76.古びた蔵の秘密②(怖さレベル:★★☆)

「…………」


更に数日後のこと。


形式ばかりの終業時刻にほど近い、夕暮れ時。


私はいつものようにタバコをふかしながら、

ボーッと社長のお屋敷を眺めていました。


当然、まっ先に目に入るのはあのそびえたつ白亜の蔵。

相も変わらず、居丈高に存在を主張しています。


「あー……すげぇよな、ホント」


自分の実家は町中のなんてことのない小さな借家で、

こんなに大きなお屋敷とは縁もゆかりもありません。


少々の嫉妬も含め、タバコの火が尽きるまで

ボケーっと蔵に焦点を合わせていると、


(……あ、れ?)


フッ、と。


真っ暗な蔵の中。


一つだけ見える鉄柵つきの窓の中で、

何かが動いたように見えました。


(人……?)


ほんの一瞬ではありましたが、確かに動く人影が。


社長か? と一瞬思い浮かんだものの、

当人は少し前に犬の散歩に行ったきりだし、

その奥さんも数年前に亡くなっていて、今、屋敷には誰一人いないはずです。


「まさか……ドロボウ?」


私はハッとして、唯一の窓を注視しました。


夕闇の中おぼろげに存在感を示すその蔵は、

蜃気楼のようにぼんやりと浮き上がっていて、ひどく不気味に思えます。


そっと耳を澄ましてみるも、特になにも物音は聞こえません。


(……どうする? 会社のみんなに知らせようか?

 でも……もし見間違いだったら)


ほんのわずか、それらしきものを見たに過ぎません。

もし勘違いであったら笑い者もいいところです。


(ちょっと様子を見てみるか……)


私は休憩所となっている倉庫の横から、

お屋敷のそばへとすり足で近寄りました。


あまり接近しすぎて、自分自身が盗人と思われるのもシャクなので、

なんとなく、中の音が耳に届くかな、くらいの距離です。


「…………」


近づき、よくよく耳をそばだてると、ほんの僅か。

中からガサゴソと物音が聞こえてきました。


(うわ……ほんとにドロボウかもしれない)


私が焦って、事務所の中へ駆け込もうと身を翻したその時。


ガタッ、ゴォン!!


轟音。


蔵の内部から、なにか思いものをひっくり返したかのような激しい物音が響き渡りました。


「どっ……どうした!?」


どうやら事務所内にまで音が届いていたらしく、

ゾロゾロと中から他の社員たちが飛び出してきました。


「わ、わかりません……中に一瞬、人影が見えたと思ったら、

 ものスゴイ音がして、それで」

「ひ、人影……!?」


私が見たままを伝えると、

古株の事務の女性の顔色が明らかに変化しました。


「は、はい……その、ドロボウかと思って。

 それで、今、皆さんにお声がけしようと思ったんですが」

「……そうか、わかった。……しかし、なァ」


これまた長年ここで勤めているという営業部長が、

渋い表情で呻きました。


「社長……は散歩中か、参ったな……あ、

 皆は事務所へ戻ってくれ。オレが様子を見てくるから」


部長は懐から携帯電話をとりだすと、

空いた片手で様子を伺っている皆を散らしました。


「ほら、川端。戻るぞ」

「は、はい……」


先輩社員にも声をかけられ、後ろ髪を引かれつつ事務所へ足を向けると、


「あ、川端。お前はちょっと残れ」

「えっ? あ、は、ハイ……」


営業部長に待ったをかけられ、私は慌てて

再び蔵の前に立つ彼の傍へと駆け寄りました。


「……人影、見たんだな」


彼は、社員たちが事務所へ引っ込んだことを

確認してから、神妙に尋ねてきました。


「は、はい……その、一瞬、でしたけど」

「そうか。……アレじゃなけりゃ、問題ねぇけどな」


部長はブツブツと何ごとかをつぶやきつつ、

携帯を耳に当てました。


「社長? 今どちらに……え? ああもうすぐそこで……

 いえ、ちょっと例の蔵が……ハイ、よろしくお願いします」


と、手短に会話を終えた彼は、顔面に疑問符を張り付けたような

こちらを見兼ねてか、きまり悪そうに自分の頭をかきました。


「あー……ちょっとあの蔵にはいろいろあってな」

「い、色々ってなんです? まさか……幽霊、とか言わないですよね、ハハ」


私は思わず、先日からずっと気にかかっていたことを茶化し気味に尋ねました。

すると部長は、ウッと言葉を詰まらせた後、一拍、間を置いてから、


「……まあ、似たようなモンだ。ある意味、もっと厄介な……」


と、部長がそのまま話を続けようとした、その時。


ゴンッ、ガタンッ


蔵の中から、再び何かを蹴散らすかのような物音が響きました。


「いっ、いや、これはさすがにドロボウじゃ……け、警察をっ」

「あ、ああ……け、けど、社長が来ないとどうにも……」


部長もしどろもどろになりつつ言いよどんでいると、


ワオン、ワォオン


「……どうした!?」


まさにその社長が、相棒の黒柴と共に駆け戻ってきたのです。


「ああ、良かった! 社長、蔵の内部から、連続して物音が……!」


と、彼がすがるように社長の元へ駆け寄った時、


ドゴッ、ガタガタガタッ


その説明の最中にも、またもや激しい音。


ヴヴヴ……と、社長の足元の犬も、

牙をむき出しにして唸り声をたてています。


「そうか……わかった。アレを見たヤツはいるか?」

「いえ。ただ……この川端くんが影を見たと」


突如自分に向いた矛先に、

ただただ私は首を縦に動かしました。


「なるほど。……まぁ、本体を見ていないなら

 大丈夫だと思うが……ちょっと行ってくる」


社長はジッとこちらを見つめてから、意味深なひと言を残し、

懐からバサッと重そうなカギ束を取り出しました。


「あぁそうだ。川端くん、うちのクロを頼むよ」

「えっ? は、はい……」


唐突に黒柴の手綱を渡され、私が困惑している間に、


「じゃ、ちょっと待っててな」


と言い置いて、スタスタと足早に蔵の中へと入っていきました。


「だっ、大丈夫なんですか?! もし本当に、ドロボウがいたりしたら……」

「ああ……大丈夫だよ。その証拠に、そこのカギ、今社長が開けただろ?

 あそこ、あの入口以外に入る手段ないから」


社長に伝達して一安心したのか、ふだんの調子を

取り戻した彼は、さらりとそんなことを述べました。


確かに、もし本当の盗人であれば、

カギを壊すか無理やり開けてから蔵へ入っているはず。


その唯一の侵入経路がそのままということは、あの蔵の中には、一体――?


「……おーい! ちょっと手伝ってくれ」


と。発する言葉もなく、ただただ無言の二人の空間を、

どこか間延びした社長の声が揺らしました。


「え、ええ……?」


私が駆けつけてよいものか戸惑っていると、

営業部長がすぐさま尋ね返しました。


「社長、アレじゃないんですか?」

「ああ、こちうは大丈夫だ。……しかし、

 オレ一人じゃどうにも……ほら、暴れるな!」


ガタガタと蔵の中から、なにかがもがくような暴れ音が聞こえてきます。


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