにか。

あれは悪霊なんかではなく、

私を助けようとしてくれた存在だったのではないか、と。


私に話しかけてきた、赤い子ども。

あの、いっけん無邪気で人好きのする、かわいらしい女の子。


あの少女こそが、かわいい皮をかぶった、

プールに居つく恐ろしい幽霊だったのではないか、と。


例のプールはいまだ、ときどき紙面をにぎわせつつも、

つぶれることなく、たしかに存在しています。

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