108.古いカラオケボックス③(怖さレベル:★☆☆)

「どっ……どうしたんですか、先輩」


オレのやりとりをみていた皆は、

歌うのもやめて、こちらを凝視しています。


「いや……ハハ、悪い。むこうがなかなか謝んないもんだから、白熱しちゃってさ……」


と、言い訳混じりに受話器を戻した時、

ふと、部屋のドアのすりガラスに、目が吸いよせられました。


「……ん?」


なにか。

黒い、影のようなものが――。


「ダメ!!」


グイッ、とそでを引かれ、視線が逸れました。


「い、五十嵐さん?」


腕を引いたのは、彼女でした。

唇をブルブルとわななかせ、足元に視線を落とし、必死に首をふっています。


そでを握った指先は白く力がこめられ、顔色もまっ青で、あきらかに異常でした。


「ど、どうかした?」

「ダメ。やばい、ここ……もう、出よう? もう……もう、十分でしょ?」


彼女はブンブンと左右に首をふり乱し、オレたちに訴えかけてきました。


「ね? なんかおかしいよ、ここ。もう帰ろ?」


体を小刻みに震わせて、ギュッとそでを握った彼女の表情。


眉をよせて口をへの字に結び、下唇を噛みしめた鬼気迫る姿に、

後輩たちは不安そうに互いの顔を見合わせています。


古びたビル。無愛想な受付。

意外にキレイなボックス内。水だけが入ったジョッキ。

そして、つい先ほどの電話応対。


決め手となるほどの強烈な恐怖はないものの、

そこはかとない薄気味の悪さが、ジットリと重くのしかかってきました。


「そ、そうだな。ムリして長居することもないし……帰るか」


オレがそう提案すると、皆があからさまにホッとした安堵の空気を放ちました。


「そ、そうですねー。帰りましょ」

「サービス悪いし、ハズレだったってことで」

「こういうことも、まぁありますよね」


後輩たちが思い思いの感想を語るのに苦笑いしつつ、

ジョッキや皿はそのままに、オレは清算バインダーを手にして、

そっとドアを押し開けました。


(誰も……いない)


電話の台詞がふと頭に思い浮かんだものの、

廊下にはなんの人影もありません。


いまだ他の個室は空っぽらしく、薄く開けられたドアの数々が、

どこか不気味に暗い部屋を見せつけていました。


「エレベーター、ダメなんだよな? さっさと下りるか」


オレはフッと息をはきだしながら、そのまま階段へと向かいました。


「あー……なんか、疲れちゃいましたね」

「……ん~」

「はぁ、眠い……」


酔いもさめたか、すっかり口数の減ったメンバーをひきつれ、

そのまま一階のフロントへとたどり着きました。


受付は、さきほどのおさげの女子高生ではなく、

大学生くらいの若い男性に変わっていました。


まぶたを覆うように伸びた前髪の隙間から見える目は、

まるでカメレオンのようにキョロキョロとせわしなく動いていて、

カウンターに近づこうとした足が、一瞬止まりました。


(……気色悪いヤツらばっかりだな)


オレは失礼な感想を浮かべつつ、愛想笑いを浮かべてバインダーを差しだしました。


「あの、清算したいんだけど」


陰鬱そうに眉をひそめた男は、無言でそれをうけとり、

眼球をギョロリと動かして、ゆっくりと上から下までこちらを眺めまわした後、


「六千円です」


と、一言だけ言い放ちました。


(……キッカリ金はとるんだな)


水しか出さなかったくせに、と思わず文句を言おうと口を開けると、


「ん?」


その陰気な男の背後。

キッチンブースにつながるのれんが、ふんわりと揺れました。


そして、目隠しとなっているその布の裏に、なにか、黒い――。


「ほらっ、行くよ!!」


グイッ、とふたたび五十嵐さんに腕をひっぱられ、視界がブレました。


「いやだって、あの水のこと……」

「もういいでしょ!!」


食い下がった途端、ピシャリとつめたく切り捨てられます。


失笑する後輩たちに軽く睨みをいれつつ、

しぶしぶ金を支払って、カラオケ店を後にしました。


後ろでドアが閉まり、冷えた夜気に体を冷やされると、

なぜだかドッと疲れが押しよせてきました。


「なんか……すげぇダルいわ」

「あー、オレもですよ。慣れないトコ来たからですかね」


高田も足を引きずるようにして、ため息をはきだしています。


見回すと、全員が全員、ひどい表情をしていました。


顔が青白いやつ、眉をよせて首を動かすやつ、まぶたをショボショボさせるやつ。

ついさっきまで、カラオケ店ではしゃいでいたなんて、とても思えないほどに。


「じゃー……解散しましょうか……また来週」


ひときわ疲れた顔をした五十嵐さんは、とめる間もなく、

さっそうと速足で歩いて行ってしまいます。


残ったオレたち男衆も、再び遊びに出る余力もなく、

なんとなくその場で解散となりました。




そして――それ以来。

オレたちの週末の飲み会はなんとなく集まりが悪くなり、自然消滅していきました。


まぁ、ムダ金を使わなくなって、ある意味よかったのかもしれませんが。


後日――五十嵐さんと高田に、それとなく聞いてみたんですよ。

あの日、カラオケボックス内で注文をとった時、奇妙な反応をしていた理由を。


残念ながら、五十嵐さんは結局口をつぐんで語ってくれませんでした。

ただ、高田はしばらく頭を悩ませた後、ボソっと語ってくれたんです。


「あん時……注文したでしょ、ビールとか。で、

 むこうの人……ハイ、って返事はしてくれるんだけど、ぜんぜん声に抑揚がなくって。

 だから、ものが来ない文句も含め、ひとこと言ってやろうと思ったんです」


そこで一度、彼はためらうように視線をウロウロと宙にただよわせ、


「で、早めにお願いしますよ! って言ったとき……ハイ、って言う声の後ろ。

 テレビの砂嵐みたいな……ザーザーッて音と一緒に『もういるよ』って……」


そう言って、彼は黙りこんでしまいました。


えぇ……オレたちの体験は以上です。


あの、古いカラオケ……あの店は、けっきょくなんだったのか。

あの日体験したことは、店のイヤがらせがったのか、

はたまた霊的ななにかだったのか……うやむやで申し訳ないですが、わからないままです。


それにあのビル……あの後、一か月もたたないうちに火事で全焼して、

今はただの更地になってしまったんですよ。


なにか曰くがある土地だったのか、それともすべてただの偶然か。

今となっては、調べる気にもなりません。

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