63.側溝の中に潜むモノ②(怖さレベル:★★☆)

この老人、

本当に助かる気があるのだろうか? と。


先ほどから、ただひらすらに手を握っているのみで、

引き上げようとするこちらに全然協力して上ろうとする気配がありません。


モゴモゴと何か口を動かしてはいるものの、

妙に動きも緩慢だし、生気も薄い。


――まさか、連れ込もうとしているんじゃ。


一度そう考えてしまうと、目前のおじいさんが死神のように思えて、

おれは寒さだけではない震えにガタガタと身体をゆすり始めました。


掴まれたままの手のひらの感触も、

相手がもしかしたらヤバいものかもしれないと思い始めると、

とたんに不気味に感じます。


「ぐっ……おじいちゃん、力入れてっ」


それでも、そんな失礼な考えはあくまで想像。


なんとか老人を引き上げようと、

もはや水の中にいるのと変わらないほどのズブ濡れ状態でぐっと身を引っ張りますが、


「あ、っ……!」


ズリ、とカカトが床を滑る嫌な音。


あっという間にバランスを崩した身体が、

老人の体重にも引っ張られ、自らも側溝の中へ――


(落ちる……っ!?)


「っと、大丈夫か!?」

「わ、っ」


ぐい、と力強い手が背中を掴みました。


「悪ぃ。場所の説明に時間食っちまった」


そのたくましい手のひらは、救急へ連絡を終えた友人、皆木でした。


「さ、引上げよーぜ」

「あ、ああ……」


彼はおれが未だ掴んでいる老人にニコやかな笑みを向け、


「二人で引っ張りますから! 安心してください」


と雨にかき消されぬほどの明るい声で叫びつつ、

おれを補助するように力を合わせて、

二人で思い切りその人を引きずり上げた、その時。


「ッ!?」


ズルリ、と。


その老人の足首までもが露わになった瞬間、

おれの目はそれを捕らえました。


おじいさんの足元に巻き付く、

ドロドロとした、ドス黒い無数の腕を。


「うっ……」


どうりで持ち上げられなかったはずです。


皆木と二人で支えてはいるものの、おじいさんの足に絡みつくそれは、

泥水の中から、なかなか手を放そうとしません。


それのせいなのか、さほど深さのない側溝であるにも関わらず、

老人の身体を、あともう一つ引き上げることができません。


「っ、おい、手っ……!」


おれが怖気と混乱で友人に思わず視線を向ければ、


「お前も見えてんのかよ!? ヤベェな……一気に引き上げるぞ!」


同じものが見えていたらしく、

皆木も僅かに目に怯えを宿しつつも、力強く頷きました。


「わ、わかった!」


その台詞に、おれも慌てて腰に力を込め、踏ん張る体制をとります。


「くっ……」


ドロドロと汚いスライムのように蠢く手のひらは、

悪意ばかりを滲ませて、老人ごとこちらを落とそうと

グイグイと容赦なく引き込んでいます。


おじいさんは、わが身の異常に気付いているのかいないのか、

ただもごもごと口を動かすのみでした。


しかし、このまま時間をかけていては不利になるばかり。


「いくぞっ、いっせーの……」


もはや博打。

イチかバチか。


「せーっ!!」


腹に残る全身全力を持って、

おじいさんの両腕を引っ張り上げました。


ぐぐっ……スパーンッ


まるで童話のカブのように。


いきおいよく老人は泥水の中から飛び出し――


ドサッ


無事に、水びたしの道路の上へと着地しました。


「わわっ……」


ドスン、と尻もちをついたおれと友人は、

おじいさんを助け出せた安堵と疲労とで顔を見合わせ、

ヘロヘロと片手を合わせました。


「……やったな」

「おう……良かったわ……」


おじいさんは陸に上がってから、荒い呼吸を続けていますが、

意識もきちんとあるようでした。


「おっ、サイレン」


友人がハッと顔を上げた先からは、

たしかに救急車のサイレンの音が雨と協和しています。


「ハァ、良かっ……」


そう、安堵のため息を吐きつつ、フッと側溝に意識を向けた時。


ゾワゾワゾワッ、と。


小さな黒い腕たちが、その泥水の中をまるでカマキリの卵の孵化したかのように

蠢いているのが、目に入ってしまったのです。


「……い、っ」


もし、あれに飲み込まれていたら。


目前でずぶ濡れの老人は、相も変わらずもごもごと不明瞭な呟きを繰り返すのみで。


おれは、雨に濡れたその寒さだけではない怖気に、

今更ながらじわじわと体温を奪われて行くのを感じたのでした。




結局、おれたちもまとめて病院へ搬送されることとなり、

救急隊員にはお叱り半分、お褒め半分の言葉を頂戴しました。


助けたのは勇気があっていいけれど、もし巻き込まれていたら大変だった、

おおよそはそんな内容で、確かにあの時、

友人が間に合わなかったら揃って溺れていた可能性を考えると、

ちょっと無茶をしすぎたか、とのちのち反省しました。


あのおじいさんも、家族とはすぐ連絡がついたようで、

丁寧なお礼の言葉を頂きました。


どうやら、少々痴ほうが入っているそうで、

家族の目を盗み、雨の中を徘徊してしまっていたようです。


――あの時、おれが目にしたあの黒い無数の腕。


おじいさんの足元に巻き付き、増殖し――おれの方にまで

手を伸ばそうとしていました。


あの時、皆木が助けてくれなかったら、おれ自身もあの側溝へと

飲み込まれていたかもしれません。


通学路の途中、いつも通っている道で、

まさかあんなものを目撃するなんて……。


雨の日の側溝には……皆さまも十分ご注意下さい。

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