75.通学バスの同乗者(怖さレベル:★★☆)

(怖さレベル:★★☆:ふつうに怖い話)


私が春から入学した私立高校は県外からの通学者も多く、

最寄駅から毎日バスが走っていました。


うちの学生の為だけのその通学バスは、地方でそれなりに

名のある学校故かピカピカで新しく、

楽な通学で良かったなぁ、なんて気楽に考えていたものです。


特に部活に入っていなかった私は、

毎回時刻表の最終バスで学校に向かっていました。


そんな時間ですと車内は案外空いていて、私はいつも最後尾を占拠し、

携帯ゲームをしたり、漫画を読んだりして時間を潰していました。


そんなバス通学にもようやくなれてきた頃でした。


その日も、いつもの通り朝の最終バスに一番で乗り込み、

定位置となっている最後尾の席へ乗り込んだんです。


まばらな乗客がすべて乗り込んだのを見届けて、

バスはさっそく走り始めました。


窓の外は、梅雨半ばの季節にふさわしく、

重たい曇天が空一面を覆っています。


雨が降らなきゃいいけど、と、ボーッと

景色を眺めていた、そんな時でした。


――シャッ


「あ……」


視界の端で、なにかが空から落ちてくるのが目に入りました。


ついに降ってきちゃったかぁ、と空を見上げるも、

未だに水滴は落ちてきていません。


(見間違い……?)


一瞬、たしかに何か小さなものが落下するのが見えたのに、

となんとなく最後尾のリアガラス越しに後ろを確認すると、


(……うわっ)


う、と喉の奥から呻き声が漏れました。


雨粒の代わりにアスファルトに染みを作っていたのは、

鳥の身体――遠目に観て、スズメの死骸のようでした。


カラスにでもイジメられたのか、

それとも羽でも負傷して飛び方を失敗したのか、

地上に叩きつけられたその小さな身体はひしゃげて赤い血で濡れています。


(……朝からイヤなモン見ちゃったなぁ)


上空から突然鳥が落ちてくる、というのは、

私の地元でもごく稀ながら聞いたことのある話です。


さらにそれは、不幸の前兆なんていう謂れもあって、

ただでさえ憂鬱な空模様に加え、気は重たくなるばかりです。


学校行くのダルいなぁ、と胸の奥から噴き出すため息とともに、

足をブラブラと揺らしていると、


ガンッ


前の座席が、激しく揺らされました。


(チェッ……いーじゃん、ちょっと動くくらい)


そうは思ったものの、自分は入学したばかりの下級生。


もし前に座っているのが上級生で、

因縁でもつけられたらたまりません。


「ごめんなさい、揺らして」

「…………」


ひとこと謝罪の言葉をかけたものの、返答はありません。


(スズメが落ちてきたのってこれかな……)


座席で難癖をつけられる(原因は自分ですが)なんて

しょうもない不幸の予兆とは、

と面倒くさい事態にどうしようかなぁ、なんて考え込んでいると、


――ポツッ


「……あ」


バスの窓に、雨粒が付き始めました。


ザァザァと瞬く間に雨は強さを増して、

ただでさえ梅雨でしけっていた地面を一瞬で染めていきます。


(あーあ。降ってきちゃった……)


傘は持参しているものの、体育の授業は自習かなぁ、なんて、

意識を前の座席から今日の予定に移していると、


ガンッ


不意にまた、目の前の座席が震動しました。


(え? ……私、今回はなにもしてない、けど)


両足を揃えて、おとなしく座ったまま。

大きい音だって出していないし、なにか揺らしたり、

迷惑をかけるようなことはしていません。


ガンッ


しかし、まるで不服といわんばかりに、

前の座席は数回音を立てて揺れています。


(うわ……変な人の後ろに座っちゃったかな……)


これは私がどうこうというわけではなく、

前の席の人がおかしいと考える方が正しいのでしょう。


よく聞く受験ノイローゼというものか、ただの情緒不安定か。


幸い最後尾の列は六人掛け。


私はひと目につきにくい一番端に座っていて、

反対側はガランと空いています。


この妙な人の後ろから離れて、反対側の誰もいない席の後ろへ移ろう。


そう考えて、そろりそろりと足を動かした時。


「……え、っ」


引きつった声が零れ落ちました。


移動しようと踏み出した、その右足。


その右足が――誰かに、掴まれている。


「……はっ?」


頭が真っ白、とはまさにこのこと。

停止した脳は、何が起きているか理解できません。


足。足首が動かない。


靴下ごしに、ひんやりした何者かの体温に伴い、

五本の指の食い込む感触を伝えてきます。


「い、っ……!?」


驚愕と怯えで声も出せず、音にもならないかすれ声が

ヒュウヒュウと口から吐き出されます。


位置は座席の真下。


暗がりであるその場所から、

生白い不健康な男の腕がズルリと伸び、

しっかり、離すまいと言わんばかりに足首を握り込んでいます。


「あ……う……っ」


恐怖に声を奪われ、呼吸が乱れます。


引きつけを起こしたかのように痙攣する全身に、

それでもその白い手は足首を離そうとしません。


椅子の下のその空間は、まるで絵の具で塗りつぶしたように真っ黒で、

明らかにただ暗いだけとは思えない、異様な雰囲気を醸しています。


ぎし、ぎし、と足が軋むのではないかと思うほどこめられた力は強く、

只でさえ恐ろしい状況で極限状態の上、

感じたことのない痛みで涙すらこぼれそうです。


「っ……!!」


完全に恐慌状態になった私は、訳も分からず――

とっさに、反対の脚で掴む手を思い切り蹴り飛ばしました。


ぐにゅっ


生肉を押しつぶすかのような言いしれない感触。


ゾワッと鳥肌の立つ不快感に、二発目をためらっていると。


――ずるんっ


こちらの攻撃にひるんだのか、その生白い腕は

カエルの舌のような素早さで引っ込んでいきました。


「ひっ……!」


私は一目散に最後尾の席を飛び出し、

バスの走行中にも関わらず空いている最前列の席にしゃがみこみ、

学校に到着するまでずっと震えていました。


ええ……あの腕。


あれは、前の席に座っていた人物のもの。

そうだったら……そう思えたら、良かったんですが。


あの、全力疾走で前の座席に向かう途中――見てしまったんです。


私の前の席には、誰も座っていなかったことを。

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