102.オフィスビルの空階②(怖さレベル:★☆☆)

「……お……」

「……ら……い……」


男性とも女性ともつかぬような、

不思議とノイズがかかったような、あいまいな声。


盗み聞きしているせいなのか、緊張で血の気が引いて、

ゾワゾワと背筋をなでられるような怖気がわき上がってきます。


イヤな感覚を背中に感じつつ、

なんとか話している言葉を聞きとろうと、さらに壁に耳をよせました。


「……わ……ばく、つ……」

(……なんだ? 今、爆発って言ったか?)


聞き取りにくいため、ハッキリと理解はできませんが、

不穏な単語が出現したように思えました。


「……もう……ら……」


(…………。ダメだな、これ以上は)


ボソボソと、とぎれとぎれに聞こえてはくるものの、

明確に言葉としては認識することができません。


爆発、などというあやしい言葉も拾ったことですし、

はやく会社へ戻って報告するに限る、とあきらめて壁から離れました。


あいかわらず、壁の向こうから薄く聞こえている話し声。


それをぼんやり聞きながら、足早に外階段へ向かおうとしたところ、


ドォンッ!!


「うわっ!」


ひとつ大きな打撃音が、激しく階を振動させました。

思わず漏れた悲鳴に、盗み聞きがバレたかも、とオレが顔を引きつらせた刹那。


「もう遅い。助からない」


スピーカーでも使ったかのようにハッキリと。

壁の向こうから、声が聞こえました。


「……え?」


ハッとして、足を止めたその時。


……ビリリリリ……!!


鮮烈な警告音が、ビル全体に響きわたりました。


(これ……まさか、火事!?)


火災報知機の作動音。


けたたましく鳴り響くそれに、オレは慌てて廊下を全力疾走し、

外階段へと飛び出しました。


「うわっ……」


鼻をつく焦げ臭さ。


パチパチとなにかがはぜる音が聞こえ、ムワッと熱気が押しよせてきます。

赤い熱風が右腕を走って、赤い線を残しました。


「痛ッ! ……く、そ」


慌てて周囲を確認しようとするものの、

黒い煙がモクモクと吹き出して視界をさえぎり、

火元がどこなのかもわかりません。


(うちの会社は……!?)


五階には、まだ残っている社員もいるはずです。


とっさに階段を上ろうとした時、

ふとあの声がフラッシュバックしました。


『もう遅い。助からない』


素人である自分が会社にもどったところで、

なにか助けになるとも思えません。


そのうえ、これから外階段で皆下りて来るのを、

逆方向に上って邪魔してもマズい。


オレは携帯で消防へ通報しつつ、とにかく邪魔にならないよう、

まず外へ行って状況確認しようと階段を駆け下りました。


すると、すでに避難してきたと思われる人たちが、

オレと同じく携帯電話を片手に、ビルの全容を見上げていました。


(うちのオフィスのメンバーは……)


キョロキョロと周囲を見回しましたが、

残業しているはずの同僚も上司も、社内の人間の姿は見当たりません。


早期に避難したのかもしれないし、

どこかでまとめて集合しているのかもしれない。


ドクドクとイヤな鼓動をくり返す心臓をおちつかせようと深呼吸していると、

他の階から逃げてきたらしき男性たちの会話が聞こえてきました。


「聞いたか? なんでも、火元は五階からだったらしい」

「けっこうデカい爆発音がした、って話だが……」


(え、五階……?)


もくもくと黒い煙がはきだされるビル。

まさか、という恐ろしい想像が、脳内をグルグルと駆け巡ります。


オレは一人、携帯電話を握りしめたまま、

呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。




結果、ビルはほぼ全壊。

死者、怪我人を含め、大きな被害を出す火災となりました。


亡くなったのは、うちの会社で残業をしていたメンバー。

そのうち助かったのは自分と、

夕食を買いに外へ出ていた女子社員二名の、合わせて三名。


社内に残っていた数名は、皆、遺体となって発見されました。


警察の調べによれば、オフィス内でなにかがガスに引火し、

爆発によって火災が引き起こされたと思われる、と。


オレや助かった二人も事情聴取を受けましたが、

うちのオフィスでガスを使うといえば、ストーブくらい。


ここ連日、たしかに寒い日が続いていたから使用頻度は高かったものの、

まさか発火するほどの濃度で使うわけもありません。


結局、ハッキリした原因はわからず終い。

会社は当然、そのまま潰れてしまいました。


あの日……空っぽのはずの四階オフィスで聞いた、謎の声。


警察に事情を聴かれた当初、オレはあの四階の集団があやしいと思い、

数週間前から人がいたかもしれない、と話しました。


しかし、怪我人、死亡者をあわせても身元不明者はおらず、

火事直後、脱出してきた人たちの安否確認の段階でも、

それらしき人たちはいなかった、というのです。


管理会社も、四階の電気メーターはほぼ動いていないし、

セキュリティも正常に作動していて、侵入の形跡はないといいました。


じゃあ、オレがあの日――

そして以前見たアレは、いったいなんだったというのでしょう?


のちのち……調べたことですが。


あのビルの前身。あの場所は、かつて戦火の被害にあって、

空襲によって焼け焦げた地域だったそうです。


あの日の火災が、それと絡んでいるかどうかなんてわかりませんし、

あの頃はみんな、度重なる残業や過労でおかしくなっていた時期でもあるので、

誰かが誤って火災を起こしてしまっただけ、かもしれません。


『もう遅い。助からない』


あの声は、オレに避難を促すための声だったのか。

それとも、過去の戦火の残響だったのか。


右腕に残った火傷の古傷が痛むたび、

ふと、そんなことを思うのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る